Vol. 162(2003/2/23)

[今日の新聞コラム]ある新聞コラムに対する返答

朝日新聞の金曜日の夕刊にはファッション面があり、そこに月1回ほど作家の赤坂真理氏が「ボディ&メロウ」というコラムを執筆しています。ファッションを単に愛でるのではなく、文明批評的な感覚で鋭くファッション現象を指摘する内容には、いつも感心しています。2003年1月24日夕刊に掲載されたそのコラムでは、「人間愛護」というテーマで自然保護・動物愛護に対しての批判が書かれていました。


コラムの概要

以前、反毛皮キャンペーンに賛同したトップモデルたちがいたが、彼女らは今も毛皮を着ないのだろうか? また、賛同しているというのなら、肉を食べず、革製品を持たず、胎盤エキスは使わないのか? 毛皮だけがだめというのなら、その理由は何か?
希少動物を救えというが、人によって対象の動物は違う。なぜその動物を選んだのか理由を知りたい。人間の生活は多くの実験動物に支えられているが、絶滅しそうな動物とどう違うのか。


時にひねった書き方をするコラムですので、事情を知っていてあえて批判するように書いているのかとも思ったのですが、内容を読み込んでみてもやはり誤解している(あるいは情報不足)としか思えませんでした。だからといって、氏を非難するつもりはありません。同じような認識の方は少なくないと思いますし、それは「自然保護・動物愛護」側の宣伝・アピールの不足が原因と思うからです。
しかし誤解を放っておくわけにもいきません。私は「自然保護・動物愛護」の代表というわけではありませんが、氏の疑問に答えてみたいと思います。


「もし、毛皮はだめで肉食も革製品もいいとしたら、毛皮だけに反対する論拠はなんだろう。」

まず言わねばならないのは、「自然保護・動物愛護」と肉食は相反することではないということです。ヒトは本来、雑食性の動物であり、肉を食べることにうしろめたさを持つ必要はまったくありません(Vol. 107Vol. 108をご覧ください)。
「毛皮だけに反対する理由」ですが、これも正確には「毛皮だけ」ではありません。革製品、象牙、べっ甲、トラの骨…「自然保護・動物愛護」関係者が取り組んでいるテーマは非常に広範囲です。多くの人たちにアピールするには、時に焦点を絞って運動した方が効果的です。その結果、「毛皮だけ」に集中している印象を持たれてしまうかもしれません。
また、「自然保護・動物愛護」関係者の関わり方も一様ではないため、人によって対象が異なっています。「自然保護・動物愛護」関係者が一枚岩の団体であると思ってはいけません。

「希少種を救え、高等動物を守れとある人たちは言う。人によって対象が違う。(中略)数ある生物からその種を選んだわけを私は知りたい。」

一般的に、保護する対象としてよく取り上げられるのは「現実に絶滅する可能性が高い動物」です。野生での繁殖による増加が難しいために飼育下で繁殖されるものも多くいます。パンダやトキがわかりやすい例でしょう。ただ、一部のクジラのように絶滅の危機はないと言われるものまでも保護されていたりします。
人によって対象の動物が違うのは、動物の種類数が非常に多いためです。これら全部に同時に目配りをすることはまず不可能です。そのため、時によって、人によって、いろいろな動物が取り上げられるわけです。
その中でもある特定の動物に関心が集中する傾向があるのは、上にも書いたように、運動の効率を考えると、対象を絞った方が有利になるからです。その結果、わかりやすい対象が選ばれやすくなります。例えば、「頭がいいクジラ」とか「かわいいパンダ」とか「日本最後のトキ」といった具合にです。
対象が偏るのは良い面も悪い面もあり、評価が難しいところです。ですが、全般に哺乳類や鳥類に集中する傾向があるのは良いことだとは私は思っていません。魚類とか昆虫にももっと目を向けるべきでしょう。しかしそれでは世間の関心を引きにくいんですよね。

「人間社会こそ、動物に守られているのではないかと。」

まったくその通りです。この感覚は正しいものです。ただ、ここでの「動物」は飼育動物(家畜、実験動物)を指していると思われます。「野生動物に守られている」と言いかえたとして、これを理解できる人がどれだけいるでしょうか。私は経験的・感覚的に「野生動物に守られている」ということを理解できますが、普通の人から見ると「宗教的」ととられかねないことでもあります。

もうひとつ、全体に気になったことを。
このコラムでは「自然保護」と「動物愛護」を同じものと見なしていますが、実際にはこれらは別物です。詳しくはVol. 159をご覧ください。
また、「自然保護」と「動物愛護」では対象が異なるため、両方に関わっている人は少ないものです。両方に関心があっても、たいていはどちらかに偏っています。内容の異なる両方をいっしょにまとめて批判するというのは、実はちょっと無理があるのです。
(私は野生動物・飼育動物両方になるべく均等に関心を払っていますが、そういう人は珍しいと思います。)


この新聞コラムを読まれた「自然保護・動物愛護」関係者の中には、「全然わかってない!」と怒った方がいたかもしれませんが、それよりも、「普通の人の認識はこの程度なのだ」→「もっと広報宣伝の努力をせねば」と考えるべきでしょう。普通の人から見れば、「自然保護・動物愛護」運動というのはとても珍妙なこと、場合によっては「エセ科学」と見なされることもあるということを心せねばならないでしょう。普通の人に理解してもらうということ、これは「自然保護・動物愛護」関係者が今一番考えなくてはいけないことだと私は思うのです。


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