Vol. 245(2004/11/14)

[今日の事件]動物事件学への招待

その3 動物事件学の意義、そしてメディア・リテラシー

さて、ここまででは動物事件の定義と分類を見てきました。今回は、動物事件という視点を持つことの意義について述べてみたいと思います。

動物事件に注目するということは、動物や自然環境のことに注目するということと同じです。普通の人は、ペットでも飼っていない限り動物との接点はほとんどないでしょう。また、ペットを飼っているとしてもそれは飼育動物であり、野生動物のことを理解していることにはなりません。
マスコミで報道される動物事件に耳を傾けることは、居ながらにして動物観察・自然観察をすることになるのです。つまり、動物や自然環境のことが日常化するのです。動物や自然環境を身近に思えない人が多いことを私はたびたび嘆いてきましたが、動物事件というアプローチによって身近なものに感じることができるようになるのではないでしょうか。もしそうならば、それは私が望んでいることと一致します。
動物のことをより身近に感じていただくためにも、「いきもの通信」ではこれからも積極的に動物事件を取り上げていきたいと思います。

ところで、テレビや新聞などのメディアで動物事件を見聞きする上で忘れてはならないのが「メディア・リテラシー(メディアの情報を利用する能力)」の問題です。
メディア・リテラシーとは普通はメディアを利用し、使いこなすテクニックのことですが、ここで私が指摘したいのはもうちょっと深い部分のリテラシーです。それは「マスコミの言っていることは常に正しいのか?」ということです。
あなたが直接見聞きしたもの、それは「直接情報」あるいは「一次情報」と呼ばれます。新聞や雑誌、テレビの情報はあなたが直接体験したものではなく、間接的なものです。これを「間接情報」あるいは「二次情報」と呼びます。マスコミさらにインターネットの発達した現代社会においては、私たちが見聞きする情報というものはほとんどが二次情報になってしまいます。人間一人の行動範囲から考えればこれは仕方のない現実です。
ただ、ここで気をつけなければならないのは、二次情報とはマスコミというフィルターを通った情報であるということです。つまり、事件を取材した記者、編集部、会社の主観で語られる情報であるのです。
もし、動物事件を取材した記者が、動物について詳しくなかったとしたらどうでしょう。その記者の書いた記事は信頼できる内容になるでしょうか。現実問題として、動物というジャンルはマスコミ業界の中では極めてマイナーな領域であり、十分な知識を持ったマスコミ人というのは非常に限られていると考えていいでしょう。それでも、きちんと取材をすれば普通は問題のない無難な報道はできるでしょう。ところが困ったことに、時々論点のずれた変な報道になることがあります。
多くの人は「マスコミの言うことは正しい」と信じています。ですが、それは必ずしも真実とは限りません。「マスコミの言うことは本当に正しいか?」という批判的な姿勢は常に持っていなければならないのです。かといって、マスコミ報道を素人が検証することは非常に難しいことです。そこで私が勧めるのが、「専門家の発言に注意するべし」ということです。マスコミ報道では、その内容をもっともらしく、権威あるものにするために、専門家からのコメントを取り入れたりしています。そういった専門家のコメントはマスコミ人の主観とは異なる立場からのものであるので、客観的な内容であることが期待できるのです。
もっとも、その専門家のコメントも、マスコミ側が都合のいいところだけ切り取ったりすることもあるわけで、それを嫌う専門家が少なくないことも確かです。この問題は疑いだしたらきりがないことです。

この「いきもの通信」はマスコミというわけではなく、また、専門家というわけでもありません(私は学者や研究者というわけではありませんので)。それでも、マスコミ報道を無批判に紹介することはなく、独自の視点から動物事件を見すえるようにしています。そして「動物事件学」の立場からも、研究の主要な対象であるマスコミ報道は批判的(クリティカル)に分析しなければなりません。これも「動物事件学」の意義であります。そしてまた、これが「いきもの通信」の方針でもあります。今後も動物事件に鋭く切り込んでいきます。どうぞご期待ください。


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