Vol. 220(2004/5/16)

[OPINION]作られた「感動」

この「いきもの通信」で取り上げているのは、動物のことや自然観察のことです。なるべく多くの人に親しんでもらうため、難しい話ばかりではなく、予備知識なしでも読めるようにしたり、軟らかいテーマを選んだりといつもあれこれ考えています。「何を伝えるか」は最も大切なことですが、「どうすればより多くの方に受け入れてもらえるか」ということもけっこう大切な問題です。
ただ、普通の方々が「動物」や「自然観察」に何を期待しているかというと「動物との感動的なふれあい」だったり「豊かな自然にいやされる体験」だったりのような気がします。現実には、野生動物に直接接触することはありません(昆虫類は別だが、さわって喜ぶ人はとても少ない)。野鳥はなかなか近くで見ることができず、初心者は探しているうちに鳥の方が逃げてしまうこともしばしばです。費やす時間やコストに比べると感動が薄い、というのは否定できません。

同じ時間やコストを使うのなら、世の中にはもっと面白くて楽しい娯楽がたくさんあります。映画とかゲームとか読書とかテレビとか、その他さまざまの娯楽や趣味があります。私はそういう強力な勢力を相手にしなければならないわけですから大変です。特に、映画や小説といった動員数が非常に多いエンターテイメントは最大の強敵といっていいでしょう。
単に「感動」を求めるならば、映画や小説に勝るものはそうそうないでしょう。これらは感動を与えるために緻密に構成されたものだからです。
そういえば、私が最近じーんと感動したことというと、やはり映画を見た時とか(劇場にはもう何年も行ってないのでもっぱらレンタル)、テレビドラマを見た時だったりするのです。このごろの小説のベストセラーも純愛もののようですし、大人気の韓国のドラマ「冬のソナタ」も純愛ものですよね。ハリウッド映画では爽快感とか躍動感とかそういう種類の感動が得られます。気軽に感動を手に入れられるわけですから本当に優れた娯楽です。
しかし、これらは作り物によってもたらされた感動であることも忘れてはいけません。つまり、この感動は実体験の感動ではなく、疑似的な感動なのです。
だからといって、私は「作られた感動」を否定するのではありません。日常とは平凡なものであり、そうそう簡単に感動することはありません。もし、普通の生活が毎日感涙の感動の連続だったら体が持たないような気がします。日常では得られないこういう感動があっても悪くはないのです。

映画や小説は「フィクション」の世界です。一方、私が扱っている「動物」や「自然観察」は「ノンフィクション」の世界です。では、私がフィクションに興味がないのかというとそうではありません。フィクションにはノンフィクションにはない力があります。上質のフィクションには、多くの人にメッセージを伝える影響力があります。フィクションからは何かのヒントが得られるかもしれません。また、私自身がフィクションを手がけるというやり方もあるでしょう。実際に私が小説などに取り組むかどうかは別としても、私にとってフィクションはまったく違う世界のものではなく、常に注目し、分析しなければならない対象であるのです。


今回の話は、ちょっと抽象的でしたでしょうか?
まとめてみると、

「動物」や「自然観察」のことをストレートに伝えようとしてもうまく伝わらないことがある。多くの人にアピールするには、エンターテインメント(フィクション)など他の分野も参考にすべきではないか。

ということです。

どうすれば多くの人にメッセージを伝えることができるのか。今日も悩む私なのです。


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