朝日新聞の「声」欄(読者投稿欄)で野良猫の問題についての投稿がしばらく続きました。最初の投稿は5月26日、以降、31日、6月5日、6日と賛否の意見が掲載されました。野良猫問題は動物問題を考える上でも身近でわかりやすく、解決方法も求められていることですので、今回はこれについて考えていきます。
賛否それぞれの立場を何と呼ぶかには困ってしまいましたが、ここでは擁護派、管理派としましょう。賛成派、反対派、では何に賛成で反対なのかわかりにくいですからね。
まずは、それぞれの立場からの代表的な意見を並べてみましょう。
管理派
・野良猫のフン害は迷惑である。庭が荒らされ、公園の砂場でフンをされると感染症のおそれもある。
・飼い主はきちんと飼育すべきである。室内飼育をすべきである。
・野良猫にエサをあげるのなら家で引き取って飼育すべき。
擁護派
・野良猫と人間は共存できる。
・野良猫の行動は制限できない。
・家に閉じこめて飼うのはかわいそう。
・地域で共同管理する「地域ネコ」という方法もある。
これらの意見のどちらに共感するかは人によってさまざまでしょう。中間派、という人もいることでしょう。
この問題を解決するには、関係者(中間派も含む)が意見を論じて何らかのルール・合意を確立するのが一番です。法律のような全国統一のルールがあれば便利なようですが、地域の個別事情によって各種の条件は異なるもので、統一ルールはなじまないように思います。例えば、東京の密集した住宅街と郊外とではルールも違ったものになるでしょう。また、時代が変われば条件も変化するものです。ですから、野良猫問題は全国紙の上で読者が論じたところで答は出ないものなのです。
議論が大事だとしても、前提というか、一般論的な理屈というものもあります。議論はそれを元に行うべきです。その前提とは次の2つです。
・定期的にエサを与えれば飼い主と見なされる
そのような法律があるわけではありませんが、裁判などになったら間違いなく飼い主と見なされるでしょう。
ですから、私は野良猫には食べ物を与えないようにしています。その結果、野良猫は私には全然なつかないですね(笑)。
・飼い主は責任を持って飼う
飼い主が適正な飼育をする責任があることは動物愛護法に書かれています。また、脱走動物事件や外来生物問題というものがありますが、これらの原因は人間が遺棄したり、管理が不十分で脱走したということが原因です。動物を飼うなら完全に管理下に置くべきである、というのが最近の流れであるのは間違いありません。ネコを野良、半野良で飼うというのはもはや勧められる飼い方ではなくなっているのです。
また近い将来、おそらく10年以内には飼育動物の登録制が導入されると見込まれています。動物にはマイクロチップを埋め込んで、飼い主がすぐにわかるようになるでしょう。
飼い主責任がますます重要になってきている情勢をくつがえすことはできません。
どうも擁護派には厳しいことになっていますが、動物を放置するというのは昨今の自然保護・動物愛護の情勢からいってもありえません。
一方、管理派、というよりもネコ嫌いの人にも釘をさしておかねばならないことがあります。それは「野良猫は処分(=殺処分)してしまえ」というのは通用しない、ということです。これは動物愛護法違反ですから。
私自身の意見は管理派になりますが、野良猫ゼロが本当に好ましいと思っているわけではありません。地域で共同管理する「地域ネコ」を否定はしません。個体管理や繁殖管理がきちんとなされ、地域内でルールが確立されているのならば、これは立派な解決法でしょう。ネコのフン害も防止策がないわけではありません。
野良猫問題は地域によって解決方法は異なります。法律や条例は一般論的な規制はできても、細かなルールまで設定できるものではありませんし、すべきでもないでしょう。地域住民の議論を通して合意を形成するのが最も良い解決方法です。
最後に、また擁護派には厳しい意見をひとつ書きます。
それは、「ネコを愛せよ」という論理は通用しないということです(「ネコがかわいそう」というのも同様)。ネコが嫌いな人は必ずいるものです。無理やり好きにさせることはできません。そういう人たちに「愛ネコ」をおしつけるのはいかがなものでしょう。野良猫問題は、ネコが嫌いな人もいるということを前提に考えるべきです。
意外に思われるかもしれませんが、動物好きの私でも「動物を愛せよ」という押しつけはしません(過去のバックナンバーでもそんなことは多分書いてない)。そんな主観的な感情は万人に通用するものではないからです。そこで私は、自然環境や動物の現実的な価値を説いたり、法律的な面から論じたりといろいろな方法で説得するようにしています。単なる押しつけでは人は説得できません。
このところ話題の「国を愛せよ」というのもやっぱり万人には通用しない感情論だと思います。国を愛するのは結構。でも、それを押しつけるのはおかしいのではないでしょうか。