[ON THE NEWS]
2月3日、東京都町田市の動物プロダクションで、飼育係の男性が飼育しているベンガルトラにエサを与えようとしたところ、首にかみつかれ、間もなく死亡した。トラは麻酔をかけられた後、薬殺された。普段このトラにエサをあたえていたのは別の飼育係だったが、この日は死亡した飼育係が代わりにエサを与えたという。
このトラについては東京都に届け出が出ておらず、また入手方法も不明な点があり、「ワシントン条約」に違反している疑いも持たれている模様。
(SOURCE:朝日新聞(東京版)2000年2月4日朝刊)[EXPLANATION]
動物関連のことが新聞の1面に載るときというのは、トキ関連か、猛獣が人間を殺した場合かのどちらかに限るような気がするのですが、今回の事件も見事1面を飾ってしまいました。動物がこういう注目のされ方をするのはあまりうれしいことではありませんが、1面扱いには違いありませんので、取り上げてみました。
さてこの事件、「トラってやっぱりこわいね〜」だけで済ませられる単純な事件ではなく、いくつかの要素が混在した事件なのです。その要素を1つ1つ見ていきましょう。・猛獣を飼うには都道府県への届け出が必要
意外に知られていない事かもしれませんが、ある特定の動物(猛獣とは限らない)を飼育する場合、都道府県に届け出なければなりません。東京都の場合は、「動物の保護及び管理に関する条例」で届け出なければならない動物(「特定動物」)を定めており、衛生局がこれを管理しています。他の都道府県でも同様の条例があり、届け出は義務づけられています。と、書いたものの私もその条例を読んだことがあるわけではないので、あまり詳しくは知らないのですが、東京都の特定動物にはトラ、ゾウ、ヘビ、サルなどが含まれているようです。ここから類推すると、大型動物や危険動物は届け出の対象になるようです。また、危険な動物の場合は飼育容器についても指定している条例も多いようです。
ただ、実際には届け出をしていない例が多いだろう事は容易に想像できます。今回の事件もそういう一例だったわけですが、企業、しかも動物を専門に扱う企業が届け出をしていなかったというのは驚きです。最近ではなにやらあやしい動物を扱っているペット屋も多く、条例の実効性には疑問があります。この条例については一度詳しく調べてみたいと思っています。・ワシントン条約
今回の事件のトラについては、動物プロダクション社長が「転売目的で購入した」と話していますが、法律的に不正な入手をした疑いが持たれています。というのも、トラは「絶滅のおそれのある野性動植物の種の国際取り引きに関する条約(CITES)」、通称「ワシントン条約」によって商取り引きは禁止されているからなのです。「転売目的」では完全に同条約にひっかっかってしまうわけです。
では、動物園のトラはどうなのかというと、同条約が発効した1975年以前は別として、それ以後は学術研究、動物園での繁殖以外では輸入はできないようになっています。しかも、今回のベンガルトラのように絶滅の危機に瀕している種類ではそういう目的であってもなかなか輸入することはできないようです。
輸入した後でも「絶滅のおそれのある野性動植物の種の保存に関する法律(種の保存法)」によって、譲渡には環境庁の許可が必要になります。この法律はワシントン条約を履行するための国内法にあたります。つまりワシントン条約にリストアップされている動物は、国内においてもこの法律によって管理されなければならないわけです。そして、今回の事件のトラは環境庁の記録には残っていなかった、ということでますます違法性が問われることになるわけです。・トラにエサを与える方法
今回の事件で信じられなかったのは、死亡した飼育係がトラと同じ部屋にいた、ということです。サーカスのトラならまだしも、このトラは特に芸をするわけでもなく、完全に人間に慣れていたとは言えないようです。「動物プロダクション」というと、TV番組やコマーシャルで注目を集める芸のできるイヌやネコやサルを想像される方も多いと思いますが、単に写真や映像の対象になるだけの普通の動物もいるわけです(例えば、爬虫類なんかは芸を覚えることすらできない)。このトラも転売目的だったのならば、しつけもちゃんと行われなかった可能性があります。
