Vol. 481(2010/3/28)

[今日の事件]奈良のシカは文化財?

2010年3月13日、奈良市の奈良公園で腹に矢が刺さっているシカが発見されました。このシカは保護されましたが、15日に死亡しました。矢はボーガンのものと見られています。この事件について、警察は文化財保護法違反で捜査しています。
このニュースを聞いて、ん? なんでシカが文化財? と思った方がいるでしょう。今回はその話です。

動物が人間によって殺されたりケガをさせられたりした場合の法律は、野生動物(哺乳類、鳥類)なら鳥獣保護法、飼育動物なら動物愛護法となります。奈良公園のシカは、実は飼い主がいません。なので野生動物ということになります。ですから本来は鳥獣保護法が扱う対象です。
ところが、「奈良のシカ」は国が指定する天然記念物です。天然記念物を扱う法律は文化財保護法、ですので奈良のシカを傷つける行為は文化財保護法違反、となるのです。
シカで国の天然記念物になっているのは「奈良のシカ」と沖縄県座間味村の「ケラマジカおよびその生息地」だけで、それ以外の各地のシカは国の天然記念物ではありません。
「奈良のシカ」というのは奈良県なのか、奈良市なのか、奈良公園なのかというと、これは「奈良県奈良市一円」となっています。指定されたのは1957年です。(国指定文化財等データベースによる)

動物が文化財、というのは奇妙に聞こえるかもしれませんが、文化財保護法で扱っているので誤りではありません。この文化財保護法が扱っているのは、重要文化財や国宝、人間国宝、古墳、城趾、景観名勝地、動物、植物、地質鉱物などなどといったものです。動物、美術品、古典芸能などをひとまとめにしているのですから乱暴なくくり方だな、と思われてしまいそうです。逆に考えれば貴重な国民的財産をまとめて管理している法律、と言うこともできますが。

ただ、動物・植物の場合はちょっと困ったこともあります。文化財保護法を担当しているのは文化庁です。しかし、動物・植物など自然環境を担当しているのは主に環境省です。担当官庁が分裂しているため、ややこしいことになります。例えば環境省がトキの保護をしようとするならば、まず文化庁にお伺いをたてなければならないのです。ちなみに佐渡トキ保護センターは環境省が運営していますので、文化庁とのさまざまなすり合わせは既に解決しているということです。

動物・植物を研究する立場から見ると、天然記念物というのはちょっとやっかいな相手となります。動物・植物を研究する場合、研究対象を捕まえたり採集したりして詳しく調べることは当たり前で、研究の基礎となることです。ところが、天然記念物は勝手に捕まえたり採集したりすることができないのです。
文化財保護法には以下の条文があります。
「第百二十五条  史跡名勝天然記念物に関しその現状を変更し、又はその保存に影響を及ぼす行為をしようとするときは、文化庁長官の許可を受けなければならない。」
文章の意味が少々わかりにくいですが、「現状を変更し」ということには動物・植物の捕獲・採集が含まれています。厳密には、さわることも含まれます。つまり、天然記念物を研究するには文化庁にお伺いをたてなければならないのです。しかも許可がなかなかおりないこともあるでしょう。研究したいのにできない!ということになってしまうのです。いくらなんでもそんなことはないだろう、と思われるかもしれませんが、この不満は私自身が研究者の方々から実際に聞いた話なのです。
またこういう問題もあります。下北半島のニホンザルは「北限のサル」つまり世界で最も北に生息する野生霊長類として有名です。そして、このニホンザルは「下北半島のサルおよびサル生息北限地」てして天然記念物に指定されています。ところが個体数が増えたり、生息環境が変化した結果、農作物を荒らすという「食害」が多く発生するようになりました。しかし、上の条文に従えば文化庁の許可がなければ駆除ができないということになってしまうのです。さすがに現在は一定数の駆除がされていますが、それで食害が解決するほどではありません。

この条文によって天然記念物が守られているのは確かです。今回のシカ殺傷事件もこの法律の対象になっていますから。しかし、これも鳥獣保護法で十分に対応できるのではないかと思われます。
動物・植物を扱う官庁が環境省と文化庁にまたがっているというのは行政の効率的には良いことではありません。できるなら環境省に統一してしまってほしいものです。文化財保護法で扱うものの内、動物、植物、天然保護区域、それから名勝の一部は環境省が取り扱うようにしてしまった方がいいのではないかと思われます。

シカが1頭殺されたという単純な事件も、法律から見ると複雑な事情がからまっています。新聞やテレビなどでニュースに接する時に、こういうことを知っているとより深く理解することができるでしょう。


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