ウスバキトンボは日本では数も多く、最も普通に見られるトンボのひとつです。その割には知名度が極端に低いトンボでもあります。今回はこのウスバキトンボの話を延々と書いていきます。
ウスバキトンボは主に夏に見られます。ひらけた野原のような場所を集団でひらひら飛んでいる、黄色っぽい(オレンジ色にもみえる)トンボです。オスは成熟すると、背中が赤みを帯びます。
ウスバキトンボは日本だけでなく広く世界中の熱帯・亜熱帯に分布しています。本来は熱帯・亜熱帯に生息するトンボなのです。暑い場所のトンボがなぜ日本にいるのかというと、毎年熱帯・亜熱帯地方から大移動をして来るからです。北半球なら北へ、南半球なら南へと移動していくのです。最も北ではカムチャツカでの目撃報告があるそうです。このように世界の広い範囲で見られることから、最も分布が広いトンボであると考えられています。
ウスバキトンボが北へ移動を開始するのは春先です。日本へ来るのは東南アジア方面からのようです(季節風に乗って移動するといわれています)。日本でも八重山では一年中見られるといいますから、そこからも北上しているものもいるかもしれません。日本本土には4月には到着します。ウスバキトンボは日本に到着すると、池、プールなどの止水に産卵して繁殖します。卵から成虫になるまでの期間はわずか1ヶ月ちょっとという驚異的な繁殖力です。ウスバキトンボがはるか北まで飛行できるのは、実は途中で世代交代を繰り返しているからです。
繁殖を繰り返して北上して行き、東京に到達するのは7月ごろになります。この時東京で見られるものは、日本で生まれた第2世代以降がほとんどと考えられます。最も数が多くなるのは8月ごろです。ちょうどお盆の時期にあたるため、ウスバキトンボは別名「ショウリョウトンボ」(精霊トンボ)とも呼ばれています。この頃に見られるのは第3世代以降にあたるようです。
ただ、ウスバキトンボは寒さには強くありません。秋になり気温が下がるにつれて数は減っていきます。好天であれば、東京でも10月までは見られます。今年10月上旬に目撃した日は、最高気温が22度でした。ウスバキトンボの翅はぼろぼろになりやすいのですが、この時捕獲した個体はきれいな完全な翅でした。羽化からあまり時間が経っていないと推測できます。おそらく第4世代以降にあたるのでしょう。
ウスバキトンボの成虫は、気温20度前後が活動限界ではないかと思われます。幼虫はもう少し寒さに耐えられますが、日本本土の冬は寒すぎてすべて死滅してしまいます。つまり、渡り鳥のように冬になったら南に戻るということはできないのです。ただ死ぬためだけに北へ北へと飛行を続ける不思議なトンボなのです。それでもウスバキトンボが絶滅することはありません。熱帯・亜熱帯に定着しているウスバキトンボがいるため、どんどん数を増やすことができるからです。ですから、ウスバキトンボは最も絶滅から遠いトンボと言えるでしょう。さて、ここまでは図鑑などに載っていることです。
参考文献は「トンボのすべて 改訂版」(トンボ出版)、「日本産トンボ大図鑑」(講談社)です。
ここからは、本などには書かれていないことを紹介していきます。
ウスバキトンボは、上に書いたように日本でも普通に見られる種ですが、その知名度は低いものです。自然観察に慣れた人はもちろん知っているのですが(基本知識ですぞ!)、そうでない人には全然知られていないようです。
今年、ウスバキトンボを捕まえていた時、「アカトンボですか?」ときかれたことがありました。ウスバキトンボのオスはかなり赤くなるためアカトンボっぽく見えるのは確かです(ただし、赤色の「質感」はアキアカネとは異なる)。ですからウスバキトンボをアカトンボと勘違いしている人はとても多いのではないでしょうか。
正確に言いますと、「アカトンボ」という名前のトンボはいません。普通「アカトンボ」と言っているのは「アキアカネ」のことです。しかし、赤いトンボはアキアカネだけではありません。ナツアカネ、ショウジョウトンボなども赤いトンボです。
