Vol. 240(2004/10/10)

[OPINION]自然観察:日常と非日常との間

動物のことや自然環境のことをどうやって多くの人に伝えるか、というのは私にとって重要な課題です。この「いきもの通信」でもたびたびこれにかかわる話題を書いたりしてきました。最近ではVol.220でも書いています。今回もそういう話です。


今回の話のキーワードは「日常」と「非日常」です。
「日常」とは、例えば料理、家事、掃除、洗濯、買い物、自動車、腕時計といったこと(もの)のことです。いつも身近にあり、さわることができるものです。
「非日常」とは、例えば小説、映画、マンガ、アニメといったもののことです。現実の世界とは異なる、別世界のものです。日常的ではない、という意味ではお祭りやディズニーランドも「非日常」のものと言えるでしょう。
社会学的・民俗学的な言葉で「ハレ(晴れ)」と「ケ(褻)」というものがありますが、「ケ=日常」、「ハレ=非日常」と置き換えてもいいかもしれません。

さて、ここであなたに質問です。
あなたにとって動物とは「日常」ですか?それとも「非日常」ですか?
ペット(飼育動物)は明らかに「日常」ですので、ここでは野生動物についての質問にしましょう。

多くの人にとって、特に都会に住む人にとっては、野生動物は完全に非日常の領域でしょう。だって、日常生活の中には野生動物は現れませんからね。
一方、私のような自然観察愛好家にとっては野生動物は日常の存在なのです。公園や、まして山や海へ行くまでもなく、自宅のまわりを歩くだけで、スズメ、カラス、ツバメ、キジバト、アゲハチョウ、セセリチョウ、アブラゼミ、アキアカネなどなどといった野生動物を見つけることができるのです。

自然環境に詳しい人にとって、それは日常のことです。
しかし、そうでない人にとっては非日常のことなのです。
ここに大きな溝があるような気がしてならないのです。

ひとつの例として、自然観察会の場合を考えてみましょう。
観察会の講師は専門家ですので、教える(話す)内容は日常的なことです。一方、参加者にとっては観察会とは休日の日にわざわざ出かける特別なもの、つまり「非日常」です。よって、観察会に非日常的なサプライズをどうしても期待してしまいます。講師が参加者の期待に応えることができればそれでいいのですが、実際にはなかなか難しいこともあります。教える側にとっては、参加者が「わざわざ足を運んだのに面白くなかったな」という感想を持つことが一番つらいことでしょう。
観察会が面白くない原因は、講師側にもあるでしょうし、参加者側にもあるでしょう。ただ、私にとっては「日常と非日常」という構造的な原因もあるように思えてならないのです。

日常のことは日常の世界で完結しています。非日常のことは非日常の世界で完結しています。たいていのことはこの原則に収まるでしょう。
しかし、野生動物や自然環境のこととなると、人によって日常であったり非日常であったりします。また、「やや日常」とか「やや非日常」といった中間的な場合もあるでしょう。人々の立場が、この「日常〜非日常」の間にあまりにも広くばらついているのです。これこそが野生動物や自然環境に対する無関心につながっているのではないか、と思うのです。

では、それを解決する方法はあるのでしょうか。
一番ハッピーな解決方法は、みんながそれを「日常」と思ってくれることです。そうなればギャップは消滅するのですから。しかし、それは果てしなく不可能に近いことでしょう。世の中の人すべてが野生動物や自然環境のことを身近に感じてくれるようになるとはとても思えないからです。
だからといって、専門家はこの「日常化」の努力をあきらめてはいけないでしょう。少しでも多くの人が「日常」と感じてもらえるように常々工夫すべきです。
その方法として、日常と非日常のギャップを逆に利用してしまう方法もあるでしょう。つまり、観客が期待するようなサプライズをあえて演出することです。エンターテイメント的なアプローチということです。


と、ここまで書いて、結局Vol.220で言ったことと同じような結論に達してしまったのでした。う〜ん、なんだか堂々巡りをしているみたいですね。
何はともあれ、私の仕事とは(そしてこの「いきもの通信」の目的は)このギャップを埋める作業であることは間違いないでしょう。

なんだかまとまらない話になってしまったようですが、今回の話は次回(Vol.243)への布石でもあったりするのです。


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