Vol. 580(2014/6/29)

[今日の本]「犬の伊勢参り」「オオカミの護符」

今回は次の2冊を紹介します。
「犬の伊勢参り」著・仁科邦男(平凡社新書、2013年)
「オオカミの護符」著・小倉美惠子(新潮社、2011年)

「犬の伊勢参り」は新書大賞2014の第2位を受賞したのでご存知の方も多いでしょう。
この本では、江戸時代にイヌが自発的にお伊勢参り(伊勢神宮の参拝)をしたという信じがたいことを資料を駆使して解明していきます。「自発的に」というところが肝心で、イヌたちは参拝者のお供としてついていったのではなく、単独で伊勢神宮を往復していたのです。
最初のイヌの伊勢参りは1771年、最後は明治初頭ということも資料からわかっています。約100年の間、イヌの伊勢参りは何度もあったらしいのです。
なぜそんなことが可能だったのかについては本書の中で謎解きされています。それこそがこの本の一番の面白さなので、詳しくは読んで確認してください。
最初から最後まで、ひたすら文献を引用していくだけの構成ですが、そこから真実が明らかになっていく過程がとても興味深いです。

もう1冊の「オオカミの護符」は現代のドキュメンタリーです。
川崎市宮前区土橋に生まれ育った著者が、土蔵などに貼られたオオカミの姿が描かれた護符の正体を探っていきます。


両書に共通するのは「講」です。現在では講は細々としか残っていません。
「講」とは「宗教的な集まり」を意味するのですが、現代的な宗教集団を思い起こしてはいけません。
もともとは山岳宗教から発生したもののようで、みんなでお金を出し合って代表が参拝に行くという仕組み、と説明することもできます。
講は古くからあった「宗教システム」のようですが、江戸時代はかなりさかんだったようで、伊勢神宮に参拝する「伊勢講」は特に人気でした。これはイベント的な要素の方がずっと大きかったようです。当時は遠くへ旅行することは制度的にも金銭的にも難しく、そのため伊勢参りは一生に一度の大イベントだと当時の人々は考えていました。弥次さん喜多さんの「東海道中膝栗毛」は伊勢講ではありませんが、伊勢神宮に参拝するストーリーです。
「犬の伊勢参り」は講とは直接関係しませんが、江戸時代にさかんになった伊勢参りとは切り離せません。

明治以降は講はすたれてしまいましたが、現在も残る講の話が「オオカミの護符」なのです。
こちらの講は御嶽講(みたけこう)と呼ばれるもので、参拝する先は武蔵御嶽神社(東京都青梅市の御岳山山頂にある)です。講の参加者は昔からの住民で、毎年の参拝者は阿弥陀くじで決められます。現在は自動車とケーブルカーで参拝に行きますが、講の仕組みや手続きは昔の姿をよく残しているようです。

今回紹介した2冊はどちらも宗教にかかわるものです。また、どちらも食肉目イヌ科の動物(オオカミ、イヌ)がかかわっています。私が調査研究の対象にしているタヌキもキツネもイヌ科です。私の関心はタヌキなど食肉目動物が人間とどう関わってきたかにもあるので、こういった本はとても参考になります。

一般に神社にとってイヌは「穢れ(けがれ)」であり、立ち入りは好まれません。伊勢神宮ではイヌの排除はかなり徹底していたことも「犬の伊勢参り」には書かれています。ところが、江戸時代の途中からイヌの参拝が認められるようになったというのは奇妙なことのように見えます。
獣を「穢れ」とするのは仏教で言うところの「畜生」が関係しているのかもしれません。
「犬の伊勢参り」によると、イヌなど(ウマ、ウシ、ヒツジ、ブタ)が穢れの対象となったのは862年頃であるとのこと(昔々からの伝統ではないのです)。これ以降、伊勢神宮ではイヌがたびたび問題になっています。
ところが江戸時代のイヌの伊勢参りでは、これを神様の威光として宣伝材料にしようとしたらしいのです。
動物の扱いは時代によって変わるものです。現代は人間とイヌの関係が最も良好な時代だと思えます。

かつてイヌが穢れとされた一方で「オオカミの護符」ではオオカミという獣が神そのものあるいは神使としてまつられています。山岳信仰では山そのものがご神体なので、オオカミはその神使に過ぎないのですが、オオカミも神そのものであるようにも見えます。
よく誤解されていることですが、一般的には神社に関わる動物は神様ではありません。動物は神様のお使い、「神使」なのです。稲荷神社はキツネをまつっているのではありません。キツネは神様の使いでしかありません。春日神社のシカも神使です。
山岳信仰でのオオカミは神使よりもずっと神様そのものに近いようにも見えます。タヌキやキツネとは格が違うのだなー、と思うのです。

「神道」がひとつの宗教であるというのもよくある誤解です。
日本の神社信仰というのはさまざまな宗教が合流したり分離したりしてできた複雑なものです。「神道」とひとくくりにされますが、実態は多様な宗教の集合体です。
現代ではかなり形式的な面など(本殿があって、鳥居があって、社務所があって…といったこと)で統一化されつつあるように見えますが、元は多様な流れの中から生まれたものですので、どこもかしこも同じようになってしまうというのはちょっと変なことだと私は思っています。

私は動物を研究の対象にしていますから、神道の中のアニミズム、特に神として・神使としての動物に関心があります。
また、逆に神使になれなかった動物にも興味があります。例えばイヌやネコやタヌキの神社ってあまり聞きませんよね。彼らがなぜ神使になれなかったのかを知ることは、日本人の動物観を知る上でも重要なことです。
もっとも、イヌ、ネコ、タヌキの神社は数は非常に少ないものの、実際に存在します。タヌキの神社はなんと東京都千代田区にあるのです。どういう経緯で彼らが神使に出世したのか、これまた興味をそそられます。
今回の2冊はアニミズムを直接語るものではありませんが、宗教と動物の関係、つまりは人間と動物の関係について考えさせてくれるなかなか面白い本でした。


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