Vol. 236(2004/9/12)

[今日の観察]死んでいるトンボよりも生きているトンボの方が美しい理由

このホームページではトンボの翅の写真を公開しています。これらの写真のトンボはすべて生きています。それがどうした?と思われる方もいるでしょうが、図鑑に載っている昆虫の写真はたいてい「標本写真」つまり死体の写真であることを思い出してください。私の写真はそのような写真とは一線を画すものなのです。
なぜ私が生きているトンボの姿にこだわるのか。それは生きているトンボの方が美しいからです。その理由を今回はお話ししましょう。


もし、手元に昆虫図鑑があるようでしたら、その中のトンボのページを開いてみてください。図鑑の写真が標本写真(死体の写真)だったならば、それを私の写真と比べてみてください。おそらく、私の写真の方が色彩が鮮やかに見えるはずです。標本写真の方は色がくすんだように見えるでしょう。両者を比べると色合いも違うように見えるでしょう。

なぜこのように違ってくるのでしょうか。原因は2つ考えられます。
原因その1は、トンボは死ぬと色が変わるからです。トンボの標本を作ってみたことのある人はご存知のことでしょうが、トンボは死ぬとだんだんと色あせていきます。また、目(複眼)の色も変色してしまいます。トンボは意外とカラフルで、赤、青、黄、緑などさまざまな色をしています。死ぬとその色を保存できないのはとても残念なことです。
トンボの体色を保存する方法はこれまでにもいろいろと考えられてきました。有名なものは、アセトン(引火性があるので危険です)を使う方法ですが、この方法でも目の変色は避けられないそうです。
昆虫図鑑の中には、変色していない標本写真もあるでしょう。その写真は、殺してすぐに写真を撮っているものと思われます。

原因その2は、室内光で撮っているからです。写真撮影に詳しい方ならば、外の光(自然光)で撮影する場合と、室内の光(屋内光、人工光)で撮影する場合とでは、同じものを写しても出来上がりの写真の色合いが異なることをご存知でしょう。やはり自然光で撮るのが一番いいのですが、外は晴れたり曇ったりで条件が安定しません。人工光の方が安定した結果が得られるのです。ただ、人工光では自然光での色合いと微妙にずれるため、リアリティーがやや弱くなるように思えます。

(あえてもうひとつ原因を挙げるとすれば、昔の図鑑は色の再現性があまり良くなかった、という事情もあります。あるいは、フィルムの保存状態が良くなかったということもあるかもしれません。技術は常に進歩するものですので、図鑑は新しいものほど良いものなのです。)

トンボは生きている方が美しい、と私が思う理由がおわかりになったでしょうか。死ぬと色が変わってしまうトンボ。生きている姿そのままこそが美しいと思うのです。

トンボの写真には標本写真の他に、生きている姿(普段の姿)をそのまま撮る「生態写真」というものがあります。生態写真は生きている姿を撮るのですから色は問題ありません。ただ、いつも好条件で撮れるわけではないのが難しいところです(近づけなかったり、高速で飛んでいたり、暗かったり、向きが良くなかったり)。
トンボの写真というと標本写真か生態写真かしかなかったのがこれまでの状況でした。その両者の良いところを合わせたような写真が、私のトンボの翅の写真です。標本写真のようですがトンボは生きています。ですから色も鮮やかです。自然光で撮っているので色もより正確です。そして、生態写真よりも精密な写真が撮れます。いろいろ意味で画期的な写真であるわけです(これはもちろん自慢しているわけですが、なかなか理解してもらえないのですよ)。

そして、なによりも精神的にいいのは、トンボを殺さずにすむことです。私は昆虫の標本製作を否定はしません(実物標本は学術研究には欠かせないものだから)が、昆虫を殺すことにはやはりちゅうちょしてしまいます。殺さずに精密な写真が撮れるならば、それにこしたことはありません。私の発明した撮影方法は、この条件を満たしているのです。
(ただ正直に言うと、捕まえたトンボの五体満足生還率は100%に近いものの、完全に100%ではないのがちょっと残念です。)

昆虫の標本というと、チョウや甲虫(カブトムシ、クワガタムシ、コガネムシ、カミキリムシ、タマムシなど)が主流です。というのも、これらは色あせることなく長期にわたってその美しさを保つことができるからです。昆虫の中でもチョウや甲虫が人気があるのは偶然のことではないのです。
ただ、そのチョウ、甲虫でさえ数十年も経過すると鱗粉が落ち、輝きが失われていくといいます。やはり、生きている姿が美しいのはどんな昆虫にも、いや、どんな動物にも言えることではないでしょうか。


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