Vol. 160(2003/2/9)

[OPINION]タマちゃん騒動の違和感

今さらながらタマちゃんの話です。
「タマちゃん」は2002年の「日本新語・流行語大賞」の大賞に選ばれるほどの抜群の知名度を得た「事件」でした。でも、この半年ほど私はたびたびこの「事件」について考えてきました。この事件には何かもやもやとした違和感があったからです。
実は、動物学者や自然保護関係者の多くも、私同様にタマちゃん騒動に違和感を感じているのではないでしょうか。彼らは、あきれ、怒り、あるいは無視しているのでしょう。タマちゃんを「かわいい」「いやされる」と感じた一般の人たちの反応とは明らかに違うものです。
この違和感について、年が明けてから私はもう一度考えてみました。何が違和感を感じさせるのか?
で、その結論が以下の3つなのです。

・他にも重大な問題がある

アゴヒゲアザラシは保護すべき動物ではありません。正確な生息状況は情報不足なのですが、絶滅の危機というほどではありません。そのような動物をわざわざ保護する理由はまったくないのです。
そんなことよりも、もっと大切な問題は世の中にはたくさんあります。タマちゃんと同時期に現れた野生コウノトリの方がずーっと大切なニュースなのです。絶滅の危機の動物はたくさんいます。
それなのに、見物客もマスコミもタマちゃんに多大な時間とコストをかけている。これは実にへんてこな現象です。

・観察のマナー

野生動物を観察するにあたっては、マナーがあります。マナーにもいろいろあるのですが、一番大切なものを挙げるとすれば、

「無理に近づかない、大声を出さない、食べ物を与えない」

ということになるでしょうか。
タマちゃん騒動では、これらがまったく守られていない最悪の状況でした。ニュースなどを見る限りでは、食べ物を与えている姿は見られませんでしたが、実際には食べ物を投げつけた人が絶対いるはずです。
自然観察とは、自然のあるがままの姿を見つめることです。人間自身の存在を可能な限り小さくし、動植物に対しての影響を極力減らさなければなりません。野生動物が人間に気づいて警戒するようでは、本来の生態を観察することはできません。こういうことは研究者や専門家は当然知っていることですよね。
タマちゃん騒動は本当に最悪でした。しかもマスコミ報道はそれをあおる結果になりました。もし、マスコミで専門家がこれらのマナーを指摘していればもう少し改善されたかもしれません。しかし、マスコミはそういうことをしないんですよね。ちなみに、ワイドショーに登場する「識者」は社会の識者ではあっても、動物の識者ではありません。こういう場合はちゃんとした専門家を呼ぶべきです。

・タマちゃんはかわいい?

この10年以上、何でもかんでも「かわいい」と表現してしまう言語状況があります。当然のごとく、タマちゃんも「かわいい!」となってしまいました。
でも本当にかわいいですか?
私には野生動物を「かわいい」と思う感覚はありません。野生動物を観察し、写真を撮り、ビデオを撮るという経験をしていくと、対象の動物をまずじっくり見るという行動が身に付いてきます。動物の種類は? 今、何をしている? 次にどういう行動が予想される? どこまで近づける?…等々、瞬時に判断しなければならないことがたくさんあるのです。そこに「かわいい」という抽象的な感情は入り込む余地はありません。

「かわいい」とは、「大辞泉」によれば

1 小さいもの、弱いものなどに心引かれる気持ちをいだくさま。
2 物が小さくできていて、愛らしく見えるさま。
3 無邪気で、憎めない。すれてなく、子供っぽい。
4 かわいそうだ。ふびんである。

といった意味だそうですが、えー、タマちゃんはどれにもあてはまらないような…。
あらゆるものに対して「かわいい」と言う風潮は、言語表現を非常に貧しくする結果になったと私は思っています。つまり、あるものについて「かわいい」と言葉にした瞬間に思考が停止してしまい、それ以上の深い追究がなされなくなってしまうのです。一種の「レッテルはり」ですよね。何でもかんでも「かわいい」と言うようになってしまったために、物事の本質が見えなくなってしまったと言えます。
野生動物に対しての「かわいい」という発想は危険なこともあります。例えばアザラシの場合、かわいいからとなでようとすると、かみつかれたり後脚ではたかれたりする危険があります。アザラシはイヌやネコの仲間ですから、犬歯は大きいです。かみつかれたら流血確実です(イヌ・ネコの何倍もの大きさであることを忘れないでください)。
「かわいい」と思ってしまうことが命取りになることだってあるのです。


私が感じた違和感をご理解いただけたでしょうか。これらの違和感は私だけが感じた特別なものではなく、多くの専門家も同感してくれるものと思います。この違和感を一般の方にも理解していただけるよう、専門家は宣伝広報活動の努力をしてほしいのですが、それを伝えるマスコミが一番理解がないのが最大の問題かもしれません。


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