いきもの通信 Vol.114[今日の観察]俳句と動物 日本人の季節感は正しいか? 

Vol. 114(2001/12/23)

[今日の観察]俳句と動物 日本人の季節感は正しいか?

自然観察をしていると、同じように自然を観察している人たちによく出くわします。単なる観光だったり、カメラを持っていたりといろいろな人がいるのですが、中でも比率が高いのが俳句をたしなむ人たちです。俳句と言えば「花鳥風月」、四季折々の自然はそのテーマとしてよくとりあげられています。俳句には「季語」を必ず使うことが一般のルールですが、今回はその季語と季節の関係が妥当なのかどうか検証してみましょう。
今回の季語の出典元は「俳句歳時記」です。

季語の中には「春の鴨」(北へ帰る直前のカモ)や「秋の蝶」のようにずばり季節名をつけているものがいくつもあります。これらについてはあらためて検証するまでもないでしょう。
まず、昆虫についてですが、「蝉(セミ)」「蛍(ホタル)」「蚊(カ)」あたりが夏の季語であるのは妥当なところでしょう。成虫はこの季節以外には現れませんし、卵や幼虫にはほとんどお目にかかれないからです。「蝶(チョウ)」が春、というのはどうでしょうか。実際にはチョウは春から秋まで見られるものですので春に限定することはできません。花と結びつけられる関係で春となっているのでしょうが。しかし、「蜻蛉(トンボ)」が秋というのは納得できません。どうもこのトンボとは赤トンボ、おそらくアキアカネを主に指すようです。アキアカネ=秋、というのは正しいのですが、それは平地での話です。夏、山に登るとアキアカネの群れに遭遇することがありますが、そういう時はどんな俳句を詠めばいいのでしょうか。「山のトンボ」とか「夏のトンボ」とかにすればいいのでしょうか。また、平地でも夏にトンボは普通にいます。トンボにもいろいろ種類がいて、生態もさまざまななのをひとくくりにして「秋」とするのはちょっと無理があるように思えます。17文字という制約があるのは仕方ないとしても、「トンボ」を夏の季語としてもいいはずです。

鳥について見てみるとこの問題点がさらに大きくなります。例えば「翡翠(カワセミ)」。この季語は夏となっていますが、カワセミは実際には1年中見ることができます。そしてカワセミに詳しい人なら知っていることですが、カワセミを観察しやすいのは実は冬なのです。これは、木の葉が落ちて見通しが良くなるからなのです。カワセミが夏の季語ならば冬にカワセミの句は詠めないことになります。ここで一句。

降り積もる中で
カワセミじっと待つ

これはこの間私が思いついた俳句で、「雪が静かに降り積もる中、枝にとまったカワセミが水中の魚たちにじっと目を凝らしている様子」を詠んだものです。そしてこれは実話です。寒々とした風景の中の小さな生命。いい句じゃあありませんか(自画自賛(笑))。しかし、これは季語の使い方が正しくないため批判非難間違いなしでしょう。しかし、季語のルールに従うと夏以外にカワセミの俳句は作れなくなるわけで、自然を愛でるはずの俳句が自然を無視してしまうことになるのです。自然を詠むならば「先に季語があって、それに合わせて句を詠む」というのはなんとも本末転倒な話です。
別の例を見てみましょう。「白鷺(シラサギ)」の季語は夏になっています。しかしですね、「シラサギ」という名の鳥は存在しません。私たちが普通「シラサギ」と呼んでいるのは「コサギ」または「ダイサギ」(まれに「チュウサギ」)のことなのです。ダイサギもコサギも同じようなもんでしょう?と考えているのだとしたらちょっと困ったものです。これらは生態が異なっていて、同じ場所で同時に目撃することはあまりありません。つまり、棲み分けをしているのです。私もダイサギとコサギを同時に見たことは1回しかなく、その時とても珍しく思ったほどです。これらをまとめていっしょに扱うようでは、「自然をよく見ている」とはいえそうもありません。
鳥には他にも1年を通じて見ることができる種類がいます。例えばカイツブリは冬の季語、カルガモは夏の季語となっています。カイツブリは冬に「ケリリリリ…」と鳴く(なわばりの主張またはつがいの確認)ため、カルガモは夏に子育てを見ることができるためそうなっているのでしょうが、やはりそれ以外の季節だとどんなにいい材料でも俳句にはできないことになります。もっとも、カイツブリの場合は、「鳰(にお)の浮巣」あるいは「浮巣」「鳰の巣」が夏の季語となっているのでまだいいのですが。

もうひとつ、今度はカエルを見てみましょう。カエルには何通りかあって、「蛙」は春、「雨蛙(アマガエル)」「蟇(ヒキガエル)」は夏となっています。アマガエルは梅雨のイメージにも合いますのでまだいいのですが、他の2つはどうでしょう。カエル一般が春に特に見やすいわけではありません。また、ヒキガエル(ガマガエルともいう)は夏にも見ることはできますが、ヒキガエルのオスがメスを取り合って争う様子は春に見ることも珍しくないわけで、これまた釈然としないものがあります。

以上のように、季語の中にはあまり妥当でないものもあります。ただ、今回取り上げた季語は、特に季節との整合性が怪しいものばかりで、他の多くの季語はまあ妥当だと言えるでしょう。しかし、動物(そして植物も)は種類によっては1年中遭遇できるものも多く、特定の季節に当てはめるのは無理があるのは確かです。動物・植物の季語はもっと柔軟に扱えるようにした方がいいのではないでしょうか。「トンボ=秋」のような先入観があると、目の前に存在するものも見えなくなってしまう弊害があります。これでは自然をありのままにとらえることはできないでしょう。


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