唐突ですが天文学の話です。皆さんは天文学者の渡部潤一(わたなべ・じゅんいち)氏をご存知でしょうか。小説家の渡辺淳一ではありませんよ。天文マニアの方ならよく知っている名前でしょう(実は私もそのはしくれ)。新聞をよく読んでいる方なら、天文関係、宇宙探査関係のニュースにいつもコメントをしている人、と言えばおわかりになるのではないでしょうか。いつもマスコミに登場しているのは理由がありまして、渡部氏は1994年から2003年の間、国立天文台の広報普及室長を勤めておられた方です。現在の肩書きは自然科学研究機構国立天文台助教授・天文情報センター広報室長です。この8月に組織変更があり、再び室長に就任したようです。
国立天文台の広報活動は非常にすばらしいもので、マスコミ対応から学校教育・生涯教育などの活動まで幅広く行われています。大企業並みの広報だと言えるほどです。その広報活動の顔として活躍されているのが渡部氏であるというわけです。もし、国立天文台の広報活動が無かったら、宇宙・天文への一般の関心はほとんど向上しなかったのではないでしょうか。特にマスコミへのていねいな対応は重要で、そのおかげで新聞に載る宇宙・天文関係の記事は的外れな内容のものがほとんどなくなったように思います。渡部氏と国立天文台の活動のおかげで、日本の天文学関係者は大きな恩恵をもらっているのではないでしょうか。
国立天文台がモデルにしているのはおそらくNASAでしょう。NASAは宇宙開発という現実的な目的がある組織ですが、その一方で宇宙探査という研究活動の使命も持っています。研究活動というものは何かと予算が削減されがちですが、そうならないように常に研究成果を公表し、宣伝しています。NASAもまた広報宣伝が上手な例です。さて、話を生物学、特に動物学に向けてみましょう。生物・動物関係で渡部氏のような「広報部長」にあたる人はいるのでしょうか。そもそも国立天文台のようなセンター的組織がないのは大きなハンディです。動物関係でいつもマスコミに登場している人というのも思いつきませんね。あえて言えば、「どうぶつ奇想天外」によく登場している千石正一先生(財団法人自然環境研究センター研究主幹)が近いかもしれません。この番組では千石先生がずばずばと「正しい」指摘をしてくれるので、うるさがたの私でも安心してみることができます。ただ、他のメディアにはほとんど登場しないのがちょっと残念です(これは他メディアに出演拒否しているのではなく、忙しすぎてそんなヒマがないためというのがおそらく本当の理由です。実際、千石先生を電話でつかまえるのは難しいことなのですよ(←元・編集担当者の経験談))。
他にマスコミによく登場する方というのは…これといっていないような…。浮かんでくる名前は何人かいるのですが、専門のことは詳しいけれども動物全般に通じているとは言えなかったり、考え方が古いものだったりといった具合です。「広報部長」的な役回りの人はなかなかいませんねえ。
天文学と比べると、生物・動物分野は広報活動で大きく損をしているように思えてなりません。例えば、タマちゃん騒動やレッサーパンダ風太君騒動を思い出してみてください。もし「広報部長」がいたならば、これらの騒動の時に冷静にコメントをし、騒動を収拾させることができたのではないでしょうか。現実にはマスコミはちゃんとした専門家に取材することはなく、ただただわけのわからない方向に騒ぎは拡散するばかりでした。こういう騒動で損をするのは当の動物たちです。タマちゃん騒動の時には大観客が川岸に集まりました。これは野生動物に接する態度としては最悪のものです。タマちゃん騒動では捕獲未遂事件といった奇妙な事件があったりもしました。レッサーパンダ風太君の場合もやはり大観客が押し寄せました。これには風太君もかなり参った様子でした。「広報部長」がいないというのは本当に大きな損失だと思います。
「広報部長」がいないのにはそれなりに事情もあります。まず、国立天文台のようなセンターが存在しないこと。これはどうしようもありませんね。そして、専門が細分化され過ぎていること。動物に限っても哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、魚類、昆虫…と分野が分かれていて、さらに個別の研究者レベルとなるともっと細かな分類レベル、あるいは特定の動物種の専門、という具合になってしまうのです。動物学全体を見渡して発言できるような専門家はなかなかいないのではないでしょうか。ただ、これは解決できないような問題ではありません。天文学だって、恒星、惑星、小惑星、彗星、星雲、クエーサー、銀河…などなど非常に広範な分野を含んでいます。さらに、一般向けに話をするにはギリシア神話(星座の由来を語るには欠かせない)や科学史(ガリレオ、ケプラー、コペルニクス、ニュートン、アインシュタインなど多数の歴史的人物)にも通じていなければなりません。天文学にできて生物・動物学ではできないということはないと思うのですがいかがでしょう。
「広報部長」がいない別の理由として、学者たちの仲があまり良くないんじゃないか?という印象も私は感じます。信じる学説が近い研究者の間では仲がいいかもしれませんが、そうでないと「敵」になってしまう…ような感じがするのです。まあ、これは私の個人的な印象を語っているだけなので、必ずしもそうだとは言えませんが。ただ、ブラックバスを巡っての議論で、学者間でとげとげしい対立があったりするのを見ていると、やっぱり仲が悪いのかなあ、と思ってしまいたくなるのですよ。生物学という分野で不利なのは、「生物を広報宣伝しても生物に感謝されることはない」ということもあります。これは「いきもの通信」にも共通する悩みです。経済的な構造が成り立たないため、誰もやりたがらないのは仕方のないことです。しかしこの条件もやはり天文学と同じ。どんなに広報宣伝をしても惑星や銀河系が喜んでくれるわけではありませんからね。このことを考えると国立天文台やNASAは非常によくがんばっていると思うのです。
で、結論。
私は動物が好きですが、単にそれだけでこの「いきもの通信」を書いているのではありません。動物が意味もなくおとしめられたり、不利な状況に追いやられるというのがイヤなのです。これは私がタマちゃん事件や東京カラス問題を何度も取り上げてきたきたことからもお分かりと思います。また、テレビ的に面白おかしく取り上げるのも避けてきたつもりです。(このあたりは過去のバックナンバーを読んでいただければご理解いただけると思います。といっても、既に単行本何冊分にも相当する分量を書いてきたので、全部読破するのは大変だと思いますが。)
今までに私がやってきたこと、これはまさに動物たちの広報部長的な役割だったのではないでしょうか。私自身の世間的な認知度が低いのでちょっと説得力に欠けますが。まあ、とにかく、私の方針はそれほど間違っていないと確信しています。これからも動物たちの広報部長であるというつもりで書き続けていきたいと思う所存であります。