Vol. 355(2007/4/8)

[EXTRA]シンカのかたち 進化で読み解くふしぎな生き物
その2・イラストレーターが考えていたこと

シンカのかたち 進化で読み解くふしぎな生き物
監修:遊磨正秀、丑丸敦史
著:北海道大学CoSTEPサイエンスライターズ
イラスト:宮本拓海
発行:技術評論社 価格:1659円(税込)  ISBN978-4-7741-3062-0

以下で掲載しているイラストは、今回のイラストのラフ(下絵)です。説明や覚書のためのメモもそのまま掲載しています。なお、ラフは1度で終わらないこともありますし、その後の製作作業の段階でもさまざまな修正が行われるのが普通です。紹介するラフと完成画で異なる部分があるのはそのためです。掲載ラフにはミスも残されていたりしますのでご注意ください。


誰も見たことがない(はずの)飛翔

世界で最も小さな昆虫はアザミウマタマゴバチとされています。この昆虫については以前取り上げているので詳しくはそちらをお読みください
アザミウマタマゴバチ(p94)のイラストでは、私は飛ぶ姿を描きたい!とまず思いました。というのは、この昆虫、おそらく普通の飛び方はしていないと考えたからです。これだけの微小な世界では空気の粘性が無視できないほどになります。つまり空気中なのにまるで水の中にいるかのように空気がまつわりついてくるのです。こうなると翅を羽ばたかせるのもかなりの重労働になります。アザミウマタマゴバチの翅が奇妙な形をしているのにご注目ください。翅の縁に長い毛が多数生えています。この毛は「縁毛(えんもう)」と呼ばれ、微小昆虫はたいてい縁毛を持っているものです。アザミウマタマゴバチは縁毛がかなり長く、翅本体が小さくなってしまっています。人間や鳥類サイズではこのような翅では飛ぶことはできませんが、微小世界では縁毛に空気がからみついてくるため飛行機能は十分確保できているはずです。
ただ、アザミウマタマゴバチが実際に飛行する場合は、翅をはばたかせるよりも、風にのって飛んでいくことの方が多いような気がするのです。そっちの方が体力を消耗せず効率的に思えませんか? 翅を全開にし、凧のように飛んでいく。同時に脚も伸ばしてバランスをとり、体の向きをコントロールすることでヨットのように移動方向も制御する、そういう飛翔を私は想像し、それをイラストにしました。
アザミウマタマゴバチはあまりにも小さいために、飛ぶ姿を見たこと人はいないはずです。そしてそれを絵にした人もいないでしょう。私の想像は果たして正解でしょうか。
ところで、上のラフ画では腹側から描いていますが、頭部、特に口まわりの詳細がわからなかったため、背中側からの図にラフを描き直しています。


透明クマムシ

クマムシ(p134)というと昨年、クマムシ主役の書籍が登場したおかげで一気にブレイクした微生物です。「レンジでチンしても死なない」などといった特異で驚異の性質が有名です。
クマムシは書籍「へんないきもの」にも載っていますが、そのイラストと私のイラストではずいぶんと雰囲気が違うことにお気付きになられたでしょうか? 「へんないきもの」では不透明な装甲に覆われた硬そうな外見ですが、私のイラストでは半透明のぷよぷよしていそうな質感です。どちらが正しいのか? うーん、まあどちらも正しいと言えば正しいのです。「へんないきもの」のイラストは、元になった資料は電子顕微鏡写真です。電子顕微鏡では物体はすべて不透明に写ってしまいます。一方、私のイラストの元になったのは光学顕微鏡写真です。光学顕微鏡では透明な物体は透明と認識できます。このように元資料の差がイラストの差となっているのです。私のイラストでは「肉眼で見たように」描くことを目的にしていますのでこういう資料と表現を選択したわけです。
私のイラストではクマムシが非現実的な巨大さになっていますが、当初のラフではそうではありませんでした(上のラフがそれ)。ですが、編集者から「本文のように人もいっしょに描いてください」との指示があり、それなら、と本文中の巨大クマムシに合わせて描き直したのです。スケール感を合わせ、巨大感を出すためには最初から描き直すのは当然です。
巨大クマムシに追いかけられている人ですが、よく見ると探検家風の格好をしているのがおわかりでしょうか(笑)。シルエットなのですが、こういう描き込みはしっかりやっていたりします。ちなみに、ステラーカイギュウ(p86)のイラストの脇にいるダイバーもドライスーツと潜水装備一式をちゃんと身につけているのですよ。
また、「巨大クマムシに追いかけられている人」のポーズは「非常口」のアレのパロディーです。わかりました?
このイラストのような巨大クマムシがいたらびっくりですが、現実にはありえませんのでご安心ください。これだけの体重を、骨(内骨格)も、外殻(外骨格)も無しに支えることはできません。クマムシには装甲板はありますが、普通は背中まわりだけしか覆っておらず、体全体を支えることはできません。現実のクマムシはミクロの世界の住人ですので体重が問題になることはありません。体重は体長の3乗に比例する、という法則があります(数学的に理解できる法則です)。ミクロの世界では問題にならない体重も、巨大化すると急速に、いや、破滅的に重くなっていくのです。昆虫が人間サイズになれないのはそういう理由があるからなのです。また、人間をはじめとする脊椎動物がここまで大きくなれたのは、「内骨格」の優れた構造のおかげといえます。


