Vol. 420(2008/8/17)

[今日の地図]地図の革命・その2

数値地図が解き明かした東京タヌキの謎

前回に続き地図の話ですが、今回は東京タヌキとも密接に関わることです。


東京都23区内のタヌキの目撃情報を蓄積していくと、その分布が均一ではなく、西側に偏っていることがわかってきました。ならば、その位置を地図上にプロットしていけば、何か新しい発見があるかもしれません。そういうことを考えたのが2006年のことです。タヌキの生息場所と地形には何らかの関係があるのかもしれない、とも当時すでに予想していました。東京都23区の西半分は「武蔵野台地」という台地です。これが関わっているのかもしれません。

それを検証するために、まず買ったのは国土地理院の5万分の1地図でした。ところが、この地図では等高線を読み取ることが非常に困難なのでした。東京都23区の地形は非常になだらかで、等高線の密度が極端に薄いのです(しかも最大標高は60mもない)。これでは微妙な地形を読み取ることができません。これは2万5000分の1地図でも同様です。

ここで私は頭をかかえてしまいました。何かうまい解決方法はないものか…。そこで思い出したのが「数値地図」でした。これは国土地理院がCD-ROMとして発売している地図です。CD-ROMに収録されているのは数字データだけなので、それを読み込んで表示するアプリケーションが必要になります。私はMacユーザーなので、「数値地図ビューア」「地図画像ビューア」というシェアウェアを使ってみることにした(ホームページ「品川地蔵の地図とマックと」に掲載されています)。

使用した数値地図は、標高データは「数値地図50mメッシュ(標高)・日本-II」、地図画像データは「数値地図25000(地図画像)・東京」です。前者は文字通り50m間隔の標高データを収録、後者は2万5000分の1地図をまるごとデータ化したものです。
ずっと後になって、さらに「数値地図5mメッシュ(標高)・東京都区部」も購入しましたが、書籍「タヌキたちのびっくり東京生活 都市と野生動物の新しい共存」ではこれは使っていません。こちらは5m間隔になっているため、非常に細かい地形を見ることができます。しかし、膨大なデータ量になるためいくつかの都市のデータしか発売されていません。
(数値地図は、国土地理院の地図を扱っている書店に置いてあります。ただし、在庫切れのこともあるのでご注意ください。地図専門のネットショップで購入する方法もあります。)

数値地図を使ってみると、その威力が絶大であることはすぐにわかりました。なだらかな武蔵野台地が、「台地」であることがはっきりわかるのです。これは書籍「タヌキたちのびっくり東京生活 都市と野生動物の新しい共存」の口絵にも掲載した通りです。武蔵野台地は多摩川と荒川にはさまれていること、神田川や石神井川といった河川が谷を刻んでいることが一目瞭然に理解できるのです。
普通の地図ではこうはいきません。ここで小学校の社会の授業を思い出してください。「関東平野」は日本最大の平野と習ったはずです。そして、日本地図や地図帳では、等高線の間隔は狭くても100m単位。標高が低すぎる武蔵野台地は関東平野に埋もれて、緑一色で塗りつぶされていたはずです。これでは武蔵野台地の地形を理解することはできません。
数値地図を使えば、等高線間隔を自由に設定して見ることができます。縮尺も(限界はありますが)自由に変えることができます。そのため、特定の地点の地形を詳しく見ることも可能になります。ここまで自由に地図画像を操作できるというのは革命的なことです。


数値地図で東京のあちこちを見ていくと、いろいろと面白いこともわかってきました。その中のひとつの例を紹介しましょう。

この地図は、お茶の水付近の神田川の標高地図です。5mメッシュを使用していますので、かなり細かい地形が見えています。
さて、地図中央を東西に流れているのが神田川ですが、この地形は何だか変に思いませんか? 神田川が深い谷を刻んでいます。JR中央総武線の御茶ノ水駅をご存知の方はその風景を思い出してください。御茶ノ水駅ホームは神田川の南岸にあります。そこから神田川を見ると、川はかなり下を流れています。(また、東京メトロ・丸ノ内線は、地下を走っているのに突然、神田川の上を渡る橋に飛び出してきます。)
このあたりの神田川は最下流部で(少し東で隅田川に流れ込む)、水面は海水面と同じです。そんな川がこんなに深い谷を刻むことができるのでしょうか。また、地形をよく見ると、神田川は北から南へのびる台地状の地形を分断しているように見えます。もしかすると、神田川のこの部分は、人間が台地を削って通した人工的な流路なのではないでしょうか?
調べてみるとその通りでした。神田川は本来はもっと南側を流れていたのでした。その流れは、現在は「日本橋川」と呼ばれています(上図の左下を流れる川。かつてとまったく同じ流路ではないようですが)。徳川秀忠(第2代将軍)の時に、お茶の水の開削工事が行われ、現在の神田川の流路となったのです。当時は機械などまったく無い時代です。人力だけであの容積を削り取ったのですから驚きの大工事です。
で、お茶の水で削り出された大量の土砂はどこへ行ったのでしょうか? それは日比谷入江を埋め立てるために使われたのでした。現在の日比谷公園あたりは当時はまだ海だったのです。
このように、歴史までも見えてくるのが数値地図の面白さですが、さて、話を戻しましょう。


数値地図アプリケーション「数値地図ビューア」では、地点(0次元)・経路(1次元)・領域(2次元)といった情報をユーザーデータとして追加していくことができます。これを利用して、タヌキの目撃情報を地図にプロットしていきました。(これも最初は白地図に手作業で記入していくつもりだったのですが、それではいろいろな点で厳密性が確保できないため不採用になりました。)
その結果見えてきたのは、タヌキたちは明らかに武蔵野台地の上にいる、ということでした。東部低地帯(荒川・中川・江戸川の下流部)にもタヌキの目撃情報はありますが、その密度はかなり低いものです。また、タヌキの目撃地点の多くは、高低差のある崖のような地形の近くにあることもわかりました。他にも、武蔵野台地でも南の方(目黒区、品川区、大田区)ではタヌキの目撃が少ないことなどもわかりました。
これらはいったい何を意味しているのでしょうか。その謎の説明は、書籍「タヌキたちのびっくり東京生活 都市と野生動物の新しい共存」をお読みになってください。

同書では口絵などにいくつも地図が載っていますが、これはすべて数値地図を元に私自身で作成した地図画像です。アプリケーション「数値地図ビューア」の他に、Adobe Photoshopなども駆使して地図画像を作りました。以前なら地図作成は出版社や専門業者にまかせざるを得なかったのですが、数値地図の登場によって著者自身で地図画像を作ることができるようになったのです。一般ユーザーが思い通りに地図画像を作成できることも、革命的と言える大変革です。これまで、地図というものはお上(おかみ)から与えられるだけの受動的なものでした。数値地図も、その基盤となるデータはお上(国土地理院)によるものですが、一般ユーザーが能動的に関われる範囲は一気に拡大しました。
もっとも、これには地図の知識やパソコンの習熟、グラフィック・デザインの知識などが必要になるので、「誰でも簡単に」というわけにはいきませんが…。


前回のネット地図も、今回の数値地図も、地図の使い方を大幅に変えてしまう「革命」とも言える製品です。これはパソコンやインターネットといった巨大な革命の中のひとつの要素にしか過ぎません。しかし、地図専門家や地図マニアに限らず、動物学、植物学、歴史学、地理学などさまざまな分野に影響を及ぼす変革です。一見すると地味な変革ですが、その威力を知る者にとっては強大な意味を持つ大革命なのです。


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