Vol. 516(2011/5/8)

[東京タヌキ探検隊!の歴史]1998年〜2003年のまだ全然成果がなかった頃のこと

私(宮本)と東京タヌキとのかかわりについては、2つの書籍「動物の見つけ方、教えます!—都会の自然観察入門」(数研出版、2004年)と「タヌキたちのびっくり東京生活」(共著、技術評論社、2008年)に書いてあります。しかし2008年以降も状況は変化しており、それについての説明はほとんどしてきませんでした。また過去の2冊に書かれていないこともあります。そして近いうちに新刊が出せる見込みはありません。そこで、この「いきもの通信」でこの辺りのことを書いてみたいと思います。なお、現時点においても「書けないこと」があります。これはまた10年後か20年後かに明らかにできるかもしれませんので気長に期待してください。
また、細かに書きすぎるとかなり長くなってしまいますので、省略していることも多くあることをご了解ください。


まずは2008年までの歴史を振り返りますが、この時期については上記の2冊にだいたいのことは書かれていますのでそちらもあわせてお読みください。

1998年当時、私は株式会社アスキーの社員でした。担当はCD-ROM書籍の編集・ディレクターです。CD-ROM書籍とは、CD-ROMと書籍をセットで販売する形態の商品です。当時のアスキーはいろいろな業態を含んでいましたがメインは出版社です。一方、1995年ごろから「マルチメディア」という流行がありました。これは静止画・動画・音声などを組み合わせたコンテンツのことで、主にCD-ROMで供給されました。今で言えば電子書籍の先駆けです。当時の出版の販売ルートではCD-ROM商品を売ることはできませんでした。そこで「書籍のおまけとしてCD-ROMがついている」という形をとることになりました。これがCD-ROM書籍です。もちろん、メインはCD-ROMで、紙の書籍の方がおまけなのですが…。私はそのCD-ROM書籍の担当で、「マルチメディア図鑑シリーズ」を受け持っていました。
(この辺りのことは、いきもの通信Vol265Vol267Vol270Vol272Vol275Vol277に書いてあります。)
1998年、私は自然観察をテーマにしたCD-ROM書籍を企画していました。その著者はプロ・ナチュラリストの佐々木洋氏とする予定で、佐々木氏とは内容の検討に入っていました。しかし、この企画は結局会議を通過することはできず断念することになりました。
企画の検討中だった1998年4月のことです。佐々木氏が世田谷区でタヌキが現れるという話を入手しました。もし本当なら今回の企画の目玉にもなります。私がビデオカメラを持参していっしょに現場にいくことになりました。
タヌキは本当にいました。日没後間もなく、情報通りの場所にタヌキが現れたのです。しかも1頭だけではなく、7〜8頭はいました。もし1頭だけだったら「どこからか逃げ出したペット」と思ったことでしょう。しかし複数頭いるということは、ここで繁殖していることを意味します。しかもそこは世田谷区の都心寄りの場所です。ここで繁殖できるのならば、23区の他の場所でも繁殖できるのではないか。私はそう考えました。佐々木氏によると、23区内では他にもタヌキが生息している場所があるとのことでした。
「都会のタヌキ」というのはとても興味深いことです。しかし、私はただの会社員です。それを調べるのは他の人の仕事でした。

