[今日の事件]クニマス再発見
「絶滅したクニマスが発見された」というニュースは昨年12月に各メディアで紹介されたので、既に多くの方々がご存知のことです。ちょっと遅くなりましたが、いきもの通信でも取り上げてみます。
クニマスとは、秋田県の田沢湖のみに生息していたサケ科に分類される魚です。1940年頃に絶滅したとされていました。
学名は「Oncorhynchus nerka kawamurae」ですが、後述のように別の学名もあります。
そして、今回の報道でよく名前が出てきたもうひとつの魚が近縁種「ヒメマス」(学名:Oncorhynchus nerka)です。ヒメマスとクニマスはよく似ているため、これまでも西湖では「ちょっと変わったヒメマスがいる」と認識されていたようです。
ところで、ベニザケという魚もいますが、実はヒメマス=ベニザケです。これらは同一の種を指しているのですが次のような違いがあります。
ヒメマスは「陸封型」、つまり一生を淡水で暮らすタイプ、
ベニザケは「降海型」、つまり成長すると海に出るタイプ
なのです。名前と生態は違っても同じ魚なのです。
クニマス再発見のいきさつは既にマスコミで紹介されている通りですが、朝日新聞(2010年12月15日)の記事をまとめてみると次のような経緯だったようです。
さかなクンは以前から京都大学の中坊教授にいろいろと同定(動物種の特定のこと)について習っていたようです。中坊教授はそんなさかなクンにクニマスのイラストを描くことを依頼していました。もちろん、生きたクニマスは手に入りませんので、さかなクンは液浸標本(いわゆるホルマリン漬け)を参考にしましたが、それでは変色しているし、ヒレの形状などがわかりにくく理想的なモデルとはいえません。中坊教授は近縁種のヒメマスを参考にすることを提案し、さかなクンは各地の漁師からヒメマスを送ってもらうことにしました。その集めたヒメマスのうち、西湖から送られてきたものはヒメマスとは何かが微妙に異なることにさかなクンは気付きました。これはクニマスではないか、さかなクンは中坊教授に見せました。中坊教授もこれはクニマスかもしれないと判断し、さらに詳細な調査をした結果、これがクニマスであると断定したのです。
ヒメマスとそれにそっくりなクニマス、これらはどうやって見分ければいいのでしょう?
動物の種類を判別する最もわかりやすい方法は「外見で区別する」というものです。そんなの当たり前、とおっしゃるかもしれませんが、これはとても奥が深いことなのです。例えば、イヌとネコの外見の違いをあなたは正確に言うことができますか? 抽象的な表現ではなく、具体的に述べてください。意外とこれは難題です(この答えは頭骨の形状、あるいは歯の並び方の違いを指摘できればとりあえず合格でしょう)。生物は種によって固有の外見があります。種が異なれば外見もどこか違うものです(ごく一部にこの法則が通用しない生物もいます)。
生物の形態を記述すること、研究することは「モルフォロジー(形態学)」と呼ばれているのですが、日本ではあまり一般的な言葉ではありません。
「日本産魚類検索 全種の同定」という本があります。この本は日本産魚類のモルフォロジー事典と言っていいもので、魚類の研究者やディープなマニアなら必読の本です(詳細は「Vol. 233(2004/8/15)[今日の本]日本産魚類検索 全種の同定 第二版」をご覧ください)。
モルフォロジーは生物イラストレーターにとっては絶対に必要な知識ですので、魚の絵を描くさかなクンもこの本は間違いなく持っていたはずです。
この本によると、クニマスのモルフォロジーは、背ビレ=10〜11軟条、側線鱗数=126〜144、鰓耙数=36〜38などとなっています。魚類の分類はこのような計数できる部分に注目して行われるのです。
ところがこれらの数値はヒメマスもだいたい同じなのです。しかし、わずかな数値の違いやヒレが黒いなどの特徴から、どうもこれはクニマスなのではないか、とさかなクンは判断したに違いありません。しかし、あまりに微妙すぎて確信は持てなかったはずです。そもそもクニマスは絶滅していて存在していないのです。そこで中坊教授のところにこれを持ち込んだというわけです。
中坊教授に持ち込んだのは正解でした。実は中坊教授は「日本産魚類検索」の監修者で、日本一の魚類分類学者なのです。以前にも「Vol. 436(2008/12/7)[今日の事件][今日の勉強]メバルが3種に分割/「種」とは何か?」で紹介しているように、これまでにも「新発見」をしてきた方です。中坊教授もその魚を一目見てヒメマスとは微妙に違うことに気づかれたようです。中坊教授は消化器官の形状やDNAなども調べた上で、これはヒメマスではなくクニマスだと断定したのです。
微妙な差異に気付いたさかなクンもお手柄です。さかなクンが優れた観察力を持っていたからこその発見だと私は思います。
ところで、最近の報道ではクニマスの学名を「Oncorhynchus kawamurae」とするものもあります。
「Oncorhynchus nerka kawamurae」はクニマスはヒメマスの亜種であることを表しています。
「Oncorhynchus kawamurae」はクニマスとヒメマスは別の種であることを表しています。
亜種とは種の下の分類で、地域的に隔離されていて形態の一部が異なっている集団のことです。亜種でも同じ種ですので、交雑することは可能です。ですが、クニマスとヒメマスが別の種なら交雑しないことになります。
西湖にはヒメマスもクニマスも生息しています。これらが交雑せず別々に存続してきたということは、やはり別種だと考えるべきです。とすると学名は「Oncorhynchus kawamurae」にすべきということになります。これらが交雑するのかどうかは今後の研究が必要になってくるでしょう。
ちなみにクニマスの学名の「kawamurae」は日本の魚類学者、川村多実二に由来します。川村は大正時代の頃の京都大学の教授です。川村はクニマスの標本をデイビッド・スタア・ジョルダン(米国スタンフォード大学)に提供し、ジョルダンらによって学名が記載されました。その時に川村の名前を種小名につけたのです。
ちなみに他の生物でも同じことですが、学名の命名者は論文を書いた人であり、発見者とは限りません。
さて、クニマスの話はこれで終わりではありません。続きは来週。
[2011年2月24日追記]
クニマスの論文が公開されました。
Oncorhynchus kawamurae “Kunimasu,” a deepwater trout, discovered in Lake Saiko, 70 years after extinction in the original habitat, Lake Tazawa, Japan
Tetsuji Nakabo, Kouji Nakayama, Nozomu MutoandMasayuki Miyazawa
ICHTHYOLOGICAL RESEARCH(オンライン版)に掲載されていますが、現時点では有料です。