アキアカネ、ナツアカネ、ノシメトンボなどのグループは「アキアカネ属」と言います。そして、別名「アカトンボ属」とも言います(さらにややこしいことに、アキアカネ属の中にはノシメトンボのように赤くならない種もいる)。
ウスバキトンボは「ウスバキトンボ属」という別のグループですので、アカトンボとは言えません。ついでに言うと、全身真っ赤になるショウジョウトンボもアカトンボの仲間ではなく、ショウジョウトンボ属に属します(赤くなるのはオスのみ)。ややこしい〜。
そういえば、ウスバキトンボを見せたら「ナツアカネですよね?」と言われたこともありました。夏に飛んでる赤いトンボだから「ナツアカネ」。発想はいいのですが、まったく間違った推理です。で、「これはウスバキトンボといって南の方から渡ってくるんですよ〜」云々と説明すると、「どうしてそんなに詳しいんですか?」ときかれるんですよね。いや、これぐらいはトンボの基礎知識なのですよ。(「トンボをいろいろ調べてるんですよ〜(^_^)」と答えるようにしてます)。ウスバキトンボとアキアカネの違いについて、わかりやすく説明しましょう。
まず、最も簡単なことですが、大きさがそもそも違います。
ウスバキトンボの全長は、オス約4.9cm、メス約5.0cmです(私が測った平均値、サンプル数はオス14、メス17)。
アキアカネの全長は、オス約4.2cm、メス約4.0cmです(私が測った平均値、オス・メスともにサンプル数は21)。
このように大きさには明らかに差があります。捕獲して測れば一目瞭然です。慣れれば飛んでいる状態でも違いがわかるでしょう。また、翅の違いに注目もしてみましょう。写真をご覧ください。上がウスバキトンボ、下がアキアカネです。
ウスバキトンボの翅は、後翅の先端に小さな模様があります(メスは模様が薄い、あるいは無い個体も多い)[A]。アキアカネにはこのような模様はありません。
また、ウスバキトンボは[B]の箇所の翅脈(写真の赤い線)が波打つ形になっています(専門的には「第3径脈」という)。アキアカネはこの翅脈は比較的まっすぐです。
翅全体で見ると、ウスバキトンボの翅はかなり横長(翼長が長い)です。また、後翅の根元(基部)は幅が広くなっています。
この他にもいろいろな差異がありますが、あまりにも細かくなるので省略します。ウスバキトンボとアキアカネは、飛び方も違います。ウスバキトンボは、時々はばたきを止めて、滑空をします。その飛び方は「ふらふら」飛ぶような感じに見えます。この飛び方は海を越える超長距離の飛行には有利なのかもしれませんが、証拠はありません。
アキアカネの飛び方は、説明が難しいのですが、さっ、さっ、と小回りのきいた飛び方をします。はばたきを止めることはありません。あるいは、ヤンマ類のように直線的な飛び方もあまりしないように見えます。もっとも、アキアカネも数十kmを飛行することが知られており、長距離を移動する時には別な飛び方をするのかもしれません。
ウスバキトンボと同じようにふらふら飛ぶトンボは他にもいます。例えばコシアキトンボです。特に、水場から離れたところに集まるメスはその傾向があるように思えます。オスは水場から離れず、なわばりを警戒して巡回しますので、ふらふら飛ぶという印象はありません。コシアキトンボも、ウスバキトンボと同じように翼長の長い翅を持っています。飛び方と長い翅には何かの関連があるのかもしれません。鳥の場合、長い翼長は滑空飛行に向いている(あまり羽ばたかない)といえます。アホウドリがその代表です。ウスバキトンボも滑空飛行に向いているのかもしれません。ウスバキトンボとアキアカネは生態的にも違います。
真夏の平地で見られるのは間違いなくウスバキトンボです。その頃、アキアカネはどこにいるのかというと、涼しい山の上にいるのです。夏山登山をしたらトンボがいっぱい飛んでいた、という経験をされた方がいるかもしれませんが、それはアキアカネです。まだ赤くなっていないのでわからなかった人も多いでしょう。
