ストランディングオペレーションセンター創設の提言
(前回から続きます。)
*用語について 以下では「ストランディング(stranding)」という言葉を多用します。「ストランディング」は「座礁」という意味で、クジラ・イルカが海岸に打ち上げられた状態を一般に指します。広い意味では、死体の漂着、ケガをした海棲哺乳類、油まみれの海棲哺乳類も含み、タマちゃんのように本来の生息地から遠く離れてしまった海棲哺乳類の状態も含みます。
昨年夏から続く「タマちゃん騒動」の原因は、ストランディングに対処できる公式な組織が十分ではなかったからである、というのが私の考えです。
今回はまず、アメリカでの事例の紹介、日本での現状の説明をし、後半はストランディングに対処する組織の創設の具体的提言をします。
アメリカではストランディングにこう対処している
私自身はアメリカでの事例を直接知っているわけではありませんので、以下の本を参考にしながら解説していきたいと思います。
ストランディングフィールドガイド 海の哺乳類
著:Joseph R.Geraci/Valerie J.Lounsbury
監訳:山田格(やまだ・ただす)・天野雅男(あまの・まさお)
発行:海游舎
価格:7210円
初版発行日:1996年8月10日
ISBN4-905930-74-X
この本について紹介しますと、アメリカでのストランディング関係者のための「教科書」というべき内容で、非常に実践的なものです。ストランディングの事例解説、生物学的な解説、解剖学だけではなく、法律について、組織について、訓練、装備、見物人の管理、マスコミへの対応など、現場で作業をする人たちにとって非常に役に立つことが書かれています。タマちゃんについてああだこうだと言う前に、まず読んでもらいたい本です。
さて、この本の原書は1993年の発行ですので、もう10年も前のものです。現在では若干変わったことがあるかもしれませんが、とりあえず本書の内容に従って説明します。それでも内容が古いという心配は無く、すでに10年前にここまで完成したシステムができていたということには驚かされます(日本はそれに追いついてさえいない)。
「アメリカのまねをするのが正しいのか!」などと思う方がいるかもしれませんが、このアメリカのシステムは非常に良くできていますし、学ばねばならないことがとてもたくさんあると思います。まずはこのシステムを知ってから批評してください。アメリカでは、ストランディングについては「合衆国海棲哺乳類保護法」という法律に基づいています。管轄は国立海洋漁業局(NMFS)で(一部の種は合衆国魚類野生動物庁の管轄)、ストランディング救出の許可はここが出します。
アメリカ各地には「ストランディングオペレーションセンター」があり、ストランディングに常時対応できる態勢になっています。オペレーションセンターは水族館や研究機関など専門家によって運営されています。
ストランディングオペレーションセンターの仕事は、ストランディング情報の受付、対応のコーディネートが主業務になります。この他にも、スタッフやボランティアの訓練、行政機関との連絡・連携、行政機関への報告、通常の広報活動、データの収集などがあります。
現場でもストランディングオペレーションセンターが中心的な立場になりますが、状況によってはいろいろな協力が必要となります。例えば獣医、研究者、NPO、警察、行政機関など、時には現場に居合わせた見物人からボランティアを募る必要もあります。このアメリカのような組織が日本でも整っていたならタマちゃん騒動はどうなっていたか、ここで架空の話をしてみましょう。
最初に多摩川でアゴヒゲアザラシが目撃されたとの通報が入ります。ストランディングオペレーションセンターは直ちにチームを現場に派遣し、状況を確認します。この時、見物人には近づかないようにお願いします(警察と協力する)。実際にはロープを張るなどするかもしれません。状況が確認できれば、見物人にこれを説明する場を設けます。この時、近づいてはいけない理由、大声を出さないエサを与えないなどのマナーの説明もすることになるでしょう。マスコミに対してはこれとは別に説明の場を作り、状況の説明や取材時の注意などをお願いします。この一般への説明、マスコミへの説明というのは非常に重要で、タマちゃん騒動ではこれが無かったためにわけのわからない方向へ進んでしまったと私は思っています。
さて、アゴヒゲアザラシの対処方法ですが、ケガをしているなど早急な対応が必要な場合は現場のチームが即時対応します。今回は特に異常は認められないので、そのまま様子を見るということになるでしょう。ただ、本来の生息範囲から離れているため、生息地へ移送するかどうかの判断が必要になります。こうなるとさらに専門家の意見を求め、捕獲方法、移送方法、関係機関(行政・運輸会社)の協力、予算、機材などを検討し、安全な移送が可能かどうかの検討になります。移送するかどうかの決断は、このタマちゃんの場合は相当もめることになるでしょう。その決断がどうなるかはここで予測するのはやめておきましょう。
