2006年4月9日午後6時ごろ、鹿児島県の佐多岬沖を航行中の高速船が何かに衝突し、90人以上が負傷する事件が起きました。この事件はマスコミでも大きく報道されたのでご存知の方も多いでしょう。
高速船がクジラと衝突する事故はこれまでにも何度か発生していますが、今回は負傷者が多く、入院する重傷者も続出したためにマスコミ報道が大きくなったようです。ところが、17日になって衝突したのは流木ではないかという見解が発表されました。船体を調べたところ、木材の繊維が付着していたとのこと。しかも3月13日に木材運搬船が近く(といっても沖縄本島に近い場所ですが)で沈没、積み荷の丸太が漂流していたそうです。
真相がわかっていきたのはいいことですが、ここまでたどり着くのに1週間もかかるのはちょっと遅いのでは?とも思います。事故の原因を調べる場合、今回の例ならば付着物を徹底して調べるのは調査の基本事項でしょう。
「クジラと衝突」という記事を書いてしまったマスコミは反省しているかも(していないかも)しれませんが、クジラ衝突は今後もありえる話なのでまあいいでしょう。そのマスコミで自説を述べていたクジラ研究者たちもお気の毒ですが、これも「クジラと衝突」を前提にコメントを求められたわけですから仕方がないことです。もっとも、慎重な研究者なら「今回の事故の原因がクジラと仮定しての話だが」と前置きをしたことでしょうが、マスコミはそんな部分は省略してしまいますしね(クジラ説に疑問を述べていた研究者もいました。エライ)。
ただ、今回の事件で本当にクジラと衝突しているのかどうか疑問が出てきたのは重要なことです。今後の類似の事故の際は衝突原因を究明し、クジラなら種の特定を必ず行い(船体についた断片をDNA分析する)、記録に残すようにするべきでしょう。今回の事件は別にしても、高速船とクジラの衝突事故は発生していますし、今後も発生の可能性があります。なぜ事故が発生するのかについては今回もマスコミで色々な説が紹介されました。例えば…
・この時期は繁殖期でクジラが集まっていた
・高速船が速すぎてよけられなかった
・高速船の運行が増えて事故が起きやすくなった
・クジラがいやがる音を発生する装置の周波数が、今回のクジラ種に対しては効果がなかった
・捕鯨禁止でクジラの数が増えたから
・米軍の艦船の水中音波探知機(ソナー)でクジラの聴覚器官が損傷したからといった説がありました。
最後のソナー説は、まあそういうこともあるかもしれないけど、今回の事件とはあまり関係ないような気がします。ストランディング(座礁)事件でもそうですが、クジラ・イルカ類の行動についてはわからないことが多すぎるのです。突飛な説も出てきますが、専門家の間で完全に一致している見解というのもないのです。
「クジラが増えた」説は、某雑誌で「衝突事故多発→クジラが増えた→商業捕鯨ができる?!」などという見当はずれもいいところの記事が載ってたりしました。ですが、クジラ・イルカ類が増えたか減ったかもよくわからないことなのです。増えた種類もいますが、あまり増えてない種類もいるのです。そもそも捕鯨が制限されているため科学的な生息調査が難しいという現状があります。だから捕鯨OKなんてことには簡単にならないのです。この程度の根拠で国際世論を動かすこともまた難しいでしょう。それぐらいちょっと考えればわかることです。この雑誌記事も結論は「やっぱり捕鯨再開は無理みたい」となるのですが、論の立て方が幼稚というか底が浅いというか。読者の興味を引かせようとつもりなのでしょうが、なんだかレベルが低いなーと思わざるをえません。さて、上記のように説はいろいろありますが、一番もっともらしいのはやはり単純明解な「高速船は速すぎる」説ではないでしょうか。
調べてみますと、クジラ目の最高速度は時速約80kmという記述があります。ただし、クジラ目には大型のクジラ類だけでなく小型のイルカ類も含まれます。この数字はバンドウイルカ、シャチのものだということです。ただこれは瞬間最高速度でしょう。別の数字では最高速度は時速50km、60km程度というものがあります。通常の速度では時速10〜20kmとのことです。
一方の船舶の方はというと、客船の巡航速度は時速30〜50kmぐらいのようです。そして、今回の高速船は時速80kmです。
これまでの船ならば、クジラたちは余裕を持って回避することができたのでしょう。ところが、倍の速度を出す高速船は過去に経験が無いために、いつものようによけようとしたけど間にあわなかった、ということなのかもしれません。クジラたちが経験を学習すれば、高速船の時はすばやく回避することができるようになるかもしれません。でもそれは遠い先の話で、今すぐ学習できるものではないでしょう。今回の事件では海での衝突事故が注目されましたが、衝突が発生するのは海だけのことではありません。道路では哺乳類、爬虫類をはじめ多くの動物たちが交通事故死(ロードキル)していますし、空では鳥が飛行機に衝突する事故(バードストライク)が発生しています。自動車にしろ飛行機にしろ、自然界ではありえないスピードを出しているのですから事故が発生するのも当然です。そしてまた、事故の回避が難しいのも事実です。最近のクジラ衝突事件は人間のスピード狂がついに海にまで持ち込まれてしまったということなのでしょう。せめて海の上ぐらいはあわてずあせらずゆっくりとできる世界のままにできないものでしょうかね。
(余談:クジラとの衝突のことは「シップストライク」と言うそうですが、日本ではまだなじみのない言葉のようですね。しかし、鳥の場合は「バードストライク=動物が衝突」なのに、クジラだと「シップストライク=非動物が衝突」となるのはどうしてなのでしょう? 「ロードキル」となるといったい何に衝突するのかさえわかりません。どれも動物との衝突という同じ事象を表現しているのに用語にまったく統一性がないのです。)