都市で自然観察をしていてとても気になることのひとつは背の高い建物です。私にとって背の高い建物は好ましいものではありません。
まず、遠景を隠してしまいます。近づけば近づくほど視野をふさぐ面積は増えます。これが森ならば少しは遠くを見通すことはできますが、建物は完全に視界を遮断してしまいます。
それから日当たりが悪くなります。高いビルのすぐ北側は1年中日が当たらないのではないか?と心配になるほどです。
そして風景をつまらなくします。空と地面を隔てる境界線=スカイラインが直線的で非常に単調になってしまいます。
他にも生物が住みつけない場所であるとか、風通しが悪いなど不満はいっぱいです。
私が高い建物に最初に違和感を持ったのは、就職して東京に来て、新宿の東京都庁ビル(当時、完成直後だった)を見上げた時でしょうか。むやみに高すぎるだけでなく、墓石のような印象のデザインにつまらなさを感じたのでした。その時は動物に関心がなかった頃なのでそれ以上には深く考えることはありませんでした。
それから7、8年後でしょうか、新宿の西隣、初台にあるオペラシティーの超高層ビルの上の方の階(飲食店のフロア)から下を見下ろすことがありました。見下ろしたずっと下の方に見えたのはカラスの飛ぶ姿でした。ああ、鳥が飛ぶよりも高い場所にいるんだなあ、ということが強く心に残ったものです。
鳥が飛ぶ高度は、もちろん種類や状況によって異なりますが、普通はそう高いものではありません。例えば身近なスズメやカラスやハトを観察してみればわかりますが、普通は10階建て程度の高さよりも低いところを飛んでいるはずです。鳥の中にはトビなどワシタカ類のように何kmもの高度まで舞い上がるものもいますし、ヒマラヤ山脈を越えて飛んでいくツルもいますが、多くの鳥はもっとずっと地面の近くで生活しているものなのです。
鳥よりも高いところには昆虫など他の生物もほとんどいません。そういうところに生活していては自然環境を実感することは不可能でしょう。子どもの教育に良い場所には思えません。鳥の声も聞こえないような場所には私は住みたくありません。なぜそんな高層マンションに住みたがる人がいるのか、私には理解できません。高層マンションは人気のある物件だとも聞きますが、本当のぜいたくとは平屋一軒建て(庭付き)ではないでしょうか。それに手が出せない人のための代替物が高層マンションということなのでしょうか。「高層マンション=リッチ」という印象が振りまかれているのかもしれませんが、私はそんなのにはだまされませんよ(笑)。
(昨年は、就職活動中の学生にとって六本木ヒルズはあこがれの地だったそうですが、私はあんな所で働きたくはありませんね…。六本木ヒルズの屋上には水田があるそうですが、屋外であってもこの高さでは外界から隔離されているも同然であり、まるで実験室の中のようです。)
とにかく、人口減少期に入った日本にはこれ以上の高い建物は必要ないのではないか、というのが私の考えです。
ではどこまでの高さならいいのかについては、私の個人的な感覚では5階建て程度までです。私の我慢の限界はこのあたりです。といっても、1階建てでもすぐ近くに立てば周りの景色をさえぎってしまいます。もうちょっと客観的な指標がほしいですよね。
ちなみに、「高層ビル」とは31m以上の建物(8階建て相当)のことで、「超高層ビル」とは61m以上の建物(15階建て相当)のことなのだそうです。私の基準からすれば高層ビル・超高層ビルはすべて不可、になります。
都内を歩きながら景観に注意してみると、いい指標を見つけることができました。それは樹木の高さです。「建物は樹木より高くなってはいけない」というルールではどうでしょう。公園、学校、寺社などにある高い樹木を思い出してみてください。建物より樹木が高ければ、スカイラインは樹木の複雑なラインになります。人間の視点を考えると、樹木は建物より少々低くても視覚的な効果はありそうです。
ある程度の高さの建物を建てる場合は必ず一定面積の樹木を植える、といったことを義務づけるようにすれば惨憺たる景観にならずにすむかもしれません。これはまた、都会の緑を確保する結果にもなるでしょう。
ただ、こういうルールは現在の自由競争経済の元では自然発生するとは思えません。法律や条例の形で実現させるしかないでしょう。
とにもかくにも、高すぎる建物と樹木など自然環境というものは両立が難しいように思います。ちょっとビルを建てるぐらいいいじゃないか…というのが経済の論理なのでしょうが、それが積み重なった結果、私たちはますます緑を削り取られているのです。これも重大な損失ではないのでしょうか。そこまでしてでも超高層ビルが必要なのでしょうか?
ですから私は問うのです。超高層ビルは本当に必要なのですか?、と。