Vol. 392(2008/1/13)

[今日の事件・OPINION]銃の問題と自然環境の問題

まず最初に私の立場を確認しておいた方がいいでしょう。

・私は狩猟免許(網・わな)を持っています。ここで勘違いしないでほしいのは「網・わな」のみの免許であり、銃の免許ではないということです。(このあたりのことについては過去の記事を参照のこと。Vol. 338(2006/10/22)[今日の勉強]狩猟免許をとった話・その1狩猟免許とはVol. 339(2006/11/5) [今日の勉強]狩猟免許をとった話・その2/狩猟免許をとるには)

・狩猟免許取得の目的はタヌキ研究で何かの役に立つかもしれないと考えたからです。その場合は傷つけずに捕獲しなければなりませんから、銃の使用はまったく考えられないことです。

・レジャーとしての狩猟には興味ありません。免許取得から1年以上経過していますが、狩猟をしたことはありませんし、何かの野生動物を捕獲したりしたこともありません。

・自然環境の管理を考えた場合、猟銃の使用を否定することはできません。ただし、猟銃を使うとしてもそれは抑制的であるべきで、優先順位は低く位置づけられるべきと考えます。


昨年(2007年)末の12月14日夜、長崎県佐世保市で散弾銃を発砲し2人が死亡するという事件が起こりました。この事件がしばらくメディアをにぎわせたのは皆様もご存知でしょう。
この事件の後、「識者のコメント」といったものでは「日本も銃社会になった」とか「銃所持の規制をもっと強めよ」といったものが多く見られました。しかし、このコメントはどうも変です。

ここでちょっと確認しておきますが、銃の種類には「拳銃(ハンドガン)」「散弾銃」「ライフル銃」などなどといったものがあります。
「銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)」では拳銃の所持は禁止されています。警察官とかはもちろん例外です。その他の銃では、目的が「狩猟」「人命救助、動物麻酔、と殺又は漁業、建設業その他の産業の用途に供するため」「運動競技(=スポーツ射撃競技)」「演劇・舞踊など芸能」「博覧会などの展示」などといったものに限られています。この中で数が多いのは「狩猟」と「スポーツ射撃」の2つでしょう。そしてこれらで使用されるのは散弾銃またはライフル銃です。
今回の事件では散弾銃(あるいはライフル銃)が使われていたことが早い段階から報道されていました。これを聞いた時、私はすぐに「これは猟銃かスポーツ射撃用のものだ」と直感しました。これらの銃は銃刀法によってがっちり管理されているので、銃所持者のリストを片っ端から調べることで容疑者を絞り込むことは比較的簡単だろう、と私は推理しました。実際、警察はその通りに捜査活動をし、犯人に行きついています。もし事件で使われた銃が拳銃だったならば、私は犯人は暴力団関係者だと推理したでしょう。拳銃は一般人には手に入りにくいものだからです。


発砲事件が相次ぐと「日本も銃社会になった」と嘆かれることが多いのですがそれは本当でしょうか。狩猟の世界では、近年ずっとハンターが減少していることはよく知られています。それは狩猟免許の発行数からもわかります。ですから狩猟用の銃の数も減少しています。スポーツ射撃の事情はよくわかりませんが、流行のスポーツではありませんし、競技人口も多くありません。おそらくこちらも銃の数は減少傾向のはずです。つまり、狩猟とスポーツ射撃については銃の数がとても増えた、ということは絶対にありえないのです。では、拳銃の方はというと暴力団関係者が隠れて所持することが多いのでその実態はよくわからない、というのが本当のところでしょう。
また、銃の所持者は犯罪率が高いとか、銃の事件がとても多い、といった客観的な事実はあるのでしょうか? 銃による死者数は交通事故死や自殺に比べればかなり少ないレベルです。また、銃犯罪の多くは暴力団関係のはず。
「銃社会になった」というのは正直なところ何の根拠もないことなのです。少なくとも拳銃とそれ以外をはっきり区別しないような表現、具体的な数字を伴わない意見は疑った方がいいでしょう。