1つ目の怪物

ミジンコ(p76)が「1つ目」だとは今回初めて知りました。つまり「サイクロプス」なんですね。眼というものはたいてい左右対称に存在していますので、1つ目というのはめったにありません。ミジンコは節足動物、その節足動物は左右に1つずつ眼があるというのが基本ですので、ミジンコも同様であっていいはずです。実はミジンコの眼は左右の眼が一体になってひとつになっている、ということがわかればなるほどと思いますがね。
ミジンコが1つ目であることはあまり知られていないと思いますが、その理由は、ミジンコの写真もイラストも映像も、真横からのものばかりだからでしょう(そうではないものがあっても、解説無しではまずわからない)。そこで、「1つ目」を強調するために、なるべく正面からとらえたミジンコを描こうと私は考えたのです。また、正面寄りなら腕の構造もわかりやすくなります。
ついでに言うと、なるべくミジンコが巨大に見えるような視点を採用しています。紙面上のサイズが小さいのであまり効果はなかったようですが…。


ムダ毛処理

デジタルで絵を描く場合、最近はパソコンの性能も向上したおかげもあり、かなり大きな画像サイズで作業をしています。今回のイラストでは、400dpiで、印刷サイズの2倍で描いています。これは現実にはオーバースペックとも言える解像度で、実際の印刷では細部はつぶれてしまいます。それを見越してディテールをごまかすということもあります。逆に、ディテールを描くことでそれらしい雰囲気を出す、というテクニックもあります。
図はシャクガ(p74)の完成画像の一部(実サイズ)です。このように細かい毛を描き込んでいるのです。実際のシャクガはもっと密に毛が生えているようですが、まあ、これだけ描き込んでおけば十分でしょう。実際の印刷では、コントラスト差が少ないこともあり、この毛を確認するのは難しいです。これがホントの「ムダ毛」というわけ(笑)。しかし、これがあるとないとでは雰囲気がずいぶん違ってしまうでしょう。ムダなようでもディテールが必要になることはあるのです。


巨大カマドウマ

巨大カマドウマ、と書くとキモチワルイと思われる方が多そうなので、ここは本文通り「ジャイアント・ウェタ」(p18)と書くことにしましょう。
さて、この絵では手のひらの上のウェタを描いていますが、この手は私自身の手です。手を写真に撮ってトレースし、それに合わせてウェタのラフを描いているのです。手の部分がやけにリアルに見えるかもしれませんが、ここもマウスで塗り塗りしており、写真データのフォトレタッチではありません。
ジャイアント・ウェタは直翅目(バッタ・キリギリスの仲間)の中では世界最大級なのですが、不思議と知名度が低い昆虫です。意外と写真資料が少ないのでイラストでも苦労しました。「ジャイアント・ウェタ」というのは複数の種を含む総称で、さらにジャイアントじゃない「ウェタ」も含めると100種以上にもなるそうです。これだけ多様性があると関心も分散してしまうのか、個々の種の写真資料が少なくなってしまうようなのです。これは私の推理ですが。
今回のイラストのような「手の上にジャイアント・ウェタ」という構図は、ビジュアル的にもわかりやすいため、似たような写真が既にありそうに思われますが、数枚ぐらいしかありませんでした。これまた意外と少ない数です。その理由を考えてみたのですが、
(1)体長15cmクラスにまでなるジャイアント・ウェタは少ない。
カブトムシ類やクワガタムシ類と同じように、栄養状態などによって成長の度合いが左右されるのではないでしょうか。15cmというのは記録的な最大値であって、通常はもう少し小さいのかもしれません。
(2)手に乗せると痛い(T_T)
イラストからもわかるように、脚にはトゲトゲがいっぱいあります。これを手に乗せるとチクチク痛いはずです。大型カブトムシ・クワガタムシを手に乗せたことがある方ならご理解できるでしょう。ジャイアント・ウェタを手に乗せて撮影しようと思っても、痛くて長時間我慢できない、だから撮れない、という理由なのかもしれません。
といった理由が考えられます。あるいは単純に、ウェタがじっとしていないから、というだけのことかもしれません。


描いても描いても終わらない(T_T)

イラスト作業で大変なことのひとつに、「完成までの所要時間が見えない状態」というのがあります。簡単に言えば「描いても描いても終わらない〜」という状況のことです。例えば、グリプトドン(p98)とかアルマジロ(p164)とかがそうでしたね。ひとつひとつ鱗を処理していかねばならないのでとにかく時間がかかるのです。永遠に鱗を描き続けるのではないかと本当に思うほどでした。
他には羽の模様(タマシギ(p170))とか、ヘビの鱗(p20)とかもそうですね。
昆虫などの節足動物はパーツがたくさんあって大変そうに見えるかもしれませんが、実際はパーツの数が決まってしまっているので作業時間の見積りはやりやすい方なのです。でもタラバガニ&ズワイガニ(p50)のようにトゲトゲがあると作業時間は増大してしまうのです。


さて、本書については次回もう1回取りあげます。次回はボツになった生物たちを紹介します。


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