ちょっと前の話題ですが、2008年11月3日付け朝日新聞の1面に珍しくお堅い動物ネタ記事が掲載されました。連休の朝刊だったのでよっぽど他に記事が無かったのか?と思ったのですが、今回はその記事の紹介からです。
この記事によれば、これまで「メバル」(カサゴ目フカカサゴ科)と呼ばれていた海水魚が、実は3つの独立した種に分けられることがわかった、とのことです。新しい3つの種の和名は「クロメバル」「アカメバル」「シロメバル」となります。これまで同じものと思っていた魚が、突然新しく分類され直すなんて、とんでもない大事件のように思えるかもしれません。
しかし、記事にもあるようにメバルの分類についてはかなり昔から論争が続けられていたのです。記事によれば、幕末にシーボルトが日本から持ち帰った約160年前に、「メバルは2種に分けるべきである」という説が出されていたそうです。
シーボルトは日本産の動植物を大量にオランダに持ち帰ったのですが、それらはライデン博物館で研究され、本にまとめられました。魚類が収録されているのは「日本動物誌(Fauna Japonica)」で、その内容と図版は京都大学電子図書館のホームページで見ることができます。図版がとても素晴らしいものですので、いろいろな動物の図版もぜひご覧ください。
このホームページの記述によれば、メバルの学名をつけたのは「Cuvier」となっています。この人物はフランスの有名な博物学者、ジョルジュ・キュヴィエ(1769-1832)のようですね。
さて、ちょうど私の手元には「日本産魚類検索(第1版)」(東海大学出版会、1993年)という図鑑もありますので、それを見てみましょう。この図鑑では、メバルは「黒色型」「赤茶色型」「白色型」の3つの型が紹介されています。これは新分類での3種にそれぞれ相当するもののようです。つまり、1993年の時点ではメバルの分類は確定していなかったものの、多分3種に分けられるのではないかと考えられていたことがわかります。さらに巻末の解説を読んでみると過去の論争の経緯が簡単に書かれています。それによると、1904年に分類が細分化、1935年に統合、その後1980年代に再び細分化が提唱されたとのことです。「日本産魚類検索(第1版)」では「暫定的に」メバルを1種としていますが、「再検討の必要」があると書かれています。ちなみに同書の監修(そしてカサゴ目の執筆担当)の中坊教授(京都大学大学院)は、今回の新聞記事で紹介されたカサゴの新分類の共同研究者ご本人なのです。つまり100年以上もの長い間の懸案だった問題が2008年にようやく解決したのです。動物学の研究には時間がかかるものだということがよくわかる例と言えます。
さて、ここで疑問をお持ちの方もいるでしょう。「種の区別はいったいどうやって決められるのだろうか?」と。これは簡単なようで、実際は非常に定義がしにくい生物学上の大問題なのです。
わかりやすい例を出してみましょう。例えば、イヌとネコ。これは誰が見ても違う種だということはわかるでしょう。あるいはイヌとツキノワグマ、イヌとアフリカゾウ。これも違いは簡単にわかります。一般的に言うと、それぞれの種は独特の外見を持っており、それによって区別することが可能です。わかりやすい例で言えば、足指の数、歯の数などなども区別の根拠になります。外見だけでなく、骨格を調べることでも種の区別はできます(だから恐竜などの太古の生物の分類ができるのです)。
メバルの場合は、例えば胸びれの軟条(ひれを支える針状のもの)の数が、アカメバルが15本、クロメバルが16本、シロメバルが17本と異なっています。とても細かいことのように思えるかもしれませんが、魚類の分類では条や棘(これもひれを支える針状のもの)や鱗の数がとても重要になるのです。
では、イヌとオオカミ(タイリクオオカミ)ではどうでしょうか。例えばチワワとオオカミではかなり外見が異なるので同じ種には見えないかもしれません。ですが、シベリアンハスキーのようにオオカミっぽいイヌもいます。また、オオカミは世界中に広範囲に生息しているため、地域によって体格などに差があります。地域差があってもそれらはすべて同じ「タイリクオオカミ」という種だと言い切れるものなのでしょうか。種の区別は大半の場合は外見で解決できますが、そうはいかない場合もあるのです。(ちなみに現在は、イヌはタイリクオオカミ種の中に含まれるとされています。)
メバルの場合も同様で、色などが異なる3つの型があることはわかっても、それが単なる個体差や地域差なのか、あるいは別の種なのかはこれまで確定できなかったのです。
では、確実に種を区別するにはどうすればよいのでしょうか。それは、交配して子孫を残すことができるかどうかを調べればよいのです。実は、「種」の唯一とも言える確実な定義は「交配して子孫を残すことができる」ということなのです。この子孫は1代限りではダメです。例えばライオンとヒョウが交配することで「レオポン」という雑種が誕生することがあります。しかし、レオポンは生殖能力がないため子孫を残すことはできません。よって、ライオンとヒョウは別の種であるということがわかるのです。あらゆる動物種でこの実験を実行することは不可能ですが、種の分類が非常に微妙な場合には有効な方法です。
今回のメバルの場合も、新聞記事中の中坊教授のコメントによれば「3種は交雑しない」とのことですから、間違いなくこれらが別の種類であることが確認できたわけです。また、遺伝子レベルでの検証も行われたそうです。種を確定するというのは意外と大変なことなのです。
分類学は既に完成された学問だと思っている方は少なくないと思いますが、実際はメバルのような身近な魚でさえ未解決だったほどで、まだまだ解明されていない広大な領域が残っている分野なのです。