Vol. 271(2005/6/12)

[今日の事件]「レッサーパンダが立ったらなぜ事件になるのか?」事件

最近あっという間にブームを巻き起こした動物事件といえば、もうみなさんご存じのように「立つレッサーパンダ、風太くん」のことです。このごろになってようやく冷静な報道も見られるようになり、早くも下火になりそうな感じですが(笑)。
マスコミにあおられて近くの動物園にレッサーパンダを見にいった人も少なくないでしょうが、よ〜く考えるといったい何が事件なのか、何が珍しいのか、わかっている人はどれほどいたでしょうか?
私から見るとあまりにもばかばかしい騒ぎであったため、取り上げるのが遅れてしまいましたが、ここできちんと解説をしておいた方がよさそうです。


まず、「レッサーパンダが立つ」ということについて。
レッサーパンダは分類上は「食肉目」になります。つまり、イヌ、ネコ、クマなどと同じ仲間です(アシカ、アザラシも食肉目ですが、これら海のものは今回はおいておきましょう)。さらに細かく分類すると、レッサーパンダは「アライグマ科」に入ります。以前はジャイアントパンダと同じ「パンダ科」に属するとされていたのですが、「やっぱりジャイアントパンダはどう見てもクマだろう」ということになり、現在は「パンダ科」というものは解体されて、なくなってしまいました。一方、レッサーパンダの方も「でもやっぱりクマに近縁なんじゃない?」という説もあるようで、分類上の論争は未だ決着していません。いずれにせよ、レッサーパンダはアライグマあるいはクマに近い分類ということになります。
クマは多くの方がご存じのように後脚で立ちます。アライグマも同様。ですから、レッサーパンダが立っても別に不思議でも何でもないのです。
食肉目全体を眺めてみると、立つ動物と立たない動物がいることがもっとはっきりします。「立たない」方の代表はイヌ、ハイエナ、ネコなど。「立つ」方はクマ、アライグマ、イタチ(の一部?)などです。「イヌも立つやつがいるよ!」というツッコミは無視です。そういうのは例外的すぎますから。「立つ」「立たない」の違いはどこからくるのでしょうか。それは彼等の生活様式を見ればわかります。「立たない」イヌ、ハイエナ、ネコは地上で生活する動物たちです。イエネコやヒョウなどは木登りしますが、これらはかなり例外的と思ってください。
一方の「立つ」方は、地上をもちろん歩きますが、木にもよく登る動物たちです。これらの動物は、木に登るため、あるいは不安定な樹上で行動するために後脚でしっかりバランスをとることができるような体の作りになっているのです。レッサーパンダもやはり樹上にいることが多い動物、つまり立つことは自然なことなのです。
ちなみに、私が推薦する「最も立ち姿が美しい食肉目」はスリカータ(ミーアキャット)です。これはジャコウネコ科に属するのですが、南部アフリカの平原に生息しています。ジャコウネコの仲間はだいたい樹上性なのですが、スリカータはまわりに木のない所にすんでいます。なぜ立ち上がるのかについては、日光浴をしているといわれていますが、遠くの敵を警戒する意味があるのかもしれません。ちょうど北米のプレーリードッグ(こちらはリスの仲間、齧歯目です)に似た生態なのかもしれません。

さて、これでレッサーパンダが立つことには何のニュース性も無いことがおわかりいただけたでしょう。では、なぜそんなことがニュースになってしまったのでしょう。


この「事件」が最初に登場したのは5月19日の朝日新聞でした。
私は同紙の動物記事をスクラップしていますので当然その記事も読みました。「あ〜、また『ほのぼの系』の動物ニュースかあ〜」と、その時は思っていました。この記事に事件性があるとは思えなかったからです。ところが、このニュースは夜のNHKニュースでもやっているではありませんか。「うっ…いやな予感…」と思っていたらマスコミ各社がいっせいに飛びついてあっという間に大ニュースに仕立て上げられてしまったのでした。
朝日新聞は21日に早くも続報を出しています
ちなみにホームページでは特集まで組んでいます

すると今度は「別の動物園のレッサーパンダも立った!」(そりゃ当たり前でしょ)という報道が他メディアでも続々と登場し、ついには「ヤギがお手をする」だの「ゴマフアザラシが立った」だのといったどーでもいいニュースまでもが登場する始末です。お笑い芸人のだいたひかるではありませんが、「♪どーでもいーいですよー」とぼやきたくなる気分です。
そして次に登場するのは「レッサーパンダが立つのは当たり前」という批判報道です。しかもそれをやったメディアのひとつが「週刊朝日」(笑)。朝日新聞社は社内で意見の統一もできないんですかね? あるいは、一方であおって、一方でけなすという高等テクニックを駆使しているんでしょうか?
そして、批判派の言い分の大部分の元ネタは旭山動物園からなのです。
レッサーパンダを『見せ物』にしないでね
行き過ぎた表現をお詫びします