もし、アゴヒゲアザラシを放置することになっても、可能な限り監視・観察が続けられ、動物にとって万全の環境が維持されるような活動が行われるでしょう(当然だが、エサをまいたりはしない)。
以上が仮想のストーリーですが、現実の騒動と比べれば、はるかにはるかにまともな経過になったであろうことは間違いありません。
日本ではストランディングにこう対処している
まず、日本のストランディング状況の概要を説明しましょう。
・把握されているのは年間100〜200件(混獲、港への迷入も含む)
・ほぼすべてがクジラ・イルカ
・約半数は生存漂着、残りの約半数は死体漂着
・アザラシ類・アシカ類年間十数件程度。多くは北海道。
・マス・ストランディング(多頭座礁)の件数はかなり少ない日本でクジラ・イルカのストランディングを管轄しているのは水産庁です。アシカ・アザラシ・ジュゴンの場合は環境庁かもしれません(鳥獣保護法の対象なので)。
ストランディングの科学的情報を収集しているのは国立科学博物館と日本鯨類研究所で、通報があればできるだけ現地に向かうようです。ただし、座礁したクジラ・イルカを救う場合は迅速な対応が必要になりますので、遠隔地では間に合わないので行けないこともあるようです。現場で実際に作業をするのは、上記の国立科学博物館と日本鯨類研究所の他、最寄りの動物園・水族館職員、哺乳類研究者、獣医、水産庁関連機関の職員、都道府県の漁業担当部署、市町村職員、漁業関係者、警察などなど状況によっていろいろな人がかかわります。ですが、十分な知識と経験を持って現場を指揮できる人がその場にいるとは限らないため、時には場当たり的な対応(はっきり言えば不適切な対応)になる可能性もまったく無いわけではありません。
場当たり的な対応になることもあると書きましたが、公開されたストランディング対処法もあります。「座礁・混獲した鯨類への対処法」(http://www.e-kujira.or.jp/zasyou/zasyou0.html)というのがそれです。この文書は「鯨ポータル・サイト」内にあるのですが、このサイトは日本鯨類研究所(http://icrwhale.org/)など「クジラ捕鯨賛成派」によるものなので、不愉快に思う方もいるかもしれません。しかし、この文書にもあるように、水産庁の基本方針でも「生きているものは生かしたまま逃がす」であり、決して殺して食うというものではありません。この文書はマニュアルとしては評価できる内容と思います。
さて、クジラ・イルカは水産庁の管轄ですが、アザラシ類となると管轄がどこなのかかなりあいまいになります。川に出現すると国土交通省または都道府県、漁業がからんでくると都道府県の漁業部門、捕獲がからんでくると環境省…と対処する組織が時と場合によってばらばらになっています。しかも、必ずしもアザラシの専門家ではないため、対処の内容も筋の通ったものになるという保証がないのが現状です。
もちろん、国立科学博物館が関わっている場合もあります。現在の日本での問題点をまとめると次のようになります。
・対応する組織が一定していない
・統一された基準・手順が無いため、対処法が一定しない
・専門家が常に関わっているというわけではない
・リソース(機材・人材)が不足している
・経験の蓄積が難しい
「ストランディングオペレーションセンター」創設の提言
上記の問題点を克服するためには、ストランディング専門に活動する組織を作るべきである、というのが私の提言です。この組織名は、アメリカの例にならって「ストランディングオペレーションセンター」(以下「SOC」)と仮に呼ぶことにします。
まず、目的について(「ストランディングフィールドガイド」を参考にしています)。
・ストランディングした海棲哺乳類の幸福をもたらす最良の処置を迅速に行う
・処置の際に一般の人を保護する
・海棲哺乳類とストランディングの科学的な情報の蓄積
・統一されたストランディング対処法の確立
・研究者への研究材料、情報の提供
・一般の人への教育・広報活動対象となる動物は次のようになります。
クジラ目(日本近海に生息するもの全種)
食肉目アシカ科、アザラシ科(日本近海に生息するもの全種)
ラッコ(食肉目イタチ科・まれだろうが、可能性はゼロではない)
ジュゴン(海牛目ジュゴン科)中心になるのはクジラ・イルカです。それ以外の件数はかなり少ないので、上記の全部をまとめて扱った方が組織の効率はいいでしょう。
