Vol. 178(2003/6/15)

[今日の観察]イラストレーターを悩ませた

ツマグロオオヨコバイの脚の謎

都会は自然環境に乏しい、だから動物はあまりいないと思われがちです。しかし、昆虫にとってはそんなことはあまり関係ありません。動物が生きていくには、何といっても食べ物が必要ですが、その食べ物さえあれば都会生活も難しくありません。しかも、昆虫は体のサイズが小さいので、ちょっとした公園でもあれば食べ物は十分に調達できます。

春先から秋にかけての長い期間、都会の住宅地でもよく見かけるのが、今回紹介するツマグロオオヨコバイです。といっても、派手ではないので気付かない人も多いかもしれません。アジサイによくついている虫、と言えば、「ああ、あれね」と思い出す方もいるでしょうか? アジサイにはたいていツマグロオオヨコバイがいるので、珍しくもない普通の昆虫です。アジサイの他にはイタドリにもよく来ます。
名前の「ツマグロ」は羽の先端(お尻の方)が黒いから、「ヨコバイ」は横歩きするから、という命名です(下の写真参照)。アジサイの葉にいるツマグロオオヨコバイを見つけたら、手を伸ばして捕まえるふりをしてみてください。すると、横歩きして葉の裏側に回ろうとします。飛んで逃げてしまうことも多いので、何度か試してみてください。
ちなみに、大きさは1cm少々。指でつまむのもやっかいな小ささです。
ヨコバイの仲間は、広く言えば「半翅目(はんしもく)」の仲間、つまり、セミやカメムシの仲間になります。アメンボやタガメもこの仲間です。これら半翅目に共通する特徴は「汁を吸うこと」です。セミの口を見たことがある方は多いのではないでしょうか? 針のような細長い口。これが共通点なのです。セミは樹液を、アメンボは昆虫の体液を、タガメは魚やカエルなどの体液をちゅーちゅー吸うのです。カメムシは、花の蜜、果実など植物性のものを吸うものが多いのですが、アリマキなど動物性のものを吸うものもいます。ツマグロオオヨコバイはアジサイなどの茎から液を吸います。
イネの害虫とにて、「ツマグロヨコバイ」という種類がいますが、ツマグロオオヨコバイとは親戚のようなものです。が、食べるものが違うのでツマグロオオヨコバイはイネの害虫にはなりません。


さて、ここからが本題です。
この1年ほど、小学館の「週刊 日本の天然記念物」の仕事をずっとやってきたのですが、その仕事のひとつに、動物のシルエット図を描くというものがありました。この図は進化系統樹の図版で使用するもので、全巻合計すると500種以上(未掲載分も含む)もの動物を描いたのでした。シルエット図とはいってもすごい数です。
そのシルエット図を描くにあたっては、きちんと動物の形状を把握するために必ず資料にあたるようにしていました。そんな中でも私を最も悩ませた動物のひとつが、このツマグロオオヨコバイだったのです。何を悩んだのかと言うと…。

[写真1]をご覧ください。特に脚に注目してください。この写真では、中脚が非常に長いように見えます。中脚が後脚よりも後ろに伸びています。
一方、[写真2]では中脚は普通の長さ、前脚と後脚の間に収まっています。
いったい、どちらが正しいのでしょう? いや、どちらも正しいはずなのですが…。いろんな写真資料を見てみると、脚の位置がはっきりわからないものが多いのですが、[写真1]のように中脚が長い写真も複数、確かにあることがわかりました。いったいどうなっているのか? 本にも脚の説明をしているものはありません。こういう場合、本物を捕まえて調べるのが一番です。ツマグロオオヨコバイなんて、アパートの前のアジサイで探せるのですから。しかし、その時は冬のまっただなか。残念ながら実物の確認はできませんでした。
仕事のシルエット図の方はどうしたかというと、「中脚が長い」形状で描きました。ただ、このツマグロオオヨコバイの図は編集段階で削除されてしまい、完成した雑誌には掲載されませんでした(図が正しくないから削除されたのではなく、進化系統樹全体のバランスから削除されたようです)。

しかし、こんな普通の昆虫のことがわからないなんて、くやしいものです。この謎を解くために、春になってからアパート前のアジサイを探し、ツマグロオオヨコバイを捕獲しました。
ツマグロオオヨコバイ脚の謎。その答は写真の方をご覧ください。写真も図も下から見たものです。
長いのは中脚ではなく、後脚でした。この後脚を折り曲げた状態を上から見ると、まるで中脚の位置から伸びているように見えるのです。つまり、上の[写真1][写真2]はどちらも正しく、矛盾しないのです。
ああ〜、なるほど。
以前描いたシルエット図も、上から見た図でしたので間違いではなかったわけです。


ともあれ、わかってみれば単純なことです。でも、こんな普通の昆虫のことさえわからないことがあるんですよね。
今、地上には未知の領域がほとんど無くなってしまいましたが、動物の世界には無限にも思える未知の領域が広がっているということをあらためて感じた一件でした。そして、本物を観察することの大切さも実感できます。動物のことはやっぱり座学だけでわかるものではありませんね。


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