Vol. 566(2013/4/28)

[今日の本]「クマムシ?!―小さな怪物」
「クマムシを飼うには―博物学から始めるクマムシ研究」

今回もちょっと前の本を2冊紹介します。

ひとつは鈴木忠・著「クマムシ?!」で2006年の発売です(岩波書店)。もう1冊は鈴木忠、 森山和道・共著「クマムシを飼うには」、2008年の発売です(地人書館)。
「クマムシ?!」はクマムシについての入門書で、その著者にサイエンスライターのがインタビューするというのが「クマムシを飼うには」です。クマムシの飼育方法の本ではないので注意してください。「クマムシを飼うには」は「クマムシ?!」を先に読んでいることを前提にしています。「クマムシ?!」の副読本という立ち位置なので、必ず「クマムシ?!」を先に読むようにしましょう。

クマムシはその特殊能力がよく知られるようになって有名になりましたが、実物を見たことがある人はまずいないでしょう。というのも、顕微鏡でなければ見えないサイズだからです。私自身も見たことがあるのは一度だけで、やはり実体顕微鏡をのぞいていたときのことでした。ただ、その大きさは1mmほどもあり、クマムシとしてはかなり大きな種類だったようです。普通は0.1〜0.8mm程度の大きさですから、人間の日常生活では検知できない存在です。では、クマムシは珍しい動物なのかというとそうではなくて、例えばそこらの道端に生えているコケを採集してきて顕微鏡で調べれば、簡単に見つかるものです(見つからなければまた別のコケを調べていけばそのうち見つかるはずです)。
「ムシ」と名が付きますが当然、昆虫ではありません。節足動物ですらありません。クマムシは「緩歩動物門」(かんぽどうぶつもん)に属する動物で、現在では1000種以上が知られています(知られていない種はもっとたくさんあるでしょう)。「門」というのは動物の分類グループです。ヒトは「脊索動物門」に属しますが、これには哺乳類、爬虫類、両生類、魚類といった脊椎動物全部とホヤなどが含まれます。昆虫は「節足動物門」に属し、他にはクモ、ムカデ、カニ、エビ、ミジンコなどなど非常に多くの種類を含み、少なくとも100万種以上が知られています。
クマムシは節足動物に近い動物らしいのですが、体の構造は明らかに異なっており、少数派ながら独立したグループに分類されているのです。

クマムシについての一般向けの本は非常に少なく、今この文章を書いている2013年時点でもAmazonではこの2冊しかありません。書籍「へんないきもの」などにもクマムシは載っていますが、いろいろな(奇妙な)動物の一例として載っているだけでクマムシ専門の本ではありません。それほど資料が少ないのがクマムシです。
もっとも、個別の動物について書かれた本というのは(ペットを除けば)少ないもので、タヌキでさえたいした数は存在しません。動物全体で見ると本は多いのですが、種類が多すぎて個々ではとても少なくなってしまうのです。

岩波書店の「岩波科学ライブラリー」シリーズは科学の入門書を目指したもので、ページ数も少なく、内容も平易なものです。中高校生でも十分に読みこなせるものです。(そのため内容が薄い、などと批判する人もいるようですが、そういう人は学術論文を読むべきなのです。)
「クマムシ?!」もクマムシの初歩的な知識を学ぶには最適です。クマムシというと、乾燥にも、高温にも、高圧にも耐える!という特殊能力で知られていますが、その真相についてもちゃんと書かれています。なお、世間では「不死身の動物」などと言われることもあるそうですが、クマムシも他の動物同様コロリと死んでしまいます。
ともかく、クマムシについてはまず「クマムシ?!」を読むことをお勧めします。他に選択肢もありませんし。

さて、もう1冊の「クマムシを飼うには」はインタビュー形式でクマムシにまつわるさまざまなことがらや裏話が書かれています。実はこういう本こそ研究の実態や研究者の本音が現れているものです。
例えば鈴木氏のこのような発言があります(p161)。


「たとえば『AERA』で「クマムシ愛」とかいって、「クマムシを愛する人たち」みたいな調子で紹介されたりしたので、僕はもうすでに反発を感じています。「クマムシ愛にあふれる本」とか言われたら、僕はこれから「クマムシがかわいい」と言うのをやめようと思っています。」


これはつまり、「クマムシだけ」が大切なのではないという意味がこめられています。誤解が非常に多いのですが、研究者はその動物を愛しているから研究しているのではありません。私がタヌキを研究しているのもタヌキ愛からではないのです。有名な爬虫類学者の故・千石正一氏も本当に愛していたのはネコでありハムスターでありハナムグリでした。研究とはロマンチックなものではないのです。

クマムシでは研究予算がなかなかとれない、ということも本書では書かれています。研究予算が優先的に配分されるのはいわゆる先端科学というごく一部のジャンルだけです(最近ではiPS細胞とかスーパーコンピューターとか)。クマムシ研究のような動植物学研究は「古い学問」「終わった学問」あるいは「役に立たない学問」「金もうけできない学問」と見なされているため研究予算も少なく、研究者も非常に少ないのが現状です。…うーん、これはタヌキも同じですよね。私のようなアマチュアがプロ以上の成果を出しているわけですから(笑)。

また、この本で特に印象的なのは「それはわかりません」という言葉が何度も出てくることです。つまり、クマムシにはまだわからないことが非常に多く残されているのです。科学者は基本的にわかっていることしか書きません。そのため、「クマムシ?!」で書かれているのは原則、「わかっていること」ばかりです。ところが「クマムシを飼うには」ではインタビュアーがさまざまな質問を投げかけ、鈴木氏は正直に回答します。そのため「わかりません」発言が多くなるのですが、これはこれで「そうか、そういうことはまだ誰も研究していないんだ(または、結論が出ていない)」ということが読者にはわかるわけで、リアルな学問の世界というものを垣間見たような気にもさせてくれます。

「クマムシを飼うには」ではクマムシについて特に新奇なことが書かれているわけではありません。その代わり、リアルな科学者の世界というものを知ることができるでしょう。科学を前進させているのは人間である、ということをあらためて認識させてくれる本です。


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