Vol. 168(2003/4/6)

[今日の常識・非常識]タマちゃんをめぐる8つの誤解(後編)

タマちゃんは衰弱してきている

答:おそらく問題ありません

タマちゃんについては一時期、「やせてきた」「やつれてきた」あるいは「(毛が)汚れてきた」などといった声があったりしました。しかし半年経過してみた現在、タマちゃんの様子はどうでしょう? 外見から見る限り特に問題も無さそうで、心配するほどでもなかったようです。
多くの人は、タマちゃんをテレビや雑誌などを通してしか知らないと思いますが、これらの映像・写真は見る角度も距離も、撮影日時もばらばらで、太った・やせたを比較するにはかなり不適切な材料と言わざるを得ません。「太った・やせた」比較をするならば、最も適切なのは体各部の大きさや体重を計ることです。しかしこれは現実的ではありませんので、次善の策として「できる限り同じ条件で撮影された映像・写真で比較する」という方法をとらねばならないでしょう。具体的には、可能な限り同じ距離、同じ機材、同じ倍率で撮影しなければならないのです。こういった手続きを踏まずに太った・やせたを論じるのは意味がないことです。
アザラシ類の場合、毛が生え変わったり(換毛)、食料の量で多少の体重の変動がありうるでしょう。つまり長期的に観察する必要もあるわけで、短期的な変化に一喜一憂するのは感心しません。もっとも、急にやせるような場合は危険な兆候です。いずれにせよ定常的な観察は欠かせないということです。そして、その観察・健康状態の判断は専門家に任せるべきでしょう。
ところで、タマちゃんはまだ子どもですのでこれから伸び盛りなのですが、そうなると今度は「激太り!」などと騒ぎが起きそうで、これまた心配です。アゴヒゲアザラシのおとなは体長最大2.5m、体重300kg以上になるそうですので、少々太ったぐらいでは騒ぐ必要はまったくありません。


こんな南にアザラシが来る、これは天変地異の前兆だ

答:それを証明することは誰にもできません

前回の「4」でも書いたように、アゴヒゲアザラシが東京湾に現れるのは珍しいことですがありえないことではありません。もうちょっと詳しく書くと、本州以南にアザラシ類が現れるのは年間2〜3件ほど、アシカ類が現れるのは年間2件ほどが平均的な数字のようで、数は少ないのですが毎年確実に現れる動物なのです。これだけしょっちゅう現れていても別に天変地異が頻発しているわけではありませんよね?
また、そもそもアザラシ類全体で見れば、アザラシ類は必ずしも寒いところにばかりすんでいるのではありません。南の海にすむアザラシもいます。
動物の奇妙な行動が見られると、「地震の前兆だ」などと騒ぐマスコミが必ず現れますが、実際にそうなったことってこれまでにあるでしょうか? 地震が発生した後になって、「そういえばあんなことが…」と後付けで関係付けられることはあっても、事前の予知が成功した例はありません。地球温暖化などと関連づけられることもありそうですが、とてもたくさんの数がいるアゴヒゲアザラシの中のたった1頭の異常行動だけで温暖化と関連づけられるわけがありません。
この手の話にはだまされる人も多いのですが、冷静に考えてみれば根拠の無い話なのです。


独りぼっちでかわいそう

答:単独行動が彼らの生き方なのです

一連のタマちゃん騒動を通じて、ずっと言われ続けてきたのが「独りぼっちはかわいそう」という感想です。ですが、そもそも野生動物に対して人間的な感情をあてはめるのは正しくありません。動物というものは種類によって単独行動だったり集団行動だったりさまざまです。その動物の生態を把握してから考えなければならないのことなのです。
アゴヒゲアザラシは基本的に単独行動の動物です。他の個体と同じ氷の上に乗ることもめったにない、というほどです。2頭以上で行動するのは、おそらく繁殖期のころだけなのでしょう。「仲間といっしょにいるべきだ」というのは人間の思い込みにすぎません。
他のアザラシの場合、種によって単独生活〜集団行動までさまざまです。ゴマフアザラシは一夫一婦制、ゼニガタアザラシは一夫多妻制、タテゴトアザラシは大集団をつくる、といった具合です。


保護して北の海に戻せ

答:専門家による判断を待ちましょう

さて、もっとも難しいのがこの問題です。「何もしない」か「捕獲して北の海に戻す」かで議論が分かれるようですが、正直に言ってどちらにも理があることです。この問題では「その動物にとっての幸福とは何か?」を考えることが大切です。しかし難しいのは、このままの方が幸福なのか、移送した方が幸福なのか、判定しにくいことです。この程度のの距離なら自力で泳いで帰ることも不可能ではありません。捕獲して移送するとなるとタマちゃん自身に心身のストレスを与える可能性もあります。こういうきわどい問題は素人の手に負えるものではありません。この問題は専門家の判断にまかせるべきなのです。
こういう問題では、もちろん世論も無視できるものではありません。しかし、正確で十分な知識が得られていない現状での世論は、残念ながら正しい判断は期待できません。これは世論がバカだと言いたいのではありません。専門家による知識の普及、それを支えるマスコミの姿勢こそが本当は求められているのです。
ちなみに「動物園・水族館で飼う」という選択肢は、よほど衰弱していて人間が世話をせざるをえず、なおかつ回復後も野生復帰が好ましくない場合(人間に慣れすぎた場合など)に限られるべきでしょう。
「個人で飼う」という選択肢は論外です。まず、捕獲する段階で鳥獣保護法違反になってしまいます。そして、アザラシは個人で飼えるような生やさしい動物ではありません。さらに、成長すると2m以上にもなる動物をどうやって飼うのでしょうか。


追記

タマちゃんに関する話題では、「アザラシ(類)」と「アゴヒゲアザラシ」の話が混同されている場合が多いようです。上にも書いたように、アザラシ類は種によって生息地、生態が異なっていて、アゴヒゲアザラシの話が他の種のアザラシにも同じように通用するとは限らないのです。「アザラシ類全体の話」と「アゴヒゲアザラシの話」ははっきり区別して考えなければなりません。これらを混同すると、「アザラシは集団生活をする→タマちゃんはひとりぼっちでかわいそう」という誤りを信じ込むことになるのです。
前回・今回で書いた内容では、「アザラシ(類)」と「アゴヒゲアザラシ」は区別して書いています。この点にも注意して読んでください。


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