まあ、人間に慣れていようとそうでなかろうと、猛獣飼育の基本は「人間から完全に隔離する」ということです。人間と直接に接することを極力避けるようにしなければなりません。エサを与えるために同じ部屋に入るなどもってのほか。動物のプロであるはずの会社でこのような事件が起こったということは、社員の基本教育がちゃんとされていないのではないかとの疑問を持たざるを得ません。・トラは殺されなければならなかったのか
このトラはその日のうちに薬殺処分されたのですが、これにはまだ続きがあって、事件の翌4日、動物保護団体「地球生物会議」が「希少動物が事件解明前に薬殺されたことは疑問」とのアピールを環境庁と東京都に送っています(朝日新聞(東京版)、2月5日付朝刊)。
確かにごもっとも。絶滅の危機にある動物なのですから、そう簡単に殺してしまっていいものではありません。ただ、これまでの経過を踏まえて今後のトラの扱いを考えてみると、やはり殺処分という結果は逃れられなかったかもしれません。このトラが現在の会社に買われたのが1997年。ワシントン条約も、それに関する国内法も存在した時期ですから、それ以前から国内で飼われていた、ひょっとすると、産まれたのも国内だった可能性も考えられます。いずれにせよかなりの長期間人間に飼われていたわけで、他のトラとの接触もなかったのではないかと思われます。現在日本でトラを引き取ってくれるところは動物園以外はありえないでしょう。しかし、動物園としてもいきなり素性のしれないトラを引き取っても、すでに飼育している群れにいきなり入れるわけにはいきません(トラはなわばり意識が強い)。となると、このトラは1匹だけ隔離して飼育しなければならず、動物園としては非常に面倒なことになってしまうわけです。もし動物園が引き取ってくれなかった場合は、この会社で飼い続けるわけにもいかないでしょうから、殺処分ということになったでしょう。
今回の事件は新聞でもテレビでも大きく報道されましたし、なにしろ絶滅の危機にある動物ですから、動物園が引き取る可能性は高かったかもしれません。警察の調査も終わらぬうちの殺処分は早すぎた結論だったと言えます。
と、このように今回の事件は単純に「猛獣が人間をかみ殺した」というだけのものではありません。希少動物の取引や動物の処分など、派生する問題にも注目しなければならない事件だったわけです。センセーショナルな部分ばかりが報道され、あっと言う間に忘れ去られてしまわないよう、マスコミには追跡取材を希望します。
追記
2月8日付け朝日新聞(朝刊)の天声人語でこの事件が取り上げられました。趣旨は、「本当にトラは殺されなければならなかったのか?」という疑問を提示するものでした。
この中で興味深いコメントがありますので抜粋しますと、
出動した警視長町田署「おりはちゃちで、麻酔が解け興奮状態になると、壊れるかもしれない。逃げだせば、人間に危害が及ぶ恐れもある」
多摩動物公園職員「実は警察から一時的にでも引き取ってもらえないかと打診されたが、お断りした。不衛生きわまりない飼い方で、引き取れば動物公園そのもの衛生状態が悪くなり、ほかの動物にも影響が出かねなかった。」
動物園が動物を引き取らないというのは、実は常識です。動物園も当然ながら限られた予算と設備で運営されているわけですから、計画外の動物を持ち込まれても、それを飼育することは不可能なのです。また、一度引き受けると次から次へと動物が持ち込まれることになるため、一律に断らなければならない、という事情もあります。昨年夏、東京都心を逃走したニホンザルは現在、高尾自然動植物園にいますが、ここはニホンザルを多数飼っているための例外的な事例でしょう。このサルはなかなか集団になじめないと伝えられていましたが、今はどうなっているでしょうか。仲間から隔離され、人間との接触が長くなるほど、動物を野生に戻すのは難しくなります。
2月12日の朝日新聞(東京版、朝刊)によると、今回の事件のトラは国内で生まれたトラであることが判明しました。生後3ヶ月で業者が購入したそうですから、このトラはそれ以降単独でオリの中で飼われていたのでしょう。これは私の予想通りだったわけです。これでは野生に戻すことは不可能、動物園で飼育するにも他のトラとなじめないことが予想されます。
以上のような事情を考えると、薬殺処分も仕方のないものだったと思われます。もちろん殺処分以外の方法が望ましいのは当然ですが、私はこの処分方法を否定したくありません。
ただ、このトラは人間の欲望の犠牲になったのだ、ということは忘れてはならないことだと思います。
(2000年2月13日)