批判記事もこぞって同じネタに飛びつくようではマスコミの批判精神さえ疑われてしまいます。
結局、マスコミがやってることというとは「あおる」か「けなす」かということになります。ただ、冷静な批判(criticism)ならばそれは「けなし」とは異なるものであり、一読に値するものになるでしょう。さて、現在の日本のマスコミに(正しい)批判精神は期待できるのでしょうか。

今回と似た現象といえばあの「タマちゃん事件」が思い起こされます。今回のレッサーパンダ事件ともあわせて比較してみると、「無駄に騒がれすぎた動物ニュース」には2つの要素があることが挙げられます。それは「むやむにあおるマスコミ」と「何も考えずにそれに飛びつく観客」という要素です。もうひとつ付け加えるならば、「何も言わない専門家」という要素も消極的ながら貢献していると言っていいでしょう。
マスコミは他社が取り上げたニュースを「うちもやらなきゃ」と考えて追随してしまうため、どんどん報道の連鎖が広がってしまいます。しかし、ただ同じようなことを報道するのでは独自性がありませんので、よその動物園の話題を取り上げてみたりするわけです。それにも乗り遅れたのんびり屋のマスコミは、今度は批判的な記事で追随するのです。こうして、マスコミ内での連鎖反応は拡大するばかりになります。連鎖が終わるのは、新しい事件が起こらなくなってからです。タマちゃんの時も、いつものようにいつもの場所で見られるようになった時期は報道は減少しました。今回のレッサーパンダ事件の終わりはいつになるでしょうか。どのレッサーパンダも立ち上がることが明らかになった今、もはやブームは終わったのかもしれません。
「何も考えずにそれに飛びつく観客」にも困ったものです。このレッサーパンダのいる動物園(千葉市動物公園)にはお客が殺到し、レッサーパンダの飼育場のまわりに大集合し、「風太くんコール」を連呼し、デジカメやデジカメ付き携帯電話を手に手にしている騒ぎになりました。この状態はどう見てもやり過ぎです。さすがにこれには当事者の動物園側も「ストレスを与えてしまっているのでは…」と心配するありさまでした(これはNHKニュースで発言していた)。
こういったバカ騒ぎを冷静に批判する専門家が少ないのも気になるところです。専門家はもっと発言をするべきなのです。もっとも、ブームに水を差すような発言は、マスコミがあまり取り上げようとしないのも事実です。

今回のような(文字通りの)「客寄せパンダ現象」は当事者の動物園にとっては良いことなのでしょうか。
レジャーが多様化した現在、動物園は昔に比べると入場者はかなり減っています。そのため経営的に苦しい所がほとんどでしょう。「レッサーパンダ事件」のような現象は短期的には、入場者が増え、グッズが売れて、経営に貢献するでしょう。しかし、このようなブームは長続きしないものです。やがて入場者は以前と同じレベルに戻り、大量に作ったグッズは不良在庫になりかねません。長い目で見ると突発的なブームは経営上プラスとは言えないのです。また、ヒトの大群に囲まれた動物にとっても精神的に良いとはとても思えません。動物福祉の点からも問題があることなのです。
では、どうすれば動物園経営は改善するのでしょうか。それはリピーターを増やす努力をすることでしょう。昔ながらの動物を昔ながらの方法で見せているのではお客さんも飽きてしまいます。新しい「見せ方」を常に工夫する必要があるのです。有名な北海道の旭山動物園はそういった工夫で成功した例です。東京の上野動物園、多摩動物公園は老舗で人口集中地でもあるため集客力にも恵まれていますが、展示方法にはいろいろな試みや気配りが見られる優良な動物園と言えるでしょう。これら優良動物園に共通して言えるのは、特定のアイドルを作らず、動物たちみんなをアイドルにしていることにあります。もちろん、上野動物園だとジャイアントパンダ、多摩動物公園だとライオン、コアラあたりに人気が集中してしまうのは仕方がないことです。それでもそれぞれの動物を説明するガイドがいたり、いろいろな動物を紹介するガイドツアーがあったり、新たな施設を作るなど、特定の動物に頼らない運営方針が読み取れます。
来客に「面白かったな」「来て良かったな」と思わせる運営こそ、動物園には求められているのではないでしょうか。


ある特定の動物が突然大きなニュースになることはこれまでにも多くありました。古くは「エリマキトカゲ」「ウーパールーパー(アホロートル=メキシコサラマンダー)」から最近の「タマちゃん」「チワワのクーちゃん」「虫キング」までいろいろな例があります。
ですが賢明な読者の皆様方、決してこのようなブームには乗せられないでください。一歩引いて、ブームを外からじっと見つめてください。そうすることで、そのブームの本質というものが見えてくるでしょう。そして、ブームに乗らない態度こそが動物にとって本当の利になるのです。


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