第4回 いよいよ完成へ
少数精鋭のチーム
CD-ROM図鑑を作るというと、大人数でよってたかって作り上げるような印象があるかもしれません。しかし、実際は著者の海野先生以外では、編集長、自分、デザイナー、プログラマー2人の計5人でほとんどの作業が進められました。最後の方では文章やボタンのチェックのためにアルバイト数名も動員しましたが、いずれにせよ関係者は少数でした。これは伝統も人材も少ないアスキーという会社ならではの陣容でした。アスキーというと、当時はパソコンマニアの間では最も知られた会社だったのですが、実情はこんなものだったのです。たったこれだけの人数でよく完成させたものだとも感じますが、この少数の精鋭だったからこそブレが少なく、完成度が高かったと言えると思います。
そういえばプログラマー2氏のことをまだ話してませんでしたね。2氏は彼らだけが社員の超零細企業で、どちらかというとサウンド・クリエーター的な仕事をされていた方々です。時期的に言うと、「起業家」の走りという感じですね。余技としてDirectorのプログラミング(正確にはスクリプティング)をやっていた、といった方がいいでしょう。それでもあの複雑で膨大な量のスクリプティングをやってのけたのですから大したものです。私は元プログラマーですが、彼らのスクリプティングには一字一句触れませんでした。いろいろと要望はしましたが、スクリプティングそのものには私は何も干渉していません。さて、当時の私の肩書きは「編集」ですが、このチームの中では「現場担当」という色合いが強かったです。編集長は多忙なので、著者、デザイナー、プログラマーらの間に立って指示を出したり調整をしたりといった仕事を私が引き受けなければならなかったわけです。まあ、編集者というのはもともとそういう要素が含まれる職業なわけですが、通常の書籍や雑誌を作るのとはわけが違いますからそれなりの苦労があったことはお察しください。特にCD-ROMなんていうのは時代の最先端だったのですから。
完成へ向かって
そうこうするうちにこの図鑑も完成へと近づいていきました。それでも10ヶ月がかりの長丁場になるとは当初は想像もできませんでした。ですが、昆虫を500種も掲載するのですからこれは本当に大変な量です。海野先生はその写真をすべて用意し(ほとんどは過去のストックを利用)、文章を書きおろさねばなりません。私はすべての写真を確認し、すべての文章を編集・校正します。さらに、私はデザイナーに画面のラフを渡し、デザイナーさんはそれを完成物にします。最後にプログラマー氏が膨大なデータ量を問題なく動作させるよう、慎重にプログラムをしていきます。皆さん、本当に大変な量の作業をやっていたのです。普通の紙の図鑑よりも何倍も大変なことだということがおわかりいただけるでしょうか。とにかく前例の無いプロジェクトであり、未知の領域だったわけなのです。
製作作業の最後のせめぎあいになるのが、640MBというCD-ROMの容量制限です。通常の画面のサイズは640×480ピクセル、256色と決めていましたので、画面数(ページ数)がだいたい決まった時点でどれだけの容量が必要になるかがわかります。そして、余った容量にムービーをぎりぎりまで詰め込むことになります。容量の関係で収録できなかったムービー、短く作り直したムービーもあったように思いますが、もう記憶によく残っていませんね…。
ある程度の形ができあがってくるとα版、β版というテスト・バージョンを作ります。これらの定義は会社によって、また、プロジェクトによって異なりますが、私たちの場合は、
α版=一部要素が未完成だが、主要部分の検証ができる段階
β版=全要素が収録された、製品同等の段階としていました。ただ、β版が「製品同等」といってもバグやミスが残っています。それをバイト君たちを動員してチェックしていくのです。そのため、β版は1種類だけで終わることは普通ありえず、β1、β2、β3…と続いていくこともありました。
そしてβ版の段階もクリアーし、ついにマスター版が完成するのです。
そういえばこの頃はCD-ROMライターは編集部にあったかなあ…? 多分無かったと思います。今でこそDVD-Rドライブなんて普通に搭載されていますが、当時はCD-ROMを焼く (本当に燃やすわけではなく、データを書き込むことを表す業界用語)だけでも大変な作業でした。そうそう、忘れていましたが、最後の段階ではCD-ROMといっしょに付く書籍部分の製作も同時に進めていました。これはマニュアルを兼ねていましたが、それだけでは規定の48ページを埋めることはできません(冊子が48ページ以上ないと書籍として認められないというのが当時の業界のルールだった)。そこで、読み物も追加し、監修の日高敏隆先生の前書きもいただき、なんとか48ページを完成させたのでした。監修の日高先生は当時、滋賀県立大学の学長で、しかも開校1年目でした。彦根市の同大学まで編集長と出かけ、CD-ROMを見てもらったりしました。同大学はまだすべての施設が完成している状態ではありませんでしたが、周囲に堀のある西洋のお城風の外観が印象的でした。
さて、これで本当にすべてが完成したわけです。
次回はついに「マルチメディア昆虫図鑑」が発売です。
しかし、発売前にちょっとしたことが起こるのです。