はなぬすびと【花盗人】
花、特に桜の花の枝を折り取って盗む人。はなどろぼう。
三省堂「大辞林 第二版」より
今年は花粉が非常に少ないおかげで花粉症を全然気にせずに過ごせています。何年ぶりの「正常な春」でしょうか。そして、久しぶりにサクラを楽しむこともできました。
サクラといえば花見ですが、私は大勢でわいわいがやがやというのが苦手なので花見は大嫌いです。私の花見は、ソメイヨシノを眺めるのではなく、早咲きのカワヅザクラやカンヒザクラを楽しむものです。あるいは、人がほとんど来ない場所にひっそりと咲くソメイヨシノもいいものです。さて、今春、ソメイヨシノの開花からまだ1週間もたっていない頃のことです。某公園の一角、ほとんど人が通らない場所にひっそりとソメイヨシノが咲いていました。それだけなら普通のことなのですが、その下には花がたくさん散っていました。遠くからでもはっきりとわかるほどの量です。満開にはまだ早すぎる頃です。花が散るような時期ではありません。そのソメイヨシノに近づいてみると、落ちているのは花びらではなく、花そのものであることがわかりました。花びらが1枚1枚ひらひらと落ちたのではなく、花の部分が丸ごと落ちているのです。地面に落ちているもののほとんどが花そのものでした。自然な状態では、ソメイヨシノはこのような散り方はしません。花びらが1枚ずつはらはらと落ちてくるのが普通です。
では、なぜこんな異常なことが起こっているのか…。花盗人の仕業なのか? それとも自然界のミステリーなのでしょうか…?と、もったいぶってみましたが、実は犯人は簡単にわかったのでした。その時、ソメイヨシノの木の枝には、10羽ほどの鮮やかな黄緑色の鳥がとまっていました。その鳥がソメイヨシノの花をくちばしでつまむと、その花が丸ごと落ちてくるのです。花はコマのようにくるくると回転しながら落ちてきます。何羽もの鳥がそうしているものですから、休む間もなく花が次々と落ちてくるのです。ソメイヨシノの花を落としていた犯人はこの鳥だったのです。
この鳥の正体はワカケホンセイインコです。あまりなじみのない名前でしょう。図鑑にもあまり載っていないかもしれません。よく考えると、普通は飼育鳥であるはずのインコがこんなところにいるというのも不思議です。このワカケホンセイインコは、もともとは飼育されていたものだったのは間違いありません。それが何らかの理由で(意図的にあるいは事故で)人間の管理下から離れ、野生化したのです。全国どこででも見られるというわけではなく、主に東京都とその周辺だけに生息している鳥です。数が多いわけでもないので、東京でも見たことがないという人は多いでしょう。
ワカケホンセイインコは何をしているのかというと、ソメイヨシノの花の蜜をなめているのです。普通ならば、チョウのように花が開いている側から蜜を吸えばいいところです。ウメに来るメジロなどはそのようにして蜜をなめています。ところが、インコ類のくちばしはとても太いためそれができません。そこで、花の根元あたりをくちばしでかみ切って、そこから蜜をなめるているのです。
これが証拠写真です。花の根元に切れ込みがあるのが見えます(矢印の部分)。ワカケホンセイインコの他に、ヒヨドリも同じようなことをするという話を聞いたことがあります。
実際に花の蜜をなめている現場を見るには偶然に頼るしかないと思います。ただ、人通りが多いところでは見かけないように思いますし、少なくとも花見でどんちゃんやっている所には野鳥はやってこないでしょう。人があまり来ない場所、時間帯を選べば目撃できるかもしれません。また、鳥そのものを見れなくても、木の下にはその証拠が落ちています。花に切れ込みがあれば、この場所に野鳥が来ていたのは間違いありません。ヒヨドリというと、花を食べたりするため園芸愛好家には嫌われることもあるようです。なぜ花を食べるのか不思議に思うかもしれませんが、季節的な事情をよく考えてみればわかります。冬から初春にかけての時期は、果実や種子、昆虫といった食料がほとんど得られなくなります。そのため、この季節に咲く花は鳥たちの格好の食べ物となるのです。
意外に思われるかもしれませんが、鳥は葉をあまり食べません。カモ類の中には草を食べる種類がいますが、鳥類全体では樹木の葉を食べるものはあまりいないはずです。しかも、冬にも葉がある樹木の場合、その葉は厚くて固い傾向があります。これでは消化も悪そうです。柔らかい花びらや甘い蜜の方がずっとおいしい食べ物なのです。
花を荒らされるのは気分のいいものではないかもしれませんが、厳しい季節をのりきろうとする鳥たちにも少しの同情を持っていただければと思います。