私個人の興味ですが、打ち上げられた魚類も対象に加えたいところです。といってもあらゆる魚類を対象にしてはきりがありませんから、「巨大魚」、目安としては人間よりも大きな魚、としておいた方がいいでしょうか。例えば、メガマウスザメやリュウグウノツカイといった種類です。研究者にとっては貴重な研究対象ですので、研究者がすぐにアクセスできるように便宜を図ってもいいのではないでしょうか。組織の運営形態ですが、行政機関ではなく、NPOのような形が良いのではないかと思います。その理由は、
・国レベルから地方自治体レベルまで、また民間部門なども含め、非常に多くの組織との連携が必要となる一方、迅速な対処が求められるため
・本来の仕事を持つ研究者にも参加しやすくするため
・ボランティアにも参加しやすくするため
といったことです(個人的には「商業捕鯨に関する論争から切り離したい」という希望もあります)。
運営のための資金をどう調達するかについては、かなり複雑な話になるのでここでは省略します。ただ、資金の問題はとても重要なことであり、避けられない問題です。組織の構成は、「SOC本部」「SOC支部」「ボランティア・スタッフ」の三段構成を想定しています。
SOC本部
SOC全体の統括を行います。主要メンバーは専門家で構成するべきでしょう。
微妙な状況での判定、中央省庁との連絡、全国の情報の収集と分析、広報活動、一般教育、スタッフ教育・訓練を行います。SOC支部
各地域での作業を担当します。地域の範囲は、細かく分けすぎると出動回数が極端に減ってしまいます。逆に守備範囲が広くなりすぎると現場到着までに時間がかかってしまうことになります。北海道・東北・関東・東海…といった地方区分ごとに設置するのが妥当かと思われます。この場合、月に1〜2回の出動が見込まれます。ただし、北海道はアザラシのストランディングが多いので、若干多めになりそうです。
支部も専門家が多く関与するような構成が望ましいでしょう。
支部ではストランディング情報を常時受け付ける態勢が必要になります。ストランディングが発生した場合は、必要な人員、機材を直ちに手配します。現場ではリーダーとして作業を指揮します。
支部がやることはとにかく広範になりそうで、研究者、行政機関との連絡、ボランティア・スタッフの管理、各種交渉といったものの他、通常時でもボランティアや一般への教育活動も必要になります。ボランティア・スタッフ
ストランディングが発生した場合に現場にかけつけ、作業を補助する人たちです。誰でもできるというものではなく、事前に講習会・訓練を受講することが必須となります。
マス・ストランディングの場合は、現地でボランティアを臨時に募る場合もあるかもしれませんが、作業の安全を確保するよう注意が必要となります。
(こう書くと、私もやってみたい!と期待される方が多いかもしれませんが、実際は見物人の整理とか、機材の準備とか、雑用が多くなると思います。)本部・支部には常勤職員を置くべきでしょう。研究者の方々には本業があるでしょうから、必要に応じて出動してもらうという形が良いのではないでしょうか。
ところで、誤解してほしくないのですが、この案は現在のシステムを壊すのではなく、現在のシステムをうまく拡張していくような形を想定しています。やはり中心になってほしいのは、国立科学博物館、日本鯨類研究所であり、水産庁・環境省の支援もほしいのです。
現在は研究者やたまたま現場になった自治体の行政担当者がいろいろな負担を抱え込まざるを得ない場面がどうしても出てきます。例えば研究者にとっては科学的な調査を優先したいのですが、行政との連絡やマスコミへの対応、見物人の管理などなど各種の雑用も同時にこなさなければなりません。その雑用を肩代わりしよう、というのもSOCの目的なのです。また、不慣れな行政担当者にかわって適切な対処を行うことも目的のひとつです。最後に、私なりにSOCの目的をまとめますと、
・公開されたプロトコル(作業の基準、手順)の作成
・専門家による判断
・訓練された人員の養成
の3つだと思います。
ここで、この提言の最初に戻って考えてみましょう。
「タマちゃん騒動をなんとかしてくれ!」「タマちゃんの適切な処遇を、誰かが責任を持って考えてほしい」と思っている方は多いはずです。ストランディングオペレーションセンターはその解決方法として最適ではないでしょうか。
それにしてもこの捕獲騒動、しばらく尾を引きそうないやな予感がします。上記の提案が無理でも、タマちゃんに関しては、至急複数の専門家による声明を出し、沈静化をはかってほしいものです。
ストランディング対処法に興味がある方は、上記で紹介した「ストランディングフィールドガイド」をぜひご一読ください。というか、議論の前に、とにかく読め!