「銃所持の規制をもっと強めよ」というのも正論のようではありますが、では現在の規制がどのようなものかどれだけ理解されているのでしょうか。銃を所持するためには講習会を受けたり、狩猟の場合は銃刀法とは別に鳥獣保護法による狩猟免許も必要になります。やっとで銃を持っても、家に置いておく時は銃と弾は別々に保管するように、とか、公安委員会の検査があったりとか、とにかくいろいろと面倒なことが多いのです。これ以上何を規制しろと言うのでしょう。
今回の事件では、報道によると犯人は以前、散弾銃をむき出しで持ち歩いていたそうですが、これは銃刀法第10条4「第四条又は第六条の規定による許可を受けた者は、当該許可を受けた銃砲を携帯し、又は運搬する場合においては、第二項各号のいずれかに該当する場合を除き、当該銃砲におおいをかぶせ、又は当該銃砲を容器に入れなければならない。」とあるように法律違反です(第35条2により罰金20万円以下)。地元警察は住民からの指摘に対し何もしなかったとのことですが、これは明らかに警察の怠慢です。規制強化よりも、法律を知らない警察官をどうにかする方がよっぽど大切なのではないでしょうか。
銃刀法はこの法律以外にもさらに細かいことを定めた「銃砲刀剣類所持等取締法施行令」「銃砲刀剣類所持等取締法施行規則」さらには「銃砲刀剣類所持等取締法施行令第一条の二第二号の銃砲の範囲を定める命令」「銃砲刀剣類所持等取締法第四条第一項第四号に規定する政令で定める者が行なう推薦の数を定める規則」「銃砲刀剣類登録規則」といった法令も関連してきます。まあ、とにかく規制がいかに多いかを実感してみてください。規制がとても多いということは心理的な抑制にもつながります。つまり「こんなに面倒なら銃所持あきらめよう」と思う人は多いでしょう。これは結果的に銃所持数を減少させることにつながっていると私は思います。
私は現在の銃刀法を緩めよと言っているのではありません。かといって規制をさらに強化する必要性というのもあまり感じません。ですが、銃の実態を知らない的外れの意見というのは勘弁してほしいものです。メディアも騒ぎ立てるばかりではなく、実際に銃を所持している人を取材してみてはどうでしょうか。


銃刀法の規制強化に私が賛成できないのは、これが自然環境管理と密接な問題だからです。「自然環境の保護」というと、樹木を植えたり、動物を保護したり、といったことがすぐに連想されるでしょう。これらは確かに保護の基本ですが、それだけで問題が解決するわけではありません。例えばシカを大切に保護した結果、数が増えすぎてシカの食害がひどくなってしまったとしたらどうでしょう。シカが増えたという点では保護は成功ですが、数が増えすぎて生態系のバランスがくずれてしまったのならそれは失敗とも言えます。最近の自然環境保護では単純な動植物の保護ではなく、生態系全体を見渡して維持管理していくという方向になりつつあります。基本的には動植物の保護が第一であるのは以前同様ですが、数が増えすぎるなどの緊急事態になった場合は殺処分という選択肢も考慮しなければなりません。
また、クマが人里に出没して人身事故があった場合のように、射殺をせねばならないこともあるでしょう。
つまり、自然環境保護とか野生動物対策といったことを考えた場合、銃の使用は避けることができないのです。もちろん、銃を使わない解決策があればそれを採用すべきです。それでも、それでもやむを得ず銃を使用せざるをえない場合も発生するのです。もし、猟銃の使用が禁止された場合、自然環境保護や野生動物対策にとっては選択肢のひとつを失ってしまうことになります。銃の使用を好ましく思わない私でさえ、そんな状況になるのは避けたいと考えるほどなのです。こういったことの検討もせずに規制を強化するのは賛成できません。

銃を使うのは警察や自衛隊に任せればいい、という意見もでてきそうですがそれにも私は賛成できません。警察が使うのは主に拳銃、自衛隊が使うのは主に自動小銃(アサルトライフル・軍用ライフル銃)であり、狩猟で使われる散弾銃・ライフル銃とは異なるものです。散弾銃・ライフル銃を使うのならそれなりの訓練の時間が必要になります。また、野生動物を相手にするというのはこれまた特殊なことであり、そのための特別な講習・訓練・実戦経験が必要です。つまり何かとコストがかさむことなのです。しかも山間地に自衛隊などが出動するとなるとこれまた多くの費用がかかります。そこまでコストをかけて警察・自衛隊にやってもらうことなのでしょうか。
(過去記事もご参考に→Vol. 365(2007/6/17)[今日の事件]有害鳥獣対策に自衛隊が協力?)


「銃の無い社会」というのは確かに目指すべき理想かもしれません。ですが、銃が無くなるとかなり困ってしまうジャンルというのも存在するのです。その検討もせずに規制強化に突っ走るのはやめてほしいものです。
また、法律を強化したとしても、暴力団関係者の間を行き来する拳銃にまで効果があるとは思えません。まずは警察が銃刀法の勉強と、違法銃の摘発を強化すべきではないでしょうか。


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