Vol. 170(2003/4/20)

[OPINION]ケガをした動物を助ける・助けない?

自然保護や動物愛護という言葉は今ではよく知られていて、多くの人が多かれ少なかれ共感する、あるいは無視することができない概念となっています。その割には社会的・政治的な影響力が弱い勢力です。影響力が弱い原因は、自然保護・動物愛護と一口に言ってもその内容は広範多様で、統合的に意見をまとめることができないからだ、と私は思っています。そもそも、「自然保護」と「動物愛護」という2大派閥があり、さらにその中にいろいろな考え方があるわけで、これらをまとめあげることは実際難しいでしょう。

今回は、意見がまとまらないある例について考えていきたいと思います。
こういう状況を想定してください。


住宅街の路上で、ケガをして動けなくなったメジロを見つけた。


さて、この時あなたならどうしますか?
わかりやすくするため選択肢を「助ける」「助けない」の2つにしぼりましょう。

「助ける」という答は悪くありません。傷つき弱った者を助けるというのは非難されることではありません。道徳的にもかなっています。ですが、厳密に法をあてはめると、許可なく野生動物を捕獲した場合、鳥獣保護法違反になってしまうのです。この例のような場合は、実際には警察ざたになることはまずありませんが、その後も飼育する場合はきちんと許可を取らなければなりません。
「助けない」という答は、法律的に正しいのですが、それ以外の意味があります。野生動物は本来人間の介入無く生きている動物です。傷ついた鳥も、それは自然界で普通に起こりえる現象のひとつです。あえて人間がその生命を延命することは、自然環境に対する介入になるのではないでしょうか。鳥の死体は他の生物にとっての栄養になるものですから、そのまま放置して死亡しても、無駄ということにはなりません。

「助ける」方にはまた別の問題もあります。もし傷ついた動物がハシブトガラスだった場合、あなたは助けますか? カラスだと助けない、という人は多いような気がします。もしメジロを助けるなら、カラスも公平に助けてほしいし、他の動物にも平等に接してほしいものです。しかし、現実はそうではないでしょう。助けられる動物というのは、可愛かったり無害だったりするもので、そうでない動物は見捨てられることになります。そういう不公平な扱いをするぐらいだったら、初めから助けない方がずっとましに思えます。
しかし、そうはいっても善意からの助けるという行為を完全に否定することも私にはできません。この問題は単純そうでいて、かなり難しい問題なのです。自然保護や動物愛護に関係する人でも答はまちまちでしょう。

さて今度は別の状況を考えてみてください。


住宅街の路上で、ケガをして動けなくなったトキを見つけた。


これは実際には起こりえない状況ではありますが、まあ、考えてみてください。
先ほどの例から言うと、この場合も「助けない」という選択肢が考えられるかもしれません。しかし、この場合は「助ける」が間違いなく正解となります。さっきの場合とは何が違うのでしょう?
トキは世界的にも数が非常に少なく、たった1羽でも貴重な存在です。この1羽を救うことで絶滅を少しでも先に延ばすことにつながると言えるのです。メジロは普通に見られる鳥で絶滅の心配はありません。その1羽を救っても現状には影響はまったく無いと言っていいでしょう。
「助ける」が正解といっても法律の問題もありますので、とにかく専門家あるいは行政とコンタクトとることを最優先にして、後は任せるべきでしょう。

このように、「傷ついた動物をどうするか」という一見単純そうなことでも、状況によって答が変わることがあり、また、人によって意見が異なる場合もあるのです。現実にはもっと複雑な状況がいろいろと存在しているわけで、誰もが納得できる答を出すことはきわめて困難だというのもおわかりいただけるかと思います。

自然保護や動物愛護は一見わかりやすいことに思えるものなのですが、実は複雑で、答が簡単には出せないようなことが多くあるのです。より良い答を出すにはどうすればいいか。それにはやはり動物のことをもっと知る必要があると思います。専門家のような膨大な知識を持つ必要はありません。単純な善悪論やかわいい・かわいくない感覚から一歩踏み出して、実際の動物の姿をよく観察する。それだけでも違ってくると思います。


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