Vol. 531(2011/10/23)

[今日の事件]荒川ゴマフアザラシ事件

統計的に予言されたアザラシの出現

2011年10月、埼玉県志木市の荒川にゴマフアザラシが現れました。
と書くだけでもかつてのタマちゃん事件を思い出させるものがあります。そしてやはりまたタマちゃん事件の時と同じように現場には見物客がやって来ているようです。ただし、その数はタマちゃんの時ほどではありません。タマちゃんの時は、ちょうど夏休みだったこと、多摩川下流で交通アクセスが容易だったことといった好条件のためにあれほどの大観客になったのでしょう。今回程度の騒ぎは驚くことでもありません。
そして今回も地元自治体がこのゴマフアザラシに住民表を交付する、というわけのわからないことをやりだしました。他によっぽど自慢できるものがないのでしょうか。それとも住民税を払ってもらうつもりなのでしょうか?
そもそも荒川の対岸はさいたま市のはずで、よくさいたま市が文句を言わないなあ、と思って調べてみたところ、ゴマフアザラシが現れる堰の付近だけ両岸とも志木市の領土なのです。荒川近辺の自治体の境界線は流路が整備される以前の荒川の流れに沿っている場所が多く残っており、どうやら今回もそれだったようです。なんという都合のいい偶然でしょう。


さて、またアザラシ事件なのです。
このような事件が起こるのはどれほど珍しいことなのでしょうか。

国立科学博物館には「海棲哺乳類情報データベース」というホームページがあります。この中には「海棲哺乳類ストランディングデータベース」があり、過去のストランディング事例が記録されています。

「ストランディング」とは「座礁」という意味で、クジラやイルカが海岸にうちあげられることを指します。しかし広義のストランディングにはアシカやアザラシなど海の哺乳類全般が含まれますし、海岸に漂着した例だけではなく、港に迷入した例、タマちゃんのように河川に現れた例も含みます。海の哺乳類を陸から観察できる機会は少なく、また、ストランディングすると生きて海に帰すことが困難なこともあります。そういった事例を記録しておくことと後々役に立つこともあるはずで、非常に意義があるデータベースと言えます。このデータベースをさっそく活用してみましょう。

2001年以降、北海道以外でのアザラシ科動物のストランディング例がどれぐらいあるのかを検索してみました。北海道ではアシカ・アザラシのストランディングは珍しくないので除外しました。
結果は37件です。これには当然タマちゃんも含まれます。だいたい年に4回ほど発生しているわけです。
種類は次の通りです。

ゴマフアザラシ=20件
ワモンアザラシ=7件
アゴヒゲアザラシ=5件
ゼニガタアザラシ=2件
種不明アザラシ=3件

ゴマフアザラシが半数以上です。
場所は北は青森県から南は宮崎県まで広範囲にわたります。東北がやや多いようですが意外と場所はばらついています。関東での例は7件あります(今回のアラちゃんは含まない)。つまりほぼ毎年のようにやって来ているのです。数も少ないので全部並べてみましょう。

2001年10月、ゼニガタアザラシ、千葉県館山市、湾内迷入
2002年8月、アゴヒゲアザラシ、東京都大田区、河川迷入(いわゆるタマちゃん事件)
2003年10月、ゴマフアザラシ、茨城県守谷市、河川迷入(地図を見ていただけるとわかりますが、利根川をかなりの距離遡上しています)
2004年3月、ゴマフアザラシ、千葉県鴨川市、漂着
2007年4月、ワモンアザラシ、茨城県日立市、漂着→飼育
2009年8月、ゴマフアザラシ、神奈川県葉山町、 湾内迷入
2010年1月、ワモンアザラシ、千葉県いすみ市、港内迷入→飼育

河川で目撃された例は2件です。

以上をまとめると、
「関東の川でアザラシが目撃される確率は5年に1度ぐらい。ゴマフアザラシの可能性が高い。」
ということがわかります。
つまり、アラちゃん事件は統計的に予言されていたことなのです。

ところで、アシカ・アザラシあるいはクジラ・イルカもそうですが、これらの海の動物を陸上から観察できる機会は非常に少ないものです。ですので、専門家による調査をぜひ優先させてください。一般の方々は騒がず、できるだけ遠くから見守ってください。特にマスコミはボートなどで無理に接近しないようにお願いします。

アザラシが川をかなり上流までさかのぼることについて驚かれる方は多いでしょうが、地理的には不思議なことではありません。荒川あるいは江戸川、利根川など関東平野を流れる川は下流域ではほとんど標高差が無い平坦な地形となっています。ですので下流といっても潮の干満がわかるほどです(荒川の場合は北千住の辺りでは確実に干満がわかるのを自身で確認している)。
また、今回の目撃地点は荒川で最も下流の堰です。アザラシから見れば「何だか狭い海峡だな〜」と思いながらうっかり志木市までたどり着いてしまったのかもしれません。
アゴヒゲアザラシもゴマフアザラシも河川で目撃される例はありますので、あり得ない話などではありませんし、驚くことでもありません。


今回の事件に関係して私が書いたものをいくつか紹介しておきます。

Vol. 185(2003/8/3)[今日の事件]アシカ・アザラシの過去のストランディングを検証する

ここでも国立科学博物館の「海棲哺乳類ストランディングデータベース」を使用して、1981年〜1999年の統計を分析しています。ただ、当時は情報収集の仕組みが十分ではなかったため、報告された目撃情報も少なめになっている可能性があります。

タマちゃんとの正しいつきあい方」(数研出版)[PDF]

これは当時、学校の先生向けの冊子に書いたものです。

もうひとつ、拙著「動物の見つけ方教えます」でもタマちゃん事件の経緯と、「海棲哺乳類ストランディングデータベース」を使った統計的分析(上記記事とほぼ同じ内容)をしています。


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