Vol. 385(2007/11/11)

[今日の本]ニホンオオカミは生きている

ニホンオオカミは生きている
[DATA]

著:西田 智(にしだ・さとし)
発行:二見書房
価格:1680円(税込)
初版発行日:2007年6月日
ISBN4-13: 978-4576070964


先日、本屋である本が目にとまりました。表紙にどこかで見たイヌ科動物の写真、そして著者名…これは2000年秋に話題になったニホンオオカミ事件の本だということはすぐにわかりました。著者の西田氏とは、その写真を撮った本人です。そうか、あの事件の顛末がやっと書籍になったのだな、と思いつつぱらぱらと本をめくっていると…突然私の名前が目に入ってきたのでした!
うわあああびっくりだよこれは。
あーびっくりした。私はイラストレーターでもあり、文筆業でもあるわけですから、どこかの書籍雑誌で名前が出ている可能性はあってもいいのですが、こういう経験は初めてだったかもしれません。しかも、その時ざっと見ただけでも複数箇所で私のことに言及されていたのでもっとびっくりです。


なぜこの本で何度も私の名前が出てくるのか、そのいきさつを書き記しておきましょう。

2000年当時、私は季刊誌「リラティオ」で「動物事件の読み解き方」という4ページの連載記事の執筆を担当していました。ニホンオオカミ事件が話題になった11月〜12月ごろは、次回の執筆のための話題を探す時期で、ちょうどいい具合にニホンオオカミ事件が全国紙で取り上げられたのでした。ニホンオオカミの話題性やミステリー性は「動物事件」をテーマにした連載にはもってこいの素材です。担当編集者も賛成してくれたので、次回のテーマはすぐにこれに決まりました。
まずはこの事件の当事者に話を聞くのが取材のセオリーです。当時の記録を調べてみると、西田氏に電話取材をしたのは12月後半となっています。
事件の報道が11月下旬だったので、この取材はマスコミとしては完全に出遅れです。しかしこれはまあ、季刊誌ですのでのんびりしたスケジュールになってしまうんですよ。最新情報を争うテレビや新聞とは時間感覚が違うのです。
さて、西田氏に電話をしたものの取材は断られてしまいました。話の様子からは殺到するマスコミに辟易しているのは明らかでした。また西田氏は当時、高校の校長職であったために、職務に関係のないことにこれ以上足を突っ込むわけにはいかない事情もあったのでしょう。このあたりの経緯は同書にも書かれている通りです。
当事者本人の話を聞けないというのは、記事執筆には非常に不利な条件です。それでもあきらめるわけにはいきません。次に取材すべきはこの事件についてコメントをしている研究者の方々です。
この年の年末は他の仕事も入っていたため、これ以上の取材はしていません。
年が明けて1月中旬、今泉吉典先生に取材できることになりました。実は、今泉先生の家は私の家から近いので、歩いて取材に行きました。この時、西田氏が撮影した、新聞などでは未発表の写真を拝見することができました。今泉先生はそれらの写真からわかるニホンオオカミの形態的特徴をていねいに説明してくれました。
(ちなみに、今泉先生はアスキーから出版されたCD-ROM書籍「マルチメディア哺乳類図鑑」の監修者ですが、私はこれには直接関わっておらず(インターフェイスデザインの原型を作っただけ)、今泉先生と話をするのもこの時が初めてでした。)

もう一方の反対派の急先鋒、丸山直樹先生(東京農工大教授)には翌週に電話で取材を申し込みましたが、ここでも取材拒否されてしまいました。やはり殺到したマスコミにいちいち対応するのがいやになっていたようです。結局、丸山先生の見解を述べた機関誌を送付してもらう、ということになりましたが、その時は取材拒否のはずが50分も電話でしゃべることになりました。

今泉先生、丸山先生は、この事件については両極端の位置に立っています。そこで、他にも哺乳類学者の意見を聞きたいと思い、新妻昭夫先生にも電話取材をしました。(新妻先生は「マルチメディア哺乳類図鑑」の著者(解説部分の文章を担当)で、やはり面識はありませんでした…はず。何かの編集部の連絡で電話したかも…)。また、大泰司(おおたいし)先生(当時、哺乳類学会会長)にも電話取材をしました。
実は他にももうひとり学者の方に電話インタビューをしたのですが「名前は出さないで」ということだったので、原稿には載せませんでした(大泰司先生、新妻先生のコメントで十分カバーできると判断したからです)。
イヌ科動物ならば今泉忠明先生も有名ですが、ご存知の方も多いように今泉忠明先生は今泉吉典先生の息子なので、躊躇しました。さらに何人かの専門家に意見を聞かねばならないならば、確実にインタビューをしたかった学者です。
さらに私は情報を補充するために、国会図書館で雑誌「シンラ」の連載記事「山根一眞の動物事件簿 狼」の全連載をコピーし通読しました。

「リラティオ」の原稿を完成させたのは、2月中旬でした。その直前の2月13日にニホンオオカミ事件を取り上げた「たけしの万物創世記」(テレビ朝日)という番組が放映されました。番組中では、地名は明らかにしなかったものの、場所が特定できるような映像が暴露されました。
続いて3月には「張り紙事件」が起こります。

記事が掲載された「リラティオ」が発売されたのは5月下旬。事件はもうすっかり落ちついた頃でした。
この雑誌は西田氏、今泉先生、丸山先生他の方々に献本されました。西田氏の著書で私のホームページがたびたび引用されているのは、記事末尾に「いきもの通信」のURLが記されていたからでしょう。
今泉先生からはすぐに葉書が送られてきました。内容は「私の考えが理解されず残念です」というものでした。哺乳類学の専門誌ではない雑誌に載せる原稿としては、賛否両論を併記せざるをえません。今泉先生のお気持ちはわかるものの、一方に肩入れしすぎるわけにもいかないのです。

ただ、この事件については、西田氏・今泉先生の方が圧倒的に不利でした。「ニホンオオカミ=絶滅」というのは世間の常識ですし、写真だけでは十分な証拠にはなりません。それでも西田氏・今泉先生側の見解を載せようと思ったのは、今泉吉典先生の指摘には説得力があると考えたからです。今泉先生の指摘内容は「リラティオ」にも書いた通りですし、「ニホンオオカミは生きている」にはより詳細に書かれています(第10章など)。
(今泉先生の見解をちゃんと書いたメディアは、当時は私の原稿だけだったはずです。新聞記事では詳細ははしょられてましたし。)
西田氏・今泉先生の見解を対等に扱ったことは、逆にニホンオオカミであることを否定したい側からは不愉快に見えたことでしょう。つまり私の原稿は両方を公平に扱ったにもかかわらず両方から不満に思われることになったのです。
ただ、私としては今泉先生の見解にもっと注目すべきだと思っていました。その気持ちは原稿の中にこっそりと忍び込ませたのですが、読者の方々はそれを読み取ることができたでしょうか。


さて、ここからは同書「ニホンオオカミは生きている」の紹介をすることにしましょう。
同書には既に紹介したように2000年のニホンオオカミ事件のことが書かれていますが、著者の若い頃からの前日譚、そして事件後の後日譚も含まれています。これを読めば西田氏が問題の動物を撮影できたのは偶然ではないことがわかります。そして西田氏がとても熱心なアマチュア研究者であることもわかるでしょう。
最も重要なのは、問題の動物を撮影した写真がすべてカラーで掲載されていることです。これが一般の目に触れるのは初めてではないでしょうか。そして、今泉吉典先生の見解が一般向けに詳細に紹介されるのもおそらくこれが初めてです。ほとんどの人は新聞程度の内容しか知らないはずですので、これは必読の内容です。

当然のことながら、同書は西田氏サイドから見たニホンオオカミが書かれています。同書の内容の多くは西田氏自身の見聞ですから、その点についてはあれこれ言うことはありません。しかし、その解釈や想像の部分については読む人によっては異論も出てくることでしょう。私は、それはそれでかまわないと思います。同書はニホンオオカミに関する事柄すべてを網羅しようとした本ではないのですから。
もし、もっとニホンオオカミについて知りたいならば、他の文献も読んでみることをおすすめします(同書の参考文献が役に立つでしょう)。
「ニホンオオカミは絶滅したんだからいるわけがない」という「常識」で結論を出してしまうにはあまりにも未解明なことが多すぎるのがニホンオオカミなのです。1つや2つの新聞記事だけですべてがわかるような相手ではありません。

私事ですが、現在私も西田氏と同じようにイヌ科動物のミステリーを追っています。それは「東京都23区のタヌキ」です。今では(私たちの活動の結果)東京都23区内にタヌキが1000頭以上いることは多くの人の知ることになっていますが、10年前には誰も(私も含めて)想像もしなかったことです。つまり、「科学の常識」とかいうものを打ち破った、と言えます。
もっとも、東京のタヌキの場合、ニホンオオカミよりもはるかに条件が恵まれています。タヌキは独特の外見なので他の動物に見間違えることも少ないですし、23区には非常にたくさんの人間がいるので夜行性であっても目撃される機会は多くなります。地道に目撃情報を積み重ねればやがては到達できることでした。
ニホンオオカミではこう簡単に行きません。そもそも生息数が少ないですし、人があまり入らない山間部に生息しています。そして、その形態(モルフォロジー)を正確に定義することができないという難題があります。かなりの悪条件です。それでも本人が確信を持っているのならば、これは追求すべきテーマです。エライ学者が何を言おうと、探索を続けていいのです。アマチュアが大発見をする可能性がある科学の分野は、今となっては生物学か天文学(彗星や小惑星や超新星の発見)ぐらいのものです。アマチュアの実力を見せつけてやってほしいものです。
西田氏はニホンオオカミの調査は国(環境省)がやるべきだと言っていますが、何の役に立つのかわからないことに国が乗り出してくることはありません。こういうことは自力でやるべきであって、国をあてにしてはいけません。


「いきもの通信」での関連記事(時系列順)

「◆」は「ニホンオオカミは生きている」中で言及されているページ
ちなみに同書では私の肩書きが「ノンフィクション作家」とか「フリーライター」とかなってますがすべて同一人物、私のことです。


Vol. 71(2000/12/3)[今日の事件]ニホンオオカミ発見?!

11月の新聞報道直後に書いた記事。ただし、記事末尾にも書いているように内容的には不十分なものです。リラティオの記事の方がずっとよくまとまっています。

◆p50、九州の自然環境についての記述を引用。西田氏は「やや認識不足」と書いていますが、本州と比べればスケールが小さいのは確かです。だからといって祖母山系が苦もなく登れる場所ではないのも本当でしょう。
今、これについて補足するならば、「高い山が少なくてもニホンオオカミは生息可能かもしれない」と書かねばなりません。例えば高山植物しか生えないような高山では、さすがにニホンオオカミでも生活できないでしょう。どちらかといえば低山帯を好むのかもしれません。また、競合相手が少ないならば広い範囲を歩き回らなくても食べ物は得られているのかもしれません。


EXTRA 4(2001/6/3)「季刊Relatio」連載「動物事件の読み解き方」補足 第4回 ニホンオオカミ目撃騒動

雑誌「リラティオ」発売直後のもの。雑誌記事には書けなかったことを補足しています。

◆p161、「日本オオカミ協会」についての箇所を引用。
◆p171、「張り紙事件」についての箇所を引用。


Vol. 91(2001/6/17)[今日の法則]ニホンオオカミの三角錐の法則

ニホンオオカミそのものではなく、当時の騒ぎの原因についてを考察したものです。ただし、考察は生煮えの感があり、不十分です。
動物関連ではその後も「タマちゃん(アゴヒゲアザラシ)騒動」や「レッサーパンダの風太が立った事件」など不可解なブームがたびたび発生しています。どういう条件がそろうと「過熱状態」になるのかは、動物事件の専門家としてはぜひ解明したいことです。

◆p21、ニホンオオカミについて現在も諸説があることの話題のひとつとして紹介。ただし、私の記事を完全に紹介しているわけではない。同書では「三角形」を例に紹介していますが、記事ではさらに「三角錐」まで展開しています。


※雑誌記事についても紹介しておきます。

雑誌「リラティオ」(Vol.9、2001、発行:チクサン出版、発売:緑書房)

雑誌「リラティオ」は現在は発行されていません。バックナンバーは図書館で探してください。発行部数が多かったとは言えないので、大きな図書館で探す方がいいでしょう。
ただし、この記事は内容的には特に新奇なものではありません。ニホンオオカミについての一般的な解説、当時の状況を知ることには少しは役立つという程度のものです。

◆p164、雑誌「リラティオ」の記事そのものからの引用。


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