Vol. 89(2001/5/27)

[今日の事件]動物の殺処分は動物保護に反することか?

今年はクマの当たり年なのか、各地でクマが人間に近い場所に出現しているというニュースが相次いでいます。岩手県では、ツキノワグマが深夜に農家に上がりこんでリンゴをぱくついていたという事件がありました(5月13日)。幸い怪我人がでなかったので笑い話のようになっていまいましたが、クマは人を襲うこともあるわけで、笑ってすませられる問題ではありません。
クマ出現事件では、京都市内の観光地にツキノワグマが現れ、その後射殺されるという事件がありました。さて、この射殺という処分方法について、読者の皆さんはどう思われるでしょうか?

クマは危険だから射殺して当然。

いや、自然保護・動物保護という観点から見ると射殺するべきではなかった。

クマは絶滅寸前ということはありませんが、だんだんと数を減らしており、地域によっては絶滅の可能性もでています。むやみな殺処分は避けた方がいいのは当然です。ただ、そうもいかない事情もまたあるのてす。クマを殺処分しなければすべての問題が解決するのではないのです。殺処分以外の方法としては、麻酔で眠らせて、山間地へ運んで放す、というものがあります(奥山放獣)。この方法はすばらしい解決方法に見えますが、必ずしもうまくいっていない実情があります。まず、クマが元の場所に戻ってしまうことが多いということです。よほど遠くへ運べば別ですが、何の調査も無しにどこでも放獣してもいいというわけではありません。他自治体が放獣を受け入れないこともあり、基本的には同じ市町村内で放獣することになります。その程度の距離では戻ってくる可能性も高いのです。また、人間や人間のいる環境に慣れたクマは人間への接近を怖がらなくなり、何度も繰り返し人家付近に出没するようになります。このような理由のため、奥山放獣は決定的な解決方法にはなりえていないのです。何度奥山放獣をしても効果が無い場合は、やはり殺処分することになるのです。
動物を絶対殺してはならない、という主張もあるかもしれませんが、この場合のようにそれでは全然解決にならないことがあるのです。1頭1頭の命は貴重ですが、殺処分を避けられない事態もありうるのです。動物好きの私でもこの事実は認めなければならないと考えています。その代わり、私たちはもっと本質的な方法でこのような事態になることを予防するようにしなければなりません。つまり、クマの生息環境を改善し、人里に下りてこなくてもいいようにすることです。これはよりマクロな観点からの自然保護・動物保護といえます。これはこれで簡単に解決することではないのですが、マクロな観点で取り組まなければクマの問題はいつまでも解決しないでしょう。
ただし、これはクマはいつでもどんな場合でも殺していいということではありません。クマを殺すのはやむを得ない場合に限られるべきです。ですから、殺処分決定の判断は一定のルールに沿って出されるべきものです。今回の事件で気になるのが、殺処分の判断の妥当性です。

今回の事件処理が法律的にはどうなっているのか見てみましょう。野性動物は誰でもいつでもつかまえてよいものではありません。これは「鳥獣保護法(鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律)」によって決められています。「鳥獣保護法」の詳細の説明は省略しますが、簡単に説明すると、野生動物は基本的に捕獲(殺傷も含む)できません。狩猟できる動物についてはその限りではありませんが、狩猟をするには狩猟免許が必要ですし、場所によっては狩猟が禁止されていたり、猟法も制限されていたりと、誰でも簡単にできるものではありません。クマは狩猟鳥獣ではありますが、地域によっては捕獲を禁止されています。ただし、今回の事件の京都府は禁止地域に含まれていません。
今回の事件では通常の狩猟とは異なる事例であることは明らかです。これは鳥獣保護法第12条(適用除外)の中の「有害鳥獣駆除」を適用したものです。「有害鳥獣駆除」は都道府県知事の許可があれば可能です。
今回の事件で最も注意すべきなのは、この「都道府県知事の許可」に至るまでの過程です。有害鳥獣駆除というものはそうそう簡単に連発できるものではなく、慎重に実行されなければなりません。そのため、有害鳥獣駆除を実施するための何らかのルールが必要となります。このルールはどのような内容なのか? その内容は動物保護の観点から見て正当なものか? ルールの全容が明らかでないため、残念ながら今回の事件での当局の判断が妥当であったのかどうか知ることができません。

動物を殺処分する事件が起こると、多かれ少なかれ、「動物がかわいそう」「動物を殺すな」という意見が現れます。しかし、情況によってはそれも仕方ない場合もあるのです。では、その「仕方ない情況」とは具体的にはどういうものか? どのようなルールが設定されているのか? この点こそ検証しなければならないことなのです。単純な「動物愛護」でこのことを論じるのは避けなければならないのです。


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