1999年4月、私はホームページ「いきもの通信」を開始しました。個人ホームページはそれ以前から持っていたのですが、特化したテーマを設定した新しいコンテンツをスタートさせたのです。同年8月、「いきもの通信」で東京都23区内のタヌキ目撃情報の提供をよびかける記事を書きました。これが現在も続く目撃情報収集の開始地点です。(そして1999年10月、宮本はアスキーを退社しました。)
しかし、この試みははっきり言って成功とはいえないものでした。初めて目撃情報が来たのは2001年(1件)、その後も2003年に2件、2004年に2件、2005年に3件といった具合でした。現在と比べると信じられないような数字に思えることでしょう。
この失敗の理由の説明は簡単です。当時はインターネット人口が少なかったのです。1999年ごろというと、ISDNが普及し始めた時代で、ADSLはまだ登場していませんでした。i-modeが登場したのが1999年です。この当時、会社のメールアドレスを持っていた人は既に多かったでしょうが、個人用メールアドレスが増加したのはこの頃だったと思います。総務省調査によるインターネット利用率は、1999年は19.1%でした。2007年には90%を超えたことを考えると、1999年から2000年代前半はインターネット利用者がまだまだ限られていた時代でした。
また、当時は「ネット検索」の利用も現在より少ないものでした。googleもYahooも当時から有名なネットサービスでしたが、「わからないことはネットで調べよう」という生活習慣が普及したのはやはり2000年代後半からのように思います。
「インターネットで情報提供をよびかける」という調査方法は、画期的な手法でした。ネットでのアンケート調査や世論調査は当時からありましたが、動植物学分野での試みは私の東京タヌキ調査がかなり早い段階のものではなかったかと思います。しかし、この手法は時代の先を行きすぎていたのです。2000年前後の状況では有効な結果を出すことはできませんでした。(もっとも、宮本自身も結果が出せる試みとは思っていませんでした。)

そのため2000年代前半のタヌキの情報は主に佐々木氏が持っていました。私は佐々木氏に情報を提供する立場でした。
1999年当時、東京都23区にはタヌキが生息している場所は複数箇所あることはわかっていましたが、生息数は「100頭はいるかな?」という程度の推測しかできませんでした。
この推測が間違っていることが明らかになったのは2003年9月のことです。これはNPO法人都市動物研究会の「東京都23区のタヌキ」についての集まりでした(2002年にNPO法人都市動物研究会が発足した。ただし宮本は参加していない。2003年には都市動物研究会でタヌキ情報の収集を行っているが10件ほどしか情報は集まらなかった)。その集まりで、新聞記者の大田候一氏が興味深い資料を持ってきました。それは氏が調べたもので(半分は取材目的で、半分は個人的関心からのものであったように記憶しています)、杉並区でのタヌキの交通事故死の場所の地図でした。動物の交通事故死の死体は杉並清掃事務所(杉並区の管轄)が回収しますが、その動物死体の記録を調べたのです。それによると杉並区のあちこちで死体が回収されたことがわかりました。その場所は私がタヌキの生息場所とは認識していない場所がほとんどでした。つまり、これまでの予想よりももっと多くのタヌキが23区内に生息していると推測できるのです。杉並区でこれだけいるとすれば、単純に23区に拡大すると数千頭の規模になりそうです。もちろん都心に近いほど生息は少なくなるでしょうから、単純計算はできませんが。この新情報は私のそれまでの推論を変える大きなインパクトがありました。

現在から振り返ると、数千頭という推測は過大な数です。実際の23区のタヌキの生息分布は北西部に偏っていること、杉並区はタヌキの生息が多い地域であることを考えると、単純計算は間違っていたのです。ただ、当時は生息分布のことはまったくわかっていませんでした。当時の推測はこれが限界だったのです。

2004〜2005年はほとんど何も前進がなかったので書くことがありません。
このように宮本の東京タヌキの研究はかなり長い間何の成果もなかったのです。宮本は東京タヌキの研究を10年以上続けていることになっていますが、前半はこのように「ほとんど何もしなかった」ようなものです。それでもなぜ続けていたのかというと、メールを待つだけならコストがかからないからです(笑)。
「ネットを使った目撃情報の収集」が正しい選択であったことが判明するのは2006年以降のことでした。


[東京タヌキ探検隊!の歴史]
Vol. 517 2006〜2008年、東京タヌキ探検隊!の開始/情報収集の安定化へ
Vol. 521 2008〜2010年ごろのこと
Vol. 522 予想もしなかった大発見

東京都23区内での最新のタヌキ情報については
東京タヌキ探検隊!
のページをご覧ください。

[いきもの通信 HOME]