Vol. 410(2008/6/8)

[今日の観察]人間は肉眼でどこまで小さなものが見えるか

その道を極めた人の能力は、常人をはるかに超えています。
例えば、ある種の昆虫を極めた人は、普通の人がいくら目を凝らしても見つけられない小型昆虫をいとも簡単に発見します。時には何mも離れたところから発見することさえあります。そのような人が特に視力がずば抜けているのかというと、そうでもなかったりするものです。
なぜそのような超絶能力を発揮できるのか、今回は考えてみましょう。

私たちが肉眼で認識できる大きさはどれほどのものでしょうか。「目の前の昆虫を見つける」という状況の場合、だいたい1cm程度ではないかと私は思います。これぐらいならば「ほらほら、あそこ」と言うだけで他の人にも気づいてもらえるでしょう。指で指せば誰でも認識できるでしょう。これが1cm未満になると、指で指しても「え?どれどれ?」となかなか見つけてもらえない確率が高くなるように思います。

一般的に、止まっているものよりも、動いているものの方が私たちは見つけやすいでしょう。例えばゴキブリがちょろちょろしていれば、小さな幼虫であってもたいていの人が気がつくでしょう。何か動くものがないか、視界に映るものを注意深く観察すれば発見の可能性は高まります。
また、背景が単調だと見つけやすいということも言えるでしょう。まっ白の紙の上に濃い色の物体があれば、誰でも気づきます。もっとも、それは例外的な状況です。自然物というものはどれも形状が複雑で陰影もあるため、小さな昆虫などを見事に隠してしまいます。

「肉眼で認識できる大きさ」というものには文化的な影響もあると思われます。私が聞いたことがある話の中に、「フランス人は3cm以下の昆虫(などの動物)は見えない」というものがあります。つまり、フランス人は小さな昆虫が目に入らない、存在を認識できない、のだそうです。この話が本当かどうかはわかりませんが、ありえない話ではないかもしれません。昆虫に親しむ文化が無ければ、こういうことになるのかもしれません。それでは、「ファーブル昆虫記」のファーブルはどうなのだ、ファーブルはフランス人だ!と言う方がいるかもしれません。ファーブルは、皆さんもご存知のように極めて詳細に昆虫を観察記録した人です。ですが、ファーブルははっきり言って例外的存在です。フランス人らしくないフランス人です。実は、フランスではファーブルは知名度は非常に低いのです。ファーブル昆虫記を今もありがたくあがめているのはおそらく世界中で日本だけでしょう。そんなフランスでも、「ミクロコスモス」のような小型動物を取り上げたノンフィクション映画を産みだしたりするから面白いものです。


小さな動物を見つけるには経験の積み重ねが重要、というのは誰もが納得できることでしょう。専門家が対象となる昆虫を簡単に見つけることができるのは、やはり経験のなせる技です。例えば自然観察会の講師は、誰よりも先に遠くの鳥や小さな昆虫を発見するものですが、これこそ経験の蓄積の成果です。
専門家は経験を積み重ねることによって、生物がいそうな場所や、形状・色彩のパターンを記憶に蓄積していきます。「こういう場所にはこういう生物がいる」というパターンをすばやく脳内から取り出すことによって、超人的な能力を発揮するのでしょう。このパターンというのは、文字などによって記録できる種類もありますが、文字や言葉にしにくいようなものも多くあるはずです。本人は認識できていても、いざ言葉にするとなかなか難しいことがありますよね。
こういった認識パターンといったものは本にはまず書いてないでしょう。経験によってのみ得られるものなのです。
この認識パターンを言葉にし、記述することができれば、多くの人に専門家の特殊能力の一部でも体験することができるかもしれません。これは面白そうなことですが、そうなると専門家の仕事を奪うことにもなるわけで、やはり門外不出の秘伝にしておいた方がいいのかも…。


そんな専門家でも、あまりにも小さいモノを判別することはできないはずです。あるモノが生物であるかどうかを判別するには1mm程度の大きさがなければわかりません。また、その生物のおおざっぱな分類を判別するには2〜3mmは必要でしょう。これはおそらくどんな専門家でもあまり変わらない能力だと思われます(ただし、特徴的な形状・色の場合は1mm以下でも判別できることがあります)。1mm以下になると、生物なんだかゴミなんだか、判別するのは困難です。こうなると顕微鏡の出番となります(ルーペでも厳しい)。
もし、専門家が1mm以下の生物を見逃したとしても、それは専門家の能力が低いのではなく、人間の持つ能力の限界を超えていたのです。こればかりはどんな超絶能力でも不可能なのです。


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