アキアカネが平地へ下りてくるのは8月後半からです。そうすると、平地でもウスバキトンボとアキアカネがいっしょにいる可能性もあるのですが、両者が同時に飛んでいる姿はなかなか見られないと思います。それは、アキアカネはあまり飛ばないからです。長距離を飛ぶのに「あまり飛ばない」というのは変に思えるかもしれませんが、実際そうなのです。アキアカネは、例えば木の枝先やフェンスの上などでとまっていることが多いのです。ただし、平地でもアキアカネが大群となって飛ぶ姿がまれに目撃されることがあるようです。おそらく長距離移動の途中なのでしょう。
もう一方のウスバキトンボは、いつ休んでいるのか?と思うほど常に飛び続けています。気温との関係で言うと、ウスバキトンボは25度以上で活発に飛ぶようです。上にも書きましたが、最低でも20度は必要なようです。アキアカネは涼しい方が活発です。なぜ夏に山にいるのかというと、気温が低めだからなのです。つまり、避暑に行っているわけです。平地に下りてきても、気温の高い8月ごろは、直射日光の当たらない(つまり気温が低めの)林の中でよく見ます。どこまで低い温度に耐えられるのかはわかりませんが、東京では11月上旬ごろまでは観察できます。
ウスバキトンボとアキアカネの違いを延々と書いてきましたが、こんなにも違いがあるにもかかわらず、見分けることができない(あるいはウスバキトンボのことを知らない)人が多いのですよ。
今年の9月上旬、NHKテレビの天気予報でこんなことを言っていました。
「今年初めてアカトンボを見ました。暑さのせいか、ふらふら飛んでいました」
ううーん。この日は最高気温30度以上なので、それは間違いなくウスバキトンボです。そして、「ふらふら」という飛び方もまさにウスバキトンボです。あれは別にへばってるわけではないのですよ。NHKでこれですから、他のマスコミの理解度も似たり寄ったりでしょう。さて、いつもいつも飛んでいるウスバキトンボは休憩することがあるのでしょうか。もちろん、夜間はどこかで休憩しているはずですが、昼間はどうでしょう。休憩を目撃した人はかなり少ないでしょう。私も去年までは見たことがありませんでした。今年はずっとトンボを追いかけていたおかげか、休憩している姿を4回目撃できました。目撃はそう難しいことではないのかもしれません。写真はその時のものです。
気温が低い日はどこかで休んでいる可能性が高いかもしれませんが、暑い日でも休憩しているところを観察できました。
休憩場所の高度もやや高い場所(地上から2mちょっと)あり、低いところ(大人の胸ぐらいの高さ)ありで法則性はないようです。
枝にとまる姿勢は決まっていて、写真のように「ぶらさがり型」です。ウスバキトンボは、漢字では「薄翅黄トンボ」と書きます。「薄」とありますが、何が「薄い」のでしょう?
翅には特に模様や色があるわけではないので、「色が薄い」ではなさそうです。翅の先端にある薄い模様のことを指しているとも思えません。とすると、「翅の厚さが薄い」と考えるべきでしょう。ですが、誰かが実際に厚さを測ったのでしょうか。他のトンボより本当に厚さが薄いのでしょうか。
今年、私は何匹もトンボを捕まえましたが、その経験から言うと、ウスバキトンボの翅は確かに折れやすいものです。他の種類と比べても間違いなく折れやすい翅です。ということは、やはり本当に翅が薄いのかもしれません。
他にも1種、翅が折れやすいトンボがいます。都会でもよく見られるコシアキトンボです。上にも書いたように、ウスバキトンボとコシアキトンボの翅には「翼長が長い」という共通点があります。また、どちらもふらふらした飛び方をします。しかし、コシアキトンボは長距離移動はしませんので、滑空飛行に何かメリットがあるようには思えません。では、何のために翅が長いのでしょう?
この他のトンボで似たような特徴のものがいるかどうか、その生態はどのようなものか、比較していけば何かわかるかもしれません。さらに観察を続けていきたいと思います。
さて、かなり長々と書いてきましたが、ウスバキトンボについてここまで書いた文献はあまりないはずです。ウスバキトンボという知名度が低い、しかし最も普遍的なトンボの理解につながればと思います。
でも、まずは名前を覚えてください。ウスバキトンボ、ウスバキトンボをよろしくお願いします(←選挙の連呼風(笑))。