Vol. 224(2004/6/13)

[今日の事件]さよなら、タマちゃん

アゴヒゲアザラシのタマちゃんが姿を消した、というニュースを見聞きした方は多いでしょう。最後に目撃されたのは4月11日。それから2ヶ月がたちました。タマちゃんが戻ってくるかも、とかすかに期待している人もいるでしょうが、私はあえて宣言します。
さよなら、タマちゃん
と。
これだけ長期間目撃情報が無いということは、もう東京近辺にはいないと思われるからです。
それではタマちゃんはどこへ行ったのでしょうか。おそらく、東京湾の外に出たと思われます。そして、希望的観測をすれば、太平洋を北上しつつあるとも思われます。
アゴヒゲアザラシの本来の生息場所は北極海であり、その南限は日本付近では北海道になります。一般には海氷周辺に生息するとのことですので、本来はもっと北の海にいるべき動物なのです。本来の生息地目指して北上していることを期待したいところです。
これからタマちゃんがどう暮らすのか心配な方もいるでしょう。でも問題はまったくありません。食べ物は海には豊富に存在します。そして、アゴヒゲアザラシは単独行動する動物です。他の個体に近づくのは繁殖期だけです。もともとこういう生活をするのですから、ひとりぼっちでも問題はないのです。

タマちゃんは死亡したかもしれない、という説があるかもしれませんが、その可能性は低いでしょう。そもそも生死にかかわらず目撃情報がないのです。死んだ可能性よりも、外海を元気に泳いでいる可能性の方がよっぽど高いでしょう。

さて、この約2年間にわたるタマちゃんの東京湾滞在からは何がわかったのでしょうか。

・アゴヒゲアザラシは淡水河川で過ごすことがある。
・河川を数十kmさかのぼることがある(荒川の場合は40kmほど)。
・その滞在は長期間になることがある。
・その場合、河川と海を往復する。
・河川は主に休憩場所として使っているらしい。
・アゴヒゲアザラシの成長速度が確認できた。
・東京の夏にも耐えることが確認できた。

これらのことは、たいていは既にわかっていることでした。しかし、アゴヒゲアザラシは繁殖期以外の目撃情報が相対的に少ないため、今回の滞在の情報は貴重なものといえるでしょう。特に、生息地の南限をはるかにオーバーする場所でしたので、めったに見ることができない滞在だったわけです。
このような視点はマスコミ報道ではまったく欠けていたものでした。タマちゃんの滞在はもっと科学的に分析されるべきものだったと私は思っています。

今、一連のタマちゃん騒動をふり返ってみると、「北の海へ帰そう」というのはただの杞憂に過ぎなかったことは明らかです。タマちゃんは自力で北へ戻ることが可能だったわけです。人間が余計な世話を焼く必要はまったくなかったのです。人間はただ静かに見守ればよかったのです。
もちろん、タマちゃんにも危機はありました。しかし、その危機というのは「捕獲未遂事件」と「釣り針事件」という人間がもたらした人災だったのです。人間は何もしない、それがタマちゃんにとっては最も大切なことだったというのは本当に皮肉な話です。(「さわがない」「近づきすぎない」「エサを与えない」の3原則を主張してきた私はある意味正しかったと言えるでしょう。)


さて、タマちゃんについては言うべきことは既にあらかた言ってしまっています(「タマちゃん 関連情報」参照)。それでもあえて苦言を言いたいのは、マスコミの態度です。
出現当初はおおげさすぎるぐらいに騒ぎ立て、旬を過ぎると見向きもしなくなってしまう。まるで一発芸で当てた芸能人みたいな扱いですよね。この「いきもの通信」のように、冷静で科学的な分析をしたマスコミはほとんどありませんでした。もちろん、専門家にコメントを求めたりはしていたのですが、「ストランディング」というこの問題の本質にまでたどり着いたマスコミはどれほどあったでしょうか。
「タマちゃんを北へ帰すべきか」をアンケート調査したりしたマスコミもありましたが、これは専門家が判断すべき問題です。情報不十分な一般人に聞いたところで意味のない結果しか得られません。
タマちゃん騒動の不幸は、この事件を動物事件ではなく芸能ニュースとして取り上げたことにあったと私は思っています。

本州以南でのアザラシ・アシカのストランディングは毎年何件も発生しています。このうち長期定着する可能性のあるアゴヒゲアザラシの件数は非常に少ないのですが、早ければ数年以内にまた似たような事件が起こる可能性はあります(そして、似たような騒動が起こる可能性もあります)。その時は、どうぞこのホームページのことを思い出してください。そして、冷静に事件を見つめていただくようお願いします。


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