Vol. 498(2010/10/18)

[OPINION]生物多様性オフセットの疑問

近年、生物多様性について取り上げられることが多くなってきました。それに伴って「生物多様性オフセット」という言葉も時々メディアに現れるようになってきました。「offset」とは「埋め合わせ」という意味です。「生物多様性オフセット」とは、開発によって失われる自然環境を、別の場所の自然環境を保護・復元することで埋め合わせすること、ということになります。自然環境を保護するための方法なのです。

朝日新聞での解説によると次のようになっています。
「開発による自然の損失分を、近い価値の自然保護で相殺(オフセット)する手法。事業中止や計画変更で対応しきれない場合対策として、1970年代に米国で導入が始まった。面積や希少種の数、人間にとっての利用価値などを算出する指標をつくり総合判断する例が多い。」(2010年9月16日、東京版)
「土地開発などで失われた生態系を定量評価し、ほかの場所で保全・復元して、生態系の損失を差し引きゼロにする仕組み。欧米の多くの国が開発業者らに義務付けており、世界標準をつくる動きもある。多様性保全の価値を証券化して市場で売買する仕組みもある。」(2010年9月23日、東京版)

ネット検索してみると、既にいろいろな解説や批評が存在しています。詳しいことはそちらに譲り、ここでは私の考え方について書いていくことにします。
私の考えは、「生物多様性オフセット」が安易に広まると自然環境保護がうやむやになってしまう、というものです。


東京タヌキの例で考えてみましょう。

東京都23区のある地区に大きな雑木林があったとします。そこにはタヌキが生息しているだけでなく、ヘビ、トカゲ、ヒキガエル、さらには多くの昆虫や小動物が生息しています。鳥が巣を作る場所、眠る場所にもなっているでしょう。雑木林にはひとつの生態系ができあがっていると言えます。
そこへ、この雑木林をつぶしてマンションを建設する計画が持ち上がったとします。そうなると雑木林の生態系は消滅することになってしまいます。
ここで生物多様性オフセットを導入するとしましょう。この雑木林と同等などこか別の場所の自然環境を保護・復元します、と開発企業が約束します。さて、これでハッピーエンドでしょうか?

いやいや、全然ハッピーではありませんよね。その雑木林は消失してしまうわけですから。タヌキは仕方なく近隣へと移動していくでしょう。鳥も飛べるのでどこかへ引っ越せます。しかし、長距離移動できない小動物たちはそこで死を待つしかないのです。そこにある自然環境は、他の場所では代替できないものです。このようなオフセットは意味がありません。

ところで、代わりに保護・復元される自然環境というのはどこにあるのでしょう? アフリカのサバンナですか? そんなところを保護しても東京都23区の自然環境と同質とは言えません。それに、アフリカのサバンナを開発しようとする人はほとんどいないでしょうから、わざわざ保護をする必然性が薄いでしょう。
では、狭山丘陵(東京都西部の丘陵)の自然では? まあ、悪くはありませんが、23区の自然環境と同一というわけではないでしょう。離れた場所の自然を保護しても本当の意味でのオフセットにはなりません。
一番いいのは、雑木林の隣接地に同等のものを再現することです。しかし、そんなことは現実的ではありません。新たに土地を購入する費用はかなりのものになります。また、本当の意味で「同等」を実現するなら若木を植えるのではダメで、土壌の性質や樹木の樹齢も同等であるべきです。そこまで手間ひまかける開発業者なんていないでしょう。

もうひとつの懸念は、生物多様性オフセットも結局は自然環境にマイナスの影響しか与えないのではないか、ということです。
「東京都23区のある雑木林をつぶす。その代わりに狭山丘陵の同等の山林を保護する」という生物多様性オフセットを考えてみましょう。この時、それぞれの自然環境は次のようになります。
東京都23区のある雑木林→0になる
狭山丘陵の山林→現状維持
これではオフセット(埋め合わせ)になっていませんよね? 雑木林が消えた分、損失になっているわけです。生物多様性オフセットを正確に解釈するならば、同等の自然環境を増加させなければならないはずです。
では、狭山丘陵に23区の雑木林を復元すればよいのでしょうか? それでは狭山丘陵の山林がその分、消失してしまうことになります。じゃあ、どこに雑木林を作ればいいのでしょう? 一見、荒れ地のような場所でも、そこには独特の生態系があるはずです。それをつぶすわけにもいかないでしょう。そうなると東京湾の埋め立て地にでも雑木林を作るしかないということになりそうです。でも、その埋め立て地はもともと海をつぶしているわけですから、海の自然環境の損失が過去にあったはずです。これでは結局オフセットにはならないのではないでしょうか。
一番理にかなっているのはマンションや工場が建っている場所をつぶして開発することです。これも過去の自然破壊に目をつぶることになりますが…。

このように、生物多様性オフセットというものは真の意味で自然保護になっているのか疑問があるものです。「生物多様性オフセット」という呪文が開発業者の免罪符にならないよう、注意して見守る必要があると言えます。
生物多様性オフセットは論議の途上にある課題です。なんか環境に良さそうだからOK、なんて簡単に承認してはいけません。

私の疑問に対して、専門家ならきちんと説明できるかもしれません。ならば、専門家はこのような根源的な問題をていねいに解説することが責務です。その実行をお願いします。(私一人に対して説教するのではなく、世間一般へ広く伝えるようにしてください。)


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