第1回 ある夏の日、それは始まった
1995年、アスキーから「マルチメディア昆虫図鑑」というCD-ROM付き書籍が発売されました。これは当時としては画期的な「本格的パソコン図鑑」でした。そしてこれはまた、私が編集(ディレクター)を担当した製品であり、私が動物の世界に入るきっかけとなった仕事だったのでした。
発売から10年。これから何回かに渡って、「マルチメディア昆虫図鑑」制作当時のことを書いていく予定です(毎週だと時事ニュースを扱えなくなるので隔週程度で)。動物とは直接かかわらない話も多いのですが、10年という区切りの年に当時のことを書きとめておきたいのです。また、「いきもの通信」の書き手である私の原点を読者の皆様にも知っておいてもらいたいという気持ちもあります。動物とは直接関係ない話が多くなりますが、全般的には動物とマスコミ界の関係についての話でもあります。そういう視点からお読みになっても面白いかと思います。
1995年の時代状況
当時はパソコンがマニアのものだけではなく、企業でも普通に使われ始め、ようやく一般家庭にも広がり始めた時期でした。インターネットは日本ではまだ普及しておらず、モデムを使ったパソコン通信が一般的でした。定額料金の「フレッツ・ISDN」が登場したのは2000年ですから、当時の通信環境が貧弱だったことがわかるでしょう。WWWブラウザ「Netscape」が登場したのは前年1994年。1995年は本格的にインターネットが使われるようになり始めた年でもありました。一方、CD-ROMを使ったソフトウェアは既にいろいろ出ていましたが、CD-ROMドライブの普及率は低く、市場はまだ狭いものでした。しかし1995年からCD-ROMドライブを内蔵したパソコンが次々と登場して標準装備となっていき、CD-ROMソフトへの認知度は高まっていきました。Windows95が発売されたのもこの年でしたね。
アスキー社内では95年頃からホームページを見る環境ができていた記憶があるのですが、私がプライベートでパソコン通信からインターネットへ移行したのは1996年のことで、ホームページを立ち上げたのも同年の夏です。個人ホームページとしてはかなり早い時期だと思います。そして、今も継続していることは自慢できることでしょう。
ちなみに、アスキーはパソコンに関しては当時先端を行く企業で、1990年に私が入社した時、すぐにメールアドレスがもらえ、パソコン(当時の主力はPC-9801シリーズなどだった)でUNIX環境を使えるほど充実した環境を持っていました。出版もLatexなどを使っての電子編集をやったりするなど旧来の出版社とも違った会社でした。「マルチメディア昆虫図鑑」の頃には現在のDTPに近いものを実践していました。
さて、「マルチメディア昆虫図鑑」の制作が開始されたのは発売の約1年前の1994年の夏のことでした。ある夏の日、それは始まった
それは1994年の8月のことだったと記憶しています。編集長が私にある企画を提示したのでした。それはCD-ROMを使った昆虫図鑑を作ろう、というものでした。私はCD-ROMソフトウェアというものを知ってはいましたが、それを出版社が作るとは考えもしませんでした。編集長によると、CD-ROMを付録、冊子を本体とすれば、書籍として本屋で売ることができるとのことでした。本当のメインとなるCD-ROMが「おまけ」扱いになるという主客転倒した企画なのですが、そういう裏技もあるんだなあ、と感心しました。出版部門がソフトウェア流通に乗り込むには敷居が高すぎます。ホームグラウンドである書店流通なら、営業で苦労することもないでしょう。これは面白そうな仕事だと思った私はその担当を引き受けたのでした。
当時の私は、編集者としてはいまいち実績もなく、やる気もなさそうな(笑)、扱いにくい社員だったと自分でも思います。そんな私を編集長が指名した理由は、私が元プログラマーでありソフトウェア制作の知識が役に立ちそうだということ、またサイエンス一般の知識を持っているようだ、ということだったのでしょう。私もプログラマーの経験とカンがいかせそうだと直感しましたし、なにより面白そうな仕事になりそうだと思えたのでした。
よく誤解されることなのですが、当時の私はサイエンス一般に関心はあったものの、生物学にそれほど詳しかったわけではありません。特別に動物好きだったわけではなかったのです。新規事業の抱えた難題
このCD-ROM図鑑の企画を立ち上げるにあたっては難題もいろいろありました。
まず、会社が自体が若く、これまでに図鑑系の蓄積が無いということです。歴史の長い大手出版社は過去の蓄積を使うこともできますが、アスキーには蓄積などまったくありません。パソコン関連の蓄積はいくらでもあったのどすが。例えば使い回せる動物の写真やイラストが無いのです。ということはつまり人脈も無いということを意味しています。調達が容易なのはイラストよりも写真ですので、写真中心の図鑑でいくことになるのは始めから決まっていました。しかし、写真エージェンシーから1点1点借りると膨大なコストがかかります。そこで編集長が考えたのが、特定の写真家から一括して借りる方法でした(支払いは印税)。この方法はコスト的にも、均質な品質保証の点でも、内容の一貫性からも正解でした。
そして選ばれた写真家は現代日本の3大昆虫写真家(と私が呼んでいる)の一人、海野和男先生でした。新しいもの好きの海野先生もこれを了承。これで最初の大きな問題をクリアーできたわけです。
ちなみに私は当時、海野先生がそんなにすごい人だとは知りませんでした。編集長から写真集などを見せられて、へぇー、とか思っていた程度です。ただ、調べてみると昆虫写真家の中でもベテランであり、傑出した人物であることはすぐにわかったのでした。すごい人と仕事ができるんだなあ、と私は当時思ったものです。こんなに偉い先生と仕事をするというのは初めての経験だったからです。誰がソフトウェアを製作するのか(つまり誰がプログラミングするのか)、も問題でした。アスキーはパソコン先端企業のように外部からは思われていたかもしれませんが、その当時すでにアプリ開発部署はほとんど無く、別部門からの応援を期待できる状況ではありませんでした。開発環境はマクロメディア社の「Director」を使うことは早くから決まっていました。当時はそれがベストチョイスだったのです。幸い、外部の制作会社(といっても小所帯でしたが)が担当してくれることになりました。このあたりの話はまたの機会にしましょう。
その他、内容をどうするか、デザインはどうするか、どうやって営業をするのか…難題はいろいろ予想されました。それでも、企画は会議を無事通過、製作作業は本格的に始動することになったのです。