「自然発生説」という言葉があります。
これは「生物は無生物から生まれてくる」という説です。例えば、「エビは泥の中から生まれる」とか「ゴミから虫が生まれる」とかいうことです。見かけ上は確かにそのように見えますが、科学の常識からはこれはありえないことです。生物は必ず親から生まれるものであり、無生物から突然生命が現れることはありません。
しかし、それは生物学が進展した現代だからわかっていることであり、昔はそうは思われていませんでした。アリストテレスは真面目に「自然発生説」を唱えたのです。
自然発生説は19世紀にパスツールによって否定され、決着がつきました。
ここで話はかわります。
害虫を駆除するにあたって、最も根本的な原則は「繁殖させない」ことです。繁殖できる環境を断ってしまえば、それ以上害虫が増えることはなく死滅してしまいます。これは「生物は親から生まれる」という法則を踏まえた対策方法であり、最も確実な駆除方法です。
例えば、害虫が食べるものを除去してしまえば、卵を産む前に死んでしまうでしょうし、卵が孵化したとしてもそれ以上成長することはできません。
また、ある種の昆虫は特定の条件下でしか生きられないことがあります。例えば、カやユスリカの幼虫(つまりボウフラやアカムシ)は水の中で生活します。これは逆に言うと、水が無ければ生きていけないのです。ですから、カ・ユスリカ対策で最も重要なことは、「水を除去する(または水を滞留させない)」ということになります。
「繁殖させない」=「害虫駆除」という考え方は正しい論理であり、究極の方法です。
ところが、実際の害虫対策の現場ではこれがうまくいくとは限りません。再び、カやユスリカを例にしましょう。
カやユスリカを駆除するには水を除去してしまうことが最も効果的です。家の中の水で繁殖することはまずないので対象から外すとして、家のまわりのちょっとした水なら片づけられそうです。例えば空き缶、古タイヤなど水がたまってしまうものを捨ててしまいましょう。
しかし、片づけられない水もあります。それは川や湖や池です。これは個人の力で埋めてしまうことができるものではありません。行政でさえもこれらを全部埋め立ててしまうことなど不可能です。そもそも埋めてしまったら農業も工業も家庭生活も成り立たなくなってしまいます。つまり、カやユスリカの繁殖を完全に防止することはできないのです。
川や湖や池の近くにすむ方には、カやユスリカに悩んでいる方が少なくないでしょう。残念ですが、そのような環境ではカもユスリカも絶滅させることは不可能です。これは「カやユスリカは自然環境から無限に発生する」ということであり、これもまた「自然発生」と呼べそうなことです。
もちろん、この「自然発生」は「自然発生説」とは異なります。
「自然発生説」は「無生物から生物が生まれる」ということであり、
「自然発生」は「自然環境中から生物が発生すること」です。
ただ、現実にはカやユスリカは水場から無限に発生するように見えますし、それを前提に対策をたてなければなりません。自然発生説が正しかろうと、誤りであろうと、です。
害虫駆除の究極策「繁殖させない」は「自然発生説」の解明によって得られた人類の大いなる武器ですが、実際にはアリストテレスの時代と変わらず「生物はいくらでもわいてくる」ために人類の勝利はおそらく半永久的に不可能でしょう。「家の中のゴキブリを退治する」といった局地戦には勝てても、総力戦では絶対に勝てません。
でも、それでいいのです。もし人類があらゆる生物の生殺与奪の力を得た時、それは自然環境を完全に消し去ることができることを意味します。そのような力は私たちには必要ありません。私たち人類は自然環境があるからこそ存在できるのですから。