Vol. 267(2005/5/15)

[特別編]発売10周年「マルチメディア昆虫図鑑」秘話

第2回 製作、いよいよ始まる

どのような内容にするか

CD-ROMの図鑑、これはまったく新しいジャンルと言えるものでした。その中身をどのようにするかはまず最初に決めなければいけない大きなことです。
図鑑ですから、1種1種の昆虫を写真と文章で紹介することは必須です。また、昆虫の全体像を知るための解説部分も必要でしょう。意外に思われるかもしれませんが、CD-ROMといってもその内容は従来の紙の図鑑とそれほど違いがあるわけではないのです。しかし、パソコンならではの要素もあります。それは「鳴き声」と「ムービー」です。昆虫の鳴き声を聞ける、昆虫の動く姿を見れる、というのはパソコンならではのもので、これは紙の図鑑に対する大きなアドバンテージ(利点)になります。
こういった構成・内容については、編集長や海野先生と意見を交わしながら練り上げていきました。
同図鑑には「フォトギャラリー」というコーナーがありますが、これは編集長の発案でした。きれいな写真は大きく見せよう、というのがそのコンセプトでした。これはパソコンらしい良いアイディアでした。といっても、当時は640×480ドットで256色という貧弱なスペックでした。256色ではグラデーションがきれいに出ません。ローエンド(低価格帯)のパソコンでも見ることができるようにするためにはこの仕様は仕方がないものでした。また、CD-ROMの640MBという容量は意外と少なく、フルカラーの画像ではその容量を簡単にオーバーしてしまうのです。そういった制約があっても、パソコン画面に表示される写真は印刷された写真とは違った印象を与えるのでした。これは編集長の説明によると「印刷は紙に反射した光を見ている。パソコン画面は発光する光を見ている。だからパソコン画面の方がよりリアリティーを感じるのだ」ということなのでした。
解説パートの仕掛けはだいたい私が頭をひねりながら考えたものが多かったように思います。例えば「隠れる昆虫」。コノハムシとかナナフシとか、植物にカモフラージュする昆虫たちのことです。まず、これらの昆虫が写った写真を表示します。どこに隠れているのか、ぱっと見ただけではわかりません。ここだ、と思った場所をクリックすると、まわりが暗くなり昆虫の姿がはっきり見えるようになります。こういう仕掛けはパソコンならではと言えるでしょう。ただ、効果的に使えるシチュエーションが限られているのが難しところです。

パソコンならではの要素といえばムービーですが、これはまたあらためて紹介しましょう。

インターフェイスの設計

パソコンソフトの場合、非常に重要になるのがインターフェイス、つまり操作方法(ボタンなどの画面デザインを含む)です。操作がわかりにくくては使い勝手が悪くなります。このインターフェイスの設計は主に私が担当しました。これについては

「やたら難しいものであってはいけない」
「ぱっとみてわかりやすい」

という方針をたててあれこれ考えてみました。
結論としては、MS-DOSで言うところの「ディレクトリ」のような単純な構成にするのが正解だと判断しました。ただ、行きたいページにはすぐに移動できるようにしないと使い勝手は悪くなります。そこで、主要項目にはすぐにジャンプできるようにする、そして関連する箇所には一発でジャンプできるようにする、という仕様にしました。このあたりは当時登場したNetscapeのようなwebブラウザあるいはTRONのマン・マシン・インターフェイス作法を意識したものになっています。
このインターフェイスに行き着くにはそれほど時間はかかりませんでしたが、完成度はかなり高かったと思います。単純さ、わかりやすさを優先させたのが成功だったと言えるでしょう。「マルチメディア昆虫図鑑」の内容構成、インターフェイス、画面デザインは次の「マルチメディア哺乳類図鑑」の時にさらに洗練されたものになり(この図鑑ではインターフェイスと画面デザインのみ私が設計した)、これがその後のマルチメディア図鑑シリーズの共通基盤となったのでした。

優れたデザインとは

意外と早めに決めておかなければならないこと、それが画面のデザインです。これはインターフェイスとも密接にかかわりますが、ある意味では別物とも言えるものです。インターフェイスは単なる「仕様」ですが、デザインは具体的な「実装」なのですから。デザインが決まらなければ文字数や写真の大きさも決められません。
デザイナーも外部の力を借りることになり、編集長が以前から目をつけていた若手デザイナー・装丁家のSさん(女性)が招集されることになりました。編集長イチ押しのデザイナーです。でも私にはどんな作風かもよく知りませんので、まずはお手並み拝見となります。
デザインを作ってもらうために、まずいくつかの代表的な画面をチョイスし、私がそのラフを描きます。ラフには必要なボタンや文字量・写真位置などを指定します。そしてサンプルの写真データ、文章データをいっしょに渡すのです。
すごく大ざっぱなラフだったにもかかわらず、Sさんはきっちりとしたデザインを出してきました。ただ、私には最初はその良さが理解できませんでした。このデザインには無駄が多いと思えたのです。しかし、編集長の解説を聞いてみると実はとてもよく考えられたデザインであることがわかってきたのでした。
それは例えばこういうことです。私はプログラマ出身、BASICやDOSの時代からパソコン(マイコン)を使ってきました。その世界では、画面は端から端までぎりぎりいっぱい使うのがいいデザインでした。その方が画面あたりの情報量が多くなるからです。ところが、Sさんのデザインは余白を十分にとったものだったのです。私としては「画面いっぱいに使えば写真も大きくなるし、文字もたくさん入れられるのに」と不満を持つのも当然です。しかし、これを「書物=読み物」のデザインとして見るとどうなるでしょう。適度な余白は文章を読みやすくし、自然なレイアウトとなるのです。Sさんのデザインは理に適ったものだったのです。

Sさんの作風は非常に基本に忠実な、オーソドックスなものです。パソコン・デザイナーにありがちな無理な画面構成や純色を使いたがる配色を用いません。だからといってつまらないものではなく、非常に安定したデザインになっているのです。また、時には大胆なレイアウトで驚かせることもありました。Sさんの才能は次のCD-ROM図鑑「ガラパゴス」でも遺憾なく発揮されました。
当時の私は趣味でイラストを描く程度でしたが、Sさんにはデザインのあり方について非常に勉強になり、影響を受けたと言えるでしょう。今の私のイラストやデザインに奇抜さよりもオーソドックスを感じるとすれば、それはSさんの影響なのです。

次回も延々と続く製作作業の話です。


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