明治生まれの忘れられつつある法律
「いきもの通信」の愛読者の方はご存知と思いますが、ここではよく法律の話題を取り上げます。「動物と法律」というと、奇妙な組み合わせのように見えるかもしれませんが、実際は深い関係があるのです。その関係については「Vol. 253[今日の事件]動物事件学への招待/その4 動物六法を選ぶとすれば」をお読みください。
法律から動物を読み解くというのは斬新な手法なので、「いきもの通信」でも繰り返し取り上げています。そのおかげで私も動物関連の法律には一通り目を通していたつもりでいました。ところが先日調べものをしていて、これまでに見たことも聞いたこともない法律を偶然発見したのでした。
その法律の名は
「臘虎膃肭獣猟獲取締法」。
これ、何の法律だかわかりますか? そして読み方はわかりますか? 私は読み方がわかりませんでした。なにかの動物を狩猟・捕獲することについての法律だ、ということは文面からもわかるのですが…。答えはこの法律の施行規則である「臘虎膃肭獣猟獲取締法施行規則」に書いてありました。
「臘虎」=ラッコ
「膃肭獣」=オットセイ
が正解です。法律の名称は「ラッコ・オットセイ・りょうかくとりしまりほう」となります。
この法律、とても短いので以下に記載します。まずは読んでみてください。
臘虎膃肭獣猟獲取締法
(明治四十五年四月二十二日法律第二十一号)
最終改正:平成一一年一二月二二日法律第一六〇号
第一条 農林水産大臣ハ農林水産省令ノ定ムル所ニ依リ臘虎又ハ膃肭獣ノ猟獲ヲ禁止又ハ制限スルコトヲ得臘虎又ハ膃肭獣ノ獣皮又ハ其ノ製品ノ製造若ハ加工又ハ販売ニ付亦同ジ
○2 前項ノ規定ハ同項ノ規定ニ依ル禁止又ハ制限ニ違反シテ猟獲シ製造シ加工シ又ハ販売シタル臘虎膃肭獣又ハ其ノ獣皮若ハ其ノ製品ノ所持ニ付之ヲ準用ス
第二条 農林水産大臣ハ前条ノ規定ニ依リ禁止又ハ制限ヲ為サントスルトキハ予メ公聴会ヲ開キ利害関係人及学識経験者ノ意見ヲ聴クコトヲ要ス
第三条 削除
第四条 漁業法第七十四条第一項 ノ漁業監督官又ハ漁業監督吏員ハ同条 ノ例ニ依リ本法ノ励行ニ関スル事務ヲ掌ル
第五条 第一条ノ規定ニ依ル禁止又ハ制限ニ違反シタル者ハ一年以下ノ懲役又ハ十万円以下ノ罰金ニ処ス
第六条 前条ノ犯罪行為ニ供シタル船舶船具猟具及第一条ノ規定ニ依ル禁止若ハ制限ニ違反シテ猟獲シ若ハ所持シタル臘虎膃肭獣又ハ同条ノ規定ニ依ル禁止若ハ制限ニ違反シテ製造シ加工シ販売ニ供シ若ハ所持シタル臘虎膃肭獣ノ獣皮若ハ其ノ製品ニシテ犯人ノ所有スルモノハ之ヲ没収スルコトヲ得若其ノ全部又ハ一部ヲ没収スルコト能ハサルトキハ其ノ価額ヲ追徴スルコトヲ得
附則
○1 本法ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス
○2 臘虎膃肭獣猟法ハ之ヲ廃止ス
附則(昭和一七年二月二一日法律第四一号)
○1 本法施行ノ期日ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム
○2 本法施行前従前ノ罰則ヲ適用スベカリシ行為ニ付テハ仍従前ノ例ニ依ル
附則(昭和二五年五月四日法律第一五二号)
1 この法律は、公布の日から施行する。
2 この法律施行前にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例による。
附則(昭和二九年六月二日法律第一五五号)
この法律は、公布の日から施行する。
附則(平成一一年一二月二二日法律第一六〇号) 抄
(施行期日)
第一条 この法律(第二条及び第三条を除く。)は、平成十三年一月六日から施行する。ついでに施行規則も短いので転載します。
臘虎膃肭獣猟獲取締法施行規則
(平成六年四月一日農林水産省令第二十六号)
臘虎膃肭獣猟獲取締法 (明治四十五年法律第二十一号)第一条第一項 及び第二項の規定に基づき、臘虎膃肭獣猟獲取締法施行規則(昭和十七年農林省令第四十六号)の全部を改正する省令を次のように定める。
(猟獲の禁止等)
第一条 何人も、らっこの猟獲又はおっとせいの陸上猟獲をしてはならない。
2 何人も、北緯三十度の線以北の太平洋の海域(ベーリング海、オホーツク海及び日本海の海域を含む。)においては、当分の間、おっとせいの海上猟獲をしてはならない。
3 前二項の規定は、試験研究その他の特別の事由により農林水産大臣の許可を受けた者がする猟獲については、適用しない。
4 農林水産大臣は、前項の許可をしたときは、許可証を交付する。
(制限又は条件)
第二条 前条第三項の許可には、制限又は条件を付し、及びこれを変更することができる。
(所持の禁止)
第三条 第一条第一項若しくは第二項の規定又は前条の制限若しくは条件に違反して猟獲されたらっこ又はおっとせいは、所持してはならない。
附則
1 この省令は、公布の日から施行する。
