多摩川に現れたアゴヒゲアザラシは、しばらく姿を消した後、今度は川崎市の鶴見川に姿を現しました。アゴヒゲアザラシに見物客が群がる「タマちゃん騒動」はまだ続いています。今回は法律論はさておいて、このアザラシをどうするのが最も適切な対処方法なのかについて、意見を書いてみたいと思います。
原則1 野生動物に人間は介入しない
野生動物を保護するならば、人間が介入しないのは当然の原則です。野生動物が本来の生息環境の中で生活することが最大の保護なのですから。狩猟は当然論外です。生息地に人間が侵入することも好ましくありません(狭い日本では限界がありますが)。生息地を破壊することはさらに悪いことです。
捕獲して人間の管理下で飼育する動物は、絶滅の危機にあるような特別な動物に限られるべきです。
この原則に従うと、今回のアザラシが野生動物ならば、人間は何もしてはいけないということになります。
原則2 飼育個体は野生に戻さない
人間が飼っていた動物は、野生に戻すことなく死ぬまで飼うというのがこの原則です。人間に飼われていた時間が長いほど、動物は野生で生きる能力を失います。野生に戻しても再び人間の近くに戻ってきてしまう例も多くあります。
ケガをした野生動物を保護・治療して野生に戻すという場合はどうでしょうか。こういう話は美談に聞こえます。しかし、自然環境の中で動物が死ぬというのは日常的な風景です。目の前の1動物を助ける意味は本当にあるのでしょうか。この問題には賛否あるのですが、原則1に従えば何もしないことが正しいことになります。
飼育動物を野生に戻すことには別の問題もあります。例えば日本各地で見られるアライグマ。これらのアライグマはペットとして飼われていたものが、人間が故意または人間の意図とは別に屋外に出たものが繁殖したものです。アライグマは北米原産ですが、地域ごとにいくつかの亜種に分けられます。日本にいるアライグマを北米に戻すならば、元の生息地を特定できなければなりません。間違った場所に戻すと遺伝子をかく乱することになります。これらの亜種が交雑した子孫の場合には、戻すべき場所はないことになります。アライグマを捕獲しても北米に戻すのは、現実的には難しいことでしょう。この2つの原則に従えば、対処方法は明快です。
原則1に従えば、「そのままにしておく」という結論になります。アゴヒゲアザラシは数が少ない珍種ではありません。捕獲する理由は何もないのです。このアザラシはそのままにしておくのが正しいのです。
もし、アザラシが飼育個体ならば、原則2により、ただちに捕獲して死ぬまで飼育すべきです。ただしあのアザラシが飼育個体だったという証拠がありません。そのため、野生個体と見なさざるをえず、やはり原則1が適用されることになるのです。このアザラシについての反響があまりにも多かったためか、行政側も「アゴヒゲアザラシに関する連絡会」を発足させました。メンバーは環境省(自然環境局関東地区自然保護事務所東京支所)、国土交通省(関東地方整備局京浜工事事務所)、神奈川県(環境農政部緑政課、環境農政部水産課)、横浜市(繁殖センター)です。8月30日現在の同連絡会の方針は「当面は、監視はするが保護はしない」となっています。上で述べた原則から見ても、この方針は妥当なものです。
ところで、東にアザラシが現れた一方で、西にはコウノトリが現れました。コウノトリの方はアザラシ・フィーバーとは対照的に、静かに見守られているようです。コウノトリの知名度の低さ、人口の少なさ(豊岡市の人口は約5万人)といった条件の違いはあるものの、同じ「迷い込んだ動物」なのに扱いは雲泥の差です(コウノトリの方が希少種なのに!)。もっとも、動物にとっては静かに見守ってくれる方がありがたいことです。だからといって、現場のコウノトリの郷公園が何もしていないわけではありません。日の出から日の入りまで、連日監視を続けています。野生のコウノトリの行動を国内で観察できる機会はめったにありません。このコウノトリがもたらす情報は後々役に立つでしょう。アザラシに比べると、コウノトリの方は非常に理想的な状態に置かれているといえます。
「タマちゃん騒動」という表面的な現象に惑わされてはいけません。私たちは野生動物とどうつきあっていくか、この機会にじっくりと考えてみてください。