[今日の勉強]北斎は見た!見てない?
葛飾北斎(1760〜1849)といえば江戸時代を代表する絵師のひとりです。「冨嶽三十六景」は特に有名な作品です。
北斎の描写力は誰もが認めるものです。ところが、中にはおかしな絵も混じっています。
北斎の残した作品はあまりにも多いので、作品を特定するのが大変なのですが、ここでは私が手元に持っている書籍「北斎漫画1」「2」「3」(岩崎美術社)を使用することにします。これらは昭和60年代の刊行で現在は絶版ですが、現在も別の書籍で北斎漫画を見ることができます。
ちなみに「漫画」とは現在の「マンガ」とはまったく異なるもので、「雑多な図像を多数まとめたもの」といった感じのものです。また、北斎漫画には「絵手本」つまり絵の練習用の見本としての役割もあったようです。
さて、北斎漫画の八編と十三編にはゾウが登場します。ところがこのゾウにはリアリティがありません。体は大きすぎますし、ツメの形が違っています。目も大きくて細長いし、鼻の形もなんだか変です。あれほどの実力を持つ北斎がなぜこんなへぼい絵を描いたのでしょうか。その理由は簡単です。北斎は本物のゾウを見たことがなかったのです。
ゾウは江戸時代に何度か日本に来ており、江戸に滞在したこともあります。しかし残念なことに、北斎が生きた時期とゾウがいた時期は重なっていないのです。そのため、北斎は他人が描いた絵や伝聞を元にゾウを描かざるを得なかったのです。
前に紹介した「明治前動物渡来年表」によると、江戸時代にゾウは3回来日しています。それぞれ、
1728年に長崎、その後、1729〜1742年に江戸
1813年に長崎
1863年に横浜、江戸
となっています。1回目のゾウは多くの図像が残されています。2回目のゾウは江戸までは来ず、北斎も直接見たわけではありません。3回目は幕末ですね。北斎は先人の残したゾウの図像を元に、独自の解釈を加えて描いたものと考えられます。
近年人気の伊藤若冲(1716〜1800)もゾウを描いています。「樹花鳥獣図屏風」「象鯨図屏風」が有名です。若冲は京都の人です。1回目のゾウが江戸へ向かう途中に目撃した可能性は高そうです。ですがそれは子どもの頃の話。若冲が絵を描き始めたのは40才を過ぎてからですので、ゾウの記憶もあいまいになっていたことでしょう。若冲のゾウの絵がやはりリアルではないのはそのためと推測できます。
さて、北斎漫画に戻りましょう。
十三編、十四編にはラクダが登場します。このラクダは明らかにヒトコブラクダで、顔や背中の形状などは非常によく描けています。ただ、ヒヅメの形状がちょっと違います。調べてみると、1821年に長崎にヒトコブラクダが来ています。このヒトコブラクダはその後1824年に江戸に到着しました。北斎はどうやら本物を見たようです。
三編、十四編にはアザラシ(水豹)が登場します。イヌのような顔、翼のような前脚、耳たぶ。ん? これはアザラシではなくアシカ類ですよね。当時は分類が正確ではなかったのでしょう。ですが、驚くことにこのアシカはけっこう正確に描かれています。明らかに本物を見たとしか思えません。前脚が羽毛が生えているように見えるのはちょっと変な感じもしますが…。
北海道や東北で捕獲されたアシカが江戸へ運ばれてきたのでしょうか。あるいは近年のアザラシのように東京湾やそこに流入する河川にアシカがやって来たのでしょうか。北斎の絵ではアシカは長い尾を持っているように描かれています。見世物や死体ならばこのようなミスはしないでしょう。ということは、海または川にいたアシカを遠目から観察したことがあるということなのかもしれません。
二編では海産動物がまとめて描かれた絵があります。クジラにフカにツメザメ(?)、サスマタ。いや、どれも本物を見て描いてはいないでしょう!
クジラはヒゲクジラの仲間、おそらくセミクジラでしょう。サスマタとはシャチです。いずれもフォルムもひれの数も不正確なので明らかに本物を見ていません。ただ、尾びれが水平になっているらしいのは正解ですね。
フカはサメのことですが、正体不明です。ネコザメっぽく見えなくもありません。エラ穴が複数あるのは正解ですが、胸びれの後方にエラ穴があるのは間違いです。
ツメザメにいたってはいったい何をモデルにしたのでしょう? 4本脚の怪獣にしか見えません。いや、まてよ…これは…。1781年にワニの渡来の記録があります。これはワニの絵なのかもしれません。
初編には小さくですが奇妙な動物が描かれています。それはテナガザルです。手が非常に長いので間違いなくテナガザルです。調べてみるとやはり来日していました。1809年のこと、種類はワウワウテナガザル(ジャワ島にのみ生息)です。名古屋までは来ていますが、江戸にまで来たかどうかは不明です。実物と比べると…確かに似ています。ただし北斎の絵では腕がかなり長すぎるので、本物を見たのではないようですね。
十一編には「蛮国(いこく)の狩人 大鳥を打つ形」という絵があります。巨大な鳥を、カムフラージュした猟師が鉄砲で撃とうとしている図です。まったく似てはいませんが、まさかこれ、ダチョウ? 調べるとヒクイドリが1778年(1780年に江戸に来る)、1789年、1836年(1838年に江戸に来る)に来ています。ダチョウは1658年の記録のみです。この絵が空想のものであることは間違いありませんが、「外国には巨大な鳥がいる」という知識があったということでしょう。
北斎漫画全体を見ますと、ウマや海産物など間近で観察できる動物については非常によく描けているのがわかります。鳥については微妙なところがあり、十五編のツバメはスマート(細い体形)ではありませんし、あちこちに登場するツルも場合によっては簡略化された図案になっていたりで、ちゃんと本物を見たのかなあ、と思われるものもあります(ツルなどは誰でも知っている動物ですので、様式化されていたのかもしれません)。
とまあ、図像を実物の動物と比較検討することによって、北斎が見たもの・見なかったものを(ある程度は)解明することができそうです。これは他の絵師(画家)についても応用できます。こういう視点で歴史資料を読み直してみるのも面白そうなことです。