Vol. 291(2005/11/13)

[今日のいきもの]似て非なるジャコウネズミとマスクラット

このところ、約100年前のことが書かれたアメリカの文学作品(当然、動物が登場する)を読んでいます。この本についてはいずれここで取り上げることになるでしょうが、今回はその本に少しだけ言及されていたある動物のことを取り上げます。

その本の後半に、「ジャコウネズミ」という動物について書かれている部分が出てきます。これを読んだ時、私はすぐに「これって、マスクラットのことだよね…」と思ったのでした。私はジャコウネズミとマスクラットが別の動物であることを知っていたので気がついたのですが、ほぼすべての読者はこんなことに気づかないで読み進めるでしょうし、それらの違いについても気を留めることはないはずです。しかしジャコウネズミとマスクラットはまったく違う動物なのです。

では本当のジャコウネズミとはどんな動物なのでしょうか。
ジャコウネズミは食虫目に属する哺乳類です。食虫目にはトガリネズミ、ハリネズミ、モグラなどが含まれます(最近は食虫目を解体してより小さな目に分類する考え方もある)。ジャコウネズミはこの中でトガリネズミの仲間になります。トガリネズミはその名の通り、鼻がとがったネズミのような外見をしています。しかし、進化の系統上ではネズミ類(=齧歯目)からはかなり離れている位置にいます。「ネズミ」と名がつくがネズミにあらず、なのです。
種ジャコウネズミは東アジアから南アジアに生息しています。日本には南西諸島以南に生息します。分類範囲を広げてジャコウネズミ属全体で見るとアフリカまで生息地域は広がります。それでも北米には生息していないわけで、上記の本の「ジャコウネズミ」はこの本物のジャコウネズミではないことは明らかです。ジャコウネズミは主に昆虫などの小動物を食べますが、植物を食べることもある雑食性です。
ちなみに英語ではジャコウネズミを含むトガリネズミ一般のことを「shrew」と言います。つまり英語ではネズミとは明確に区別をしているのです。日本語の「ジャコウネズミ」も「トガリネズミ」もネズミではないのにネズミであるかのような間違った印象を与えるため適切な命名とは言いがたいものです。しかし、既に定着してしまったため、これを修正することも困難でしょう。なお、ジャコウネズミ属は「Suncus」という学名であるため、日本でも「スンクス」の名前が使われることもあります。ジャコウネズミは日本では実験動物として飼育されており、「ジャコウネズミ」ではネズミの仲間のように思われてしまうので「スンクス」という呼称が定着したようです。
ジャコウネズミは英語で「house shrew」と言います。人家近くに生息し、時々屋内に入ってくることがあるためこういう名前になったようです。そして「ジャコウ=麝香」と名がつくように、強いにおいを発するので少々迷惑がられているようです。「ジャコウ」といってもいい香りではなく、手元の図鑑によると「悪臭」とはっきり書かれているぐらいです。

上記の本に載っていた動物はジャコウネズミではないことはわかりましたが、ではその正体はいったい何なのでしょう?
答えは先にも書いたように、間違いなくマスクラットです。というのも、マスクラットは英語ではmuskrat、つまり、「musk=ジャコウ」「rat=ネズミ」であり、直訳すると「ジャコウネズミ」になってしまうからです。ああ、まぎらわしい(笑)。翻訳者はそのまま「マスクラット」と書けばよかったのに、気を利かせて単語を和訳してしまったために誤りとなってしまったのです。編集者や校閲が気づけばよかったのですが、そこも通過してしまったのですね。
さて、マスクラットについてですが、こちらは齧歯目ネズミ科(ハタネズミ亜科)の正真正銘のネズミです。頭胴長約30cm、尾長20cmで、ドブネズミより一回り大きいといった感じです。しかし外見からはあまりネズミっぽくは見えないかもしれません。マスクラットは北米のみに生息します。以前ヨーロッパと日本には毛皮目的で移入されたことがあります。日本では1940年頃、関東の江戸川下流に移入されました。その子孫は現在も江戸川水系に生き残っています。ただし現在の頭数は非常に少なく、将来は絶滅確実とみられます。
今年話題の外来生物法の特定外来生物にも指定されていますが、実質的な被害は現在無く、将来の可能性も相対的にはかなり低いものです。わざわざ指定される意味がよくわかりません。
マスクラットは水辺にすみ、よく泳ぐ姿が見られます。夜行性とされますが、昼間活動する姿もよく目撃されます。私も何度か昼間に泳いでいるところを見たことがあります。

ちなみに、やはり特定外来生物に指定されている大型ネズミ、「ヌートリア」は一見マスクラットに似ていますが、体は倍ぐらい大きく、「ヌートリア科」という別のグループに属しています。
ヌートリアもマスクラットと同じ頃に日本に持ち込まれたものですが、こちらはいろいろな地域に持ち込まれ、また、絶対数も多かったようで、現在も全国各地で繁殖を続けています。こちらは農業被害も多く、駆除の対象になるのもしかたない状況です。

1つの誤訳からこういううんちく話ができるのは面白いことなのですが、これに限らず海外文学作品に登場する動物には誤訳が少なからずあることが予想されます。翻訳者に動物学の勉強を強制することはできませんが、まあ、こういう場合は編集者がバックアップして裏付け調査をするぐらいの姿勢はほしいかなあと要望しておくことにしましょう。


ところで、今回の文章を書いていて、途中でこの「いきもの通信」に以前に似たようなことを書いたのを思い出しました。

Vol. 148(2002/11/3) [今日の常識・非常識]トガリネズミはネズミじゃない

話の持っていき方が違うのでほとんど修正する必要はありませんでしたが、300回にもなると似たようなネタが登場することは仕方ないですかね。


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