Vol. 328(2006/8/6)

[今日の勉強]タヌキとアライグマの長い長い歴史の物語・その3

グレイって誰?

前回の話では、タヌキに学名をつけたのはテミンクであると紹介しました。しかし、ちょっと調べてみるとどうもそうではないこともわかります。タヌキの学名は次のようになっています。

Nyctereutes procyonoides (Gray, 1834)

最初の2語は学名、「Gray」は命名者、「1834」は命名年を表します。前回はタヌキは1844年にテミンクよって命名されたと書きましたが、それより10年前にさかのぼることになります。では、「テミンクが命名者」というのは誤りかというとそうとも言えないのです。

まず先にグレイという人物について説明しましょう。と、言いたいところなのですが、実は調べてもよくわかりませんでした。私の記憶にもない人物ですし、「Gray」という名前は普通すぎるだけでなく、「灰色(gray=grey)」と同じつづりであるためにネット検索では役に立たないということもあります。それでもそれらしい人物は探しだせました。

ジョン・エドワード・グレイ(John Edward Gray、1800-1875)という人物が大英博物館の動物学部門にいました。動物標本収集に貢献した人物だそうです。
また、ジョージ・ロバート・グレイ(George Robert Gray、1808-1872)という人物も同時期に大英博物館にいました。ただしこちらは鳥の研究者だったようです。
おそらくこのどちらかが問題の「グレイ」氏なのでしょう。多分、前者のJ.E.グレイだと思うのですが…。グレイの1834年の論文そのものを探せば答は出るのでしょうが、その手がかりすら見つかりません。
ところで、1871年にトキの分類をNipponia nipponとしたのもグレイという人物でした。トキに最初に学名を命名したのは例によってテミンクなのですが(1835年)、この時はIbis属に分類されていました(この属は現在は解体されていて、トキ科全体で13属に細分されている)。トキを新属新種に分類したのは後になってからなのです。Nipponia属を新設したのが1852年、ライヘンバッハという人物(これまた正体不明。ドイツ系の名前のようだが…)によるもの。その後にトキの新しい学名をつけたのがグレイなのです。こちらのグレイは後者のG.R.グレイなのでしょうか…?

さて、話をタヌキの学名に戻しますと、1834年にグレイはタヌキを「Canis procyonoides」と命名しています。その生息地は中国南部、広東付近とのこと。つまり中国産のタヌキが日本産タヌキよりも10年早くヨーロッパに紹介されているのです。
ちなみに「Canis」とはイヌ属のことで、イエイヌやオオカミ、コヨーテと同じグループです。確かにタヌキの頭骨はイヌによく似ているので、当時はイヌと同じグループと見なされたのでしょう。
新しい属「Nyctereutes」=タヌキ属が作られたのは1939年です。これはテミンクの命名です。つまり「日本動物誌」の研究中の出来事です。タヌキはイヌ属ではなく独立した新しい属であることがこの時に確定しました。
そして1844年、日本の本州などに生息するタヌキに「Nyctereutes viverrinus」という学名がつけられました。亜種なら3語の学名がつくのですが、2語であることからこの日本産のタヌキは新種と見なされたようです。つまり、グレイが命名した中国産とは別種であるとされたのです(そもそも、当時は「亜種」という概念はあったのだろうか?)。
その後どういう事情があったかはわかりませんが、中国産と日本産は同じ種であると分類され、それぞれ亜種に再分類されました。現在は日本産(本州以南)のタヌキは亜種ホンドタヌキ(Nyctereutes procyonoides viverrinus)となっています。

こういったことを調べていくと、当時、オランダのライデン王立自然史博物館とイギリスの大英博物館が動植物の収集や分類を競っていたのではないかという推測もできます。
大英博物館は1753年設立、1759年一般公開。当初は美術品や稀覯書がコレクションの中心でした。しかし当然ながら動植物の収集にもかなり力を入れたようで、19世紀は活発に収集活動していたはずです。1880年代に自然史関係のコレクションを分館(後の大英自然史博物館)に分けたほどですから、その量はかなりのものだったのでしょう。
一方のライデン王立自然史博物館は1820年設立で、初代館長テミンクの最大の使命はコレクションの充実だったはずです。大英博物館は最大のライバルだったことでしょう。当時のイギリスは中国(清)に進出していましたが(アヘン戦争は1840年)、日本と貿易ができたのはオランダのみ。テミンクらが「日本動物誌」に熱心だったのも、この特別な立場を利用して実績をあげることができるという実利があったからという側面もあったのでしょう。


補足事項

ここまでで書き切れなかったことを最後に補足します。

1904年、北海道産のタヌキはベアード(Beard)によって種エゾタヌキ(Procyonoides albus)と分類されました(現在は亜種)。このベアードなる人物も情報不足正体不明です。

アライグマ科2種のうちのもう1種「カニクイアライグマ」はアライグマよりも後の命名です。

Procyon cancrivorus (Cuvier, 1798)

カニクイアライグマもアライグマとほぼ同時期に知られていたと考えられるのですが、命名が遅れた理由は不明です。アライグマと同じ種と思われていたのかもしれません。
命名者のジョルジュ・キュヴィエ(1769-1832)はフランス人の博物学者で、動物分類学、化石動物の研究を行いました。化石の最初の本格的な研究を行った人として知られています。化石というと進化論とは切り離せないのですが、キュヴィエはキリスト教の教義に忠実で、進化論を信じていませんでした。当時はダーウィンの進化論はまだ登場していなかったのですが、ラマルクの進化論とするどく対立しました。キュヴィエの主張は、化石は天変地異(例えばノアの大洪水のような)で絶滅した動物のものであり、生物は進化しないというものでした。


さて、3回にわたってタヌキとヨーロッパ人と学名の話を見てきました。タヌキとアライグマは、ほぼ同時期にヨーロッパ人が目撃したはずなのに、鎖国によって生物学的研究ができなかったためにタヌキが本格的に知られるのはずっと遅れてしまいました。その結果、タヌキの英語名が「アライグマ犬」となってしまったのです。歴史の流れの中でこうなってしまったのはしかたないのですが、アライグマでもイヌでもないタヌキという動物をもっと世界に知ってもらうために、「Tanuki」という英語名を普及させたいな、と思うのですがどうでしょう。
もっとも、「Tanuki」の方がますますわかりにくいのではないかという懸念はありますが…(笑)。


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