2 この省令の施行前にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例による。まず、明治45年の公布というのがすごいですね。この法律以前には「臘虎膃肭獣猟法」という法律もあったようで、歴史のある法律のようです。改正があったのは昭和の前半に3回と平成に1回だけで、ほとんど放置されてきたといっていいでしょう。しかも文章はカタカナ書きのまま。長くカタカナ書きだった鳥獣保護法がやっとひらがな書きに改正され、カタカナ書きの法律はほとんど残ってないと思っていたので意外感があるというか、私がこれまで見逃していたというほどマイナーな法律です。
私が見逃していたのには理由があります。それは、野生動物についての最も基本的な法律は鳥獣保護法であり、少なくとも哺乳類と鳥類は同法ですべてカバーしていると思いこんでいたのです。まさかこういう例外があるとは想像もしていませんでした。
この法律(と施行規則)の概要は、ラッコ・オットセイの捕獲を原則禁止するというものです。その毛皮製品の製造・販売も同じ扱いです。ただし、これは国内だけにしか効力はありませんので、輸入品は対象外となります。
ところで、日本に野生のラッコやオットセイなんていたっけ?と思われる方もいることでしょう。ラッコは現在も千島列島に生息しています。かつては北海道にも生息していましたし、戦前は千島列島は日本領でしたからこのような法律があったのでしょう。現在もおそらく北方領土には生息しているはずで、この法律を無効にしてしまうこともできないのでしょうね。オットセイは現在でも北日本でしばしば目撃されています(「Vol. 185[今日の事件]アシカ・アザラシの過去のストランディングを検証する」もご覧ください)。
なぜこの法律が鳥獣保護法から独立して存在しているのかというと、陸棲動物と海棲動物は区別して取り扱っていたという歴史的な(といっても明治以降の話ですが)経緯があるからのようです。海の動物は漁業関連として別扱いだったわけですね。これは第4条にもあるように漁業法と関連付けされていることからもわかります。鳥獣保護法(昭和38年以前は「狩猟法」)は、(資料不十分のため詳細は不明ですが)戦前は農商務省(農林水産省と旧通産省を合わせたような役所)または農林省(昭和になってから農商務省が分割されたため)の管轄、戦後は農林水産省、後に環境庁(現・環境省)が設置されてから(昭和46年)は環境庁の管轄となっています。
臘虎膃肭獣猟獲取締法もその性格から管轄省庁は同じような経緯をたどったはずですが、環境庁管轄とはならずに現在も農林水産省の管轄のままになっています。これは上記のように、同法が漁業法と深くかかわっているためというのが理由のようです。
ただ、鳥獣保護法は2002年の改正でニホンアシカ、アザラシ5種(ゼニガタアザラシ、ゴマフアザラシ、ワモンアザラシ、クラカケアザラシ、アゴヒゲアザラシ)、ジュゴンも対象に加わりました。ラッコとオットセイを別扱いというのも現在では変な話です。将来は臘虎膃肭獣猟獲取締法も鳥獣保護法に取り込まれるのではないかと思われます。
さて、この法律を調べていて気になったのが動物の名前の由来です。「臘虎」とか「膃肭獣」とか、何か意味がありそうな名前ではありませんか。
まず、「ラッコ」ですが、これはアイヌ語だそうです。「臘虎」という漢字は中国語だそうですが、これもアイヌ語起源のようです。
「オットセイ」もやはりアイヌ語起源です。ただ、こちらはもっと複雑な経路をたどったようです。詳しくは『「オットセイ」の語源を求めて』というページをご覧になってください。この説明がもっともらしいようです。ここでの論をまとめると、
アイヌ語onnepオンネプ→中国語で「膃肭」の字があてられる→オットセイの臍(へそ)、睾丸、陰茎は強壮剤として使用された。その薬の名前が「膃肭臍」→「膃肭臍」が日本に入ってきて「おつとつせい」あるいは「おんとつせい」と呼ばれた→これが「おっとせい」になり、動物の名前を指すことにもなった
ということになります。ですからほんとうは「せい」の部分は不要で、「おっと」だけでいいことになります。ついでに他の海棲哺乳類の名前も見てみましょう。
「アシカ」はWikipediaには「海(あま)のシカ」あるいは「葦(アシ)の生えているところにいるシカ」と説明されています。ただし、アイヌ語起源という説もあります。「アザラシ」は「あざ=痣」からきた、という説がありますが、これもはっきりしません。確かに、ゴマフアザラシやワモンアザラシのように斑点模様があるアザラシはいますのでもっともらしく聞こえる説です。ちなみにアイヌ語では「トッカリ」と言いますのでアイヌ語起源ではないようです。
「トド」の名はアイヌ語またはギリヤーク語(極東ロシアや樺太に住むニブヒ(ニヴフ)民族の言葉)の「トンド」が語源のようです。
「セイウチ」は、ロシア語のcivuch(あるいはsivuch)=トドが語源という説と、オランダ語のゼーコエ(Zeekoe)が語源という説があります。
こうして調べてみると、語源がはっきりしないものが多いようですね。まあ、言葉というものは身近であるほどその語源がはっきりしないことが多いものです。これらの動物も日本人にとって身近なものであったのだということなのかもしれません。