第5回 ついに発売、そしてその反響
発売直前の微修正
「マルチメディア昆虫図鑑」が完成するころ、あることがわかりました。別部署でも似たようなCD-ROM製品を作っていたのです。その内容は「野鳥観察」と「天体観察」の2タイトルですした。「マルチメディア昆虫図鑑」のような本格的図鑑とはやや内容が異なりますが、方向性はよく似たタイトルだったのです。しかも、発売時期がほとんど同じになることもわかりました。もちろん、それぞれを個別に発売してもいいのですが、営業的、販売的にはまとめて扱った方がやりやすいのは当然です。そこで、これら3製品は急きょ同じ「シリーズ」として出すことになったのでした。それぞれの製品はほとんど完成していたので、インターフェイスや内容を統一させるのはもはや手遅れです。そこで、少なくとも製品としての装丁=外観は統一させよう、ということになりました。これについては「マルチメディア昆虫図鑑」が若干先行していましたので、それにあわせる形になりました。CD-ROMを封入する紙ケース、マニュアルのサイズ、外箱の体裁といったことが最終的に決められていきました。その結果、これら3製品は個別に作られたにもかかわらず、シリーズとしての体裁はうまく整えることができたのでした。こうして「マルチメディア図鑑シリーズ」最初の3作品がほぼ同時期に発売されることになったのです。
いよいよ発売へ
こうして1995年6月、「マルチメディア昆虫図鑑」は発売されます。
この1995年夏は、CD-ROM搭載のディスプレイ一体型パソコン、通称「マルチメディア・パソコン」が登場してきた時期でした。しかもこれらは低価格帯の入門ユーザー向けのパソコンでした。また、ちょうどCD-ROM製品にも注目が集まりつつあった時期で、何かCD-ROM製品をを使ってみたい、というユーザーが多かったと思われます。当時の業界のキーワードのひとつが「マルチメディア」、マルチメディアといえばイコール「CD-ROM」という雰囲気でしたのでまさに格好の商品でした。
また、当時はアスキーは「月刊アスキー」など業界をリードする雑誌をいくつも出していました。そういった雑誌では自社製品の広告を出すこともできます。「マルチメディア昆虫図鑑」他2製品も、発売にあわせてそういった雑誌にカラー広告を出すことができました。「マルチメディア昆虫図鑑」は非常に恵まれたスタートを切ることができたのです。押し寄せる読者ハガキの束
発売の約1ヶ月前には編集の仕事は完了してしまいます。発売までは社内の広報部や雑誌の新製品担当者に製品の説明をして回ったりするのですが、反応はまずまず好評といったところでした。私にとっては久しぶりにのんびりできる期間でした(次の企画はスタートしていましたが)。
そしていよいよ発売日をむかえます。といっても、編集者は特に何もすることはありません。主要書店の店頭に置かれているか見に行ったりするものですが、その当時の記憶はなんかありませんねえ。大手書店にしか置かれないものだろうから、多分、見に行かなかったんじゃないかと思います。異変が起きたのは発売から数日後のことでした。当時、アスキーの書籍には必ず読者ハガキ(切手代はアスキー払い)がついていたのですが、発売翌々日ごろに早くも何通かのハガキが届いたのでした(読者ハガキは直接各編集部に届けられる)。それまでの私の経験からいうと、これはかなり早い反応でした。しかしこれは異変の始まりでしかありませんでした。読者ハガキの数は日に日に増していき、1ヶ月もたたないうちに分厚い束になったのでした(数百通ぐらいでしょうか?)。これだけ大量のハガキが戻ってきたことは、私自身過去に無い経験でした。
ハガキが好調ということは、売上も好調ということを示していました。実は、発売の数日後には増刷りが決定されたほどの好成績だったのです。とにかくこんなに売れる本を作ったのは初めてのことだったので、この反響には驚くばかりでした。そして、編集者として「いい仕事ができた」という実感を持つこともできました。こうして、記念すべきマルチメディア図鑑シリーズが始まりました。当時、いろいろなCD-ROM製品が各社から発売されていましたが、「マルチメディア昆虫図鑑」は質量ともに抜きんでていたと今でも思っています。
このシリーズの堅調な売上のおかげで、マルチメディア図鑑シリーズはその後もタイトル数を増やしていくことができました。その多く(動物もの)に私自身がかかわることができたのも幸運でした。現在の私の動物の知識の多くは当時の経験から得られたものなのです。マルチメディア図鑑シリーズがあったからこそ今の私があるのだと言えるでしょう。
次回は特別編連載最終回、10年後の現在の視点でマルチメディア図鑑シリーズを振り返ってみます。