「メタミドホス」に「ジクロルボス」、今年の流行語大賞を狙えるほど有名になってしまいました。本来は専門家ぐらいしか知らない専門用語が、小学生でも口にするようになるというのは大変なことです。残念なことは、これがマイナスのイメージで語られるということです。
さて、前回の話の続きです。
「メタミドホス」も「ジクロルボス」も、報道では主に「農薬」と言われています。ここで気づかない方が少なくないように思えるのですが、「農薬」とはつまり「殺虫剤」のことなのです。そして、「殺虫剤」は一般家庭でも使用している、日常用品でもあるのです。今回の事件は一般家庭とは無関係とは言い切れない事件なのです。(そして、この事件をこの「いきもの通信」で取り上げたのも、害虫つまり昆虫類つまり生物の問題と切り離せないからです。)
もちろん、市販の殺虫剤は一般に毒性も低いため、メタミドホスなどに比べれば安全です。しかし、時には安全とは言えない例もあります。それが「ジクロルボス」なのです。
前回、私がニュースで「ジクロルボス」の名を聞いた時に「大変なことになるかも」と思ったと書きました。なぜそう思ったのかというと、ジクロルボスは現在も日本国内で流通している殺虫剤だからです。国内では禁止されているメタミドホスとは事情が違うのです。
ただ、ジクロルボスは最近ではあまり使われていない殺虫剤です。というのも、数年前に東京都と厚生省から注意が出されていて、実際には使いにくい製品になっているからです。
「ジクロルボスを含有する蒸散型殺虫剤の使用は要注意!」(東京都生活文化局)
「ジクロルボス(DDVP)蒸散剤の安全対策及びその取扱いについて」(厚生労働省)
ここで問題になっているのは、吊り下げて使う蒸散型のジクロルボス製品です。東京都と厚生労働省の注意に従えば、食品を扱う場所でのジクロルボスの使用は好ましくありません。極端に言えば、「人があまり来ない屋外」ぐらいしか使い道がありません。そのため、最近は使う例はかなり少なくなっているはずです。しかし、昔から使っているとか、注意が徹底されていないなどの理由で現在もまだ使用しているところもあるだろうと私は推測していました(東京都も厚生労働省も「禁止」にはしていない)。するとやはり、そういう事例があったようです。報道によると、冷凍食品の包装外側からジクロルボスが微量に検出されたケースがあったのですが、調べてみると国内の店舗内でジクロルボスの蒸散剤を使用しており、それが原因と見られているようです。多分こういうことはありえる話だなあ…と想像していた通りのケースです。この他にも「包装外側から微量のジクロルボス」というケースがありそうですが、移動経路をたんねんにたどってみると、これと同様に国内での蒸散型ジクロルボスが疑われる例がまだ出てくることでしょう。ジクロルボスに関しては中国側だけでなく日本側の問題も疑われるのです。
もう一方のメタミドホスは、日本国内ではほとんど流通していないため、中国側を疑うのが妥当な推理です。
今回の事件では「中国が悪い」という論調が流布していますが、このように分析していけば日本にも問題があることがわかります。また、農薬は日本国内でも多かれ少なかれ使用しています。他国ばかりを責めたて、国内産を無条件でほめるというのは、必ずしも正しいことではありません。
そうなると気になってくるのは私たちの身の回りにある市販の殺虫剤です。これらの毒性がどれほどのものか調べてみましょう。毒性の指標は、前回紹介したLD50を使用します。
調べ方は、まず、殺虫剤メーカーのホームページで製品を探します。製品紹介には有効成分(殺虫効果のある成分)が書かれていますので、その成分のLD50をネット検索する、という方法になります。
以下、商品名は省略して紹介します。
「有効成分=LD50(mg/kg)」という表記にしています。
LD50値は有効成分そのものの数値です。
●スプレー型殺虫剤
d-T80-フタルスリン=5200、マウス
d-T80-レスメトリン=435〜460、マウス経口
●液体蒸散殺虫剤
d・d-T80-プラレトリン=♂640、♀460、ラット経口
●煙が出る蒸散剤
メトキサジアゾン=190、(対象不明)
d・d-T-シフェノトリン=2250、ラット経口
●ホウ酸ダンゴ(ゴキブリ退治用)
ホウ酸=3000〜4000、ラット経口
●「ゴキブリに食べさせる」殺虫剤
ヒドラメチルノン=1131、ラット♂経口
●「アリに食べさせる」殺虫剤
リチウムスルフォネート=519、ラット♂経口
フィプロニル=97、ラット経口
●虫よけスプレー
ディート=2170〜3664、ラット経口
ここで挙げたものは一部の製品だけですが、一般的によく見られるものです。
これらの数字を読み解く上で注意しなければならないのは、有効成分は実際の製品中では薄められているということです。ですから、上記LD50値よりも実際には安全性は高くなります。また一方で、LD50値には現れない影響もあることを忘れてはいけません。例えば虫よけスプレーでよく使われるディートは、皮膚や神経系への影響の懸念があるので、使い方には注意が必要とされています。
上記数値の中ではフィプロニルがかなり高い数値になっています。さすがにこれは変だなと思って他の資料も探しましたが、はっきりとした数値は出てきません。フィプロニルは、実際の製品中では薄められたり他の成分といっしょになったりで、毒性は低くなるものと考えられます。ただ、フィプロニルはイヌ・ネコのノミ・ダニ駆除用に使われることもあるようですが、体重の軽いこれらの動物に使用するのは注意が必要かもしれません。私がちょっと調べた範囲では正確な評価はできそうもありませんので、気になる方はさらに追求してみることをお勧めします。
こうしてLD50値を並べてみると、殺虫剤の有効成分はメタミドホスなどに比べて1〜2桁は安全であることがわかります。また、製品中では薄められていますのでさらに安全と言えます。危険なモノを一般家庭用に売るわけにはいきませんから、これは当然のことでしょう。
LD50は指標のひとつとしては有用なものです。しかしこの指標だけでは不十分でもあります。例えば、LD50値が高くても(安全性が高くても)、大量に摂取すれば危険です。逆に微量であってもLD50値が極端に低ければ(毒性が高ければ)、致命的なものになります。そこで、LD50値だけではなく、毒物の重量(g)や濃度(ppm)と組み合わせて、どれほどの危険性があるかを判断しなければなりません。
最後にもうひとつ、毒物についての一般的な知識を説明しましょう。
LD50の単位は「mg/kg」です。これが意味することを考えてみましょう。
例えば、人間に対して10mg/kgのLD50値(経口)である物質があると仮定します。
これは体重60kgの人間の場合、600mg摂取すれば半数が死亡することを意味します。
そして、体重10kgの子どもの場合は、100mg摂取すれば半数が死亡することを意味します。
つまり、体重が軽いほど、毒物の影響が大きくなるのです。これは毒物一般に言える法則です。今回の毒薬混入事件でも、最も症状が重かったのが1番年下の子どもだったことを思い出してください。毒物にせよ、殺虫剤にせよ、子ども・乳幼児の場合は大人の何倍もの影響があるのです。体重が軽い、という意味ではほとんどのペットでも同じ問題が発生することになります。イヌやネコは人間よりもはるかに軽い体重です。ハムスターや小鳥などはさらに軽いため、毒物や殺虫剤などには特に注意をした方が良いと言えます。
これからも毒物関連の事件事故は起こることでしょう。その時に、このような切り口から眺める方法があることを知っておくことは、きっと何かと